序章

「グレイグ、ホメロス。聞きなさい。今日からこの城に住むことになった、という」

 そう言って、我が王デルカダール三世はオレとグレイグが剣術の訓練中だというにも関わらずにこやかにドアを開け入ってきた。その傍らには、今まで見てきたありとあらゆる"白"を凌駕するほどに美しい色の白髪を風に揺らし、ほほ笑む女子が立っていた。一度見たら忘れられないくらいにその女子は年齢の割に随分と美しく清らかで、暫く目を離せずにいたことを今でも覚えている。グレイグに至ってはずっとその女子を呆けた様子で見ていたものだから、「隙あり!」とそのアホ面に思い切り木刀をたたきつけては我が王に苦笑されたものだ。思えば、この頃からオレはこの女―――に心を奪われていたのかもしれない。だからこそ、彼女を失った悲しみと、守ってやれなかった後悔は凄まじかった。もっとオレが賢く聡明で、アイツのように力もあったなら。きっと彼女は今でもオレの傍で、いつものように笑いかけてくれていたに違いない。なあよ、お前はオレと出会って幸せだったのだろうか。……どうか答えてくれ、我が愛よ。
 冷たくなった彼女を抱きかかえながら、オレはそう嘆くしかできなかった。背後に、恐ろしい程に美しい闇を纏った者が立っている事も知らずに。



 「初めまして、と申します。これからよろしくお願いしますね」

 その女の子は、へら、と絹糸を彷彿させるほどに細く柔らかい白髪を揺らし、お手本のような貴族特有の礼をした。グレイグは先程僕に一発叩き入れられた場所をさすりながら懲りもせずその様子に見惚れている。もう一度叩かれたいのかと思ったが、悲しいかな、グレイグのことを馬鹿にできない程度には僕もグレイグと全く同じ反応を示してしまった。顔をあげた彼女は海よりも深く空よりも鮮やかな、みずみずしい青色の瞳でこちらを見ている。思わず木刀を手放すくらいには見入ってしまっていた。とす、と草むらに落ちた木刀の情けない音で我に返り、急いで木刀を拾う。その様子を見ていた彼女は、口元を抑えながらくすくすと笑っている。少々む、としたがその笑い方までが貴族の華やかさと上品さを併せており、落ちぶれた貴族の出の自分とは大きな違いだな、と自身に悪態をつく。
 そうしていると、隣で惚けていたグレイグが彼女の手を取り、少々緊張した面持ちで挨拶を交わした。

「あ、あの……!俺はグレイグって言うんだ。よろしく」

「グレイグ。ふふ……素敵なお名前ね」

「そ、そうかなぁ……?」

 おい馬鹿、あからさまに鼻の下を伸ばしているんじゃない。そんなのお世辞に決まっているだろうが。ほら見ろ、ずっと手を握っているものだから彼女が困っているじゃないか。
 彼女―――、と言っただろうか。は握手を交わした後も惚けてどうすればいいのかわからない初心なグレイグの反応に若干眉を下げていた。何をやっているんだと思い、助け舟を出してやろうと彼女らの間に割って入る。

「グレイグ、いつまで彼女の手を掴んでいるんだ。放してやれ」

「あ!……ご、ごめん」

「いいのよ、グレイグ。気にしないで。……貴方は、」

 グレイグと手を放した彼女は、こちらに向けて手を伸ばした。子供ながら、細く華奢な腕だった。もう少し肉付きがあってもいいのでは、と思いながらその手を掴む。刹那、ふわりとした感触が右手を包んだ。数秒もすると、訓練の最中ですら熱を上げることがない僕の手の温度と混ざりあい、人肌程度に温まる。じわじわと自分の温度を侵食する彼女の熱に何故か羞恥心を抱えたが、不思議と彼女の手を振り払う気にはならなかった。

「ホメロス」

「そう、ホメロス。よろしくね」

「あぁ」

「ホメロス、貴方とってもおててが冷たいのね。知ってる?お母さまが仰っていたのだけれど、おててが冷たい人ほど心は暖かいのよ」

 ……何を言い出すんだと思えば。その見かけによらず、口を開けば随分とくだらない話を紡ぐのだなと率直に感じた。貴族然とした見た目からは想像つかないほど庶民的な話を笑顔で語るのはかなり滑稽だ。のんびりしたマイペースな口調と、優雅な動き―――否、のろまでグズなその様はオレの気分を損ねるのには十分だった。先程までの輝かしい彼女の姿は一瞬にして崩れ、この時をもって「あぁ僕はこの女子が苦手だ」と確信した。我が王よ、申し訳ありませんがこやつもこの私、ホメロスに泣かせられる類の人物ですよ、と訴える間もなく我が王は「それじゃあすまないが、私はこれから会議があるのでね」と言いこの場を後にした。もしやこれは僕たちがわざわざ訓練を中止して城を案内せねばならないのか?冗談じゃない……なんて言えるわけもなく、訓練を一旦休憩することにした。
 そのまま置いてけぼりとなったと楽しそうにお喋りを続ける友、グレイグを横目に僕は城の内部へと歩みを進めた。それに気付き、彼女らは僕の後に続く。

「―――待てよホメロス!一人で行こうとするな」

「グレイグ……。僕たちにはこういう世間知らずのようなお嬢さんと遊んでいる暇はないだろう?このデルカダール王国を守るためには1秒でも時間を無駄には―――」

「あら、随分と熱心で努力家なのね。でもホメロス、完璧主義は良くないわ。たまには息抜きも必要だとお父さまも仰っていたわよ」

「うるさい、君には関係ないだろう?」

「グレイグ、ホメロス。私、このデルカダール城のバルコニーに行ってみたいわ。案内してもらえると嬉しいのだけれど」

 人の話を聞いているのか?と突っ込みたくなるような返しだった。当の本人は朗らかに笑みを浮かべながらこちらを見ている。グレイグは目線だけでどうする?と聞いてきたが、どうするも何も、きっとこの手のタイプは駄目だと言い聞かせたところで聞く耳を持たず、いざとなれば自分であれこれと探索しに行くのだろう。そうしているうちにも彼女は辺りを見回し、上にあがる為の階段を探している素振りを見せた。放っておくと本当に何をするのかわからない。それに、我が王直々に「頼む」と言われているのだ。仕方ない、これも修行の一環だなと自分に言い聞かせ、グレイグに目で「案内してやれ」と伝えた。それと同時にグレイグが彼女の手を引いて案内を始める。自然に自分はその後ろを着いていく形になった……のだが。どうしてだろう、何故かひどく疎外感を覚えた。グレイグは滅多に話すことのない、年齢の近い女の子と言葉を交わすのが楽しいのだろう、僕のことなど気にもせずにこやかに彼女と話している。彼女も彼女で、僕と話すことよりもグレイグと話す方が気が楽なのか穏やかな表情をしつつグレイグの話を聞いていた。―――ああ、まだまだ僕も子供だな。こんなことで気持ちが揺らいでしまう。
 たまらず二人の前に駆けていき、グレイグとは反対の方に位置を取り、二人で彼女を挟む形になった。

「うわ、どうしたんだよホメロス!びっくりするだろ?」

「ふん、別にいいだろなんだって。それに、エスコートがなってないぞグレイグ。最強の騎士を目指すならレディのエスコートだって出来ないとだめだ」

「さ、さっきまで遊んでる暇はないとか言ってたくせに……」

 ぶつぶつと何か言っているグレイグを横目に、彼女の前に手を差し出す。

「いいか、見てろよグレイグ。―――レディ、お手をどうぞ」

 少し驚いた顔を見せたものの、彼女は僕の右の手のひらの上に自分の左手を重ね「ありがとう、可愛い騎士さん」と柔らかな笑みを浮かべた。負けじとグレイグも僕に倣って全く同じセリフで彼女の手を取る。そのまま僕とグレイグが彼女の少し前に出て歩き始めると、彼女はくつくつと笑った。それもそうだ、両手を差し出したまま二人の騎士にエスコートされているのだ。後ろから見た僕たちの姿はだいぶ滑稽だったのだろう。

「ふっ……ふふふ、こんな形でエスコートされるなんて、ユグノアのお城でも体験したことなかったわ!デルカダール王国ってとても素敵な国ね。きっと毎日楽しい生活ができるわ」

「当たり前だろう?我が王は凄いんだ!」

「ホメロスはこの国が大好きなのねぇ。ふふ―――あら、ここは大広間?先程も通ったけれど、本当に豪勢な作りをしているのね……。ユグノア城とは全然違うわ」

 ゆっくり話しながら歩いていると、まずは大広間に着く。彼女は途端に僕たちの手を放し、中央の開けたところでくるくると身体を回転させながら辺りを見ては目を輝かせている。ふわりふわりと、彼女の動きに合わせて彼女の纏うエメラルド色の美しいドレスが揺れる。その様子を「あらあら、微笑ましいわね」と、我が王に謁見に来た貴婦人が彼女に声をかけつつ中央の階段に向かっていった。彼女はと言うと、己の目的も忘れてしまったのか先輩兵士や広間に偶然赴いていた貴族方に挨拶を交わしている。
 ……呆れた、鳥頭なのか?いくら子供とはいえ、自分の目的も忘れてあちこち道草を食う奴がどこにいるというんだ。親の顔が見てみたい。

「おい、お前―――といったな!」

 僕が声をあげると、彼女は軽快な動作でくるりとこちらを向く。

「遊んでいるのなら、さっさとお前を部屋に案内して僕たちは訓練に戻る。言っただろう?僕たちは―――」

「忙しい。……ふふ、ごめんなさい!」

 たた、と駆け寄ってきた彼女は、ぐい、と目一杯僕の顔に己の顔を近づけてそう言った。特に気にしてはいなかったが、こうして近づいて来られると必然的に「美しい目の色をしている」とか「頬が桃色に染まっていて可愛らしい」とか騎士にあるまじき品位に欠けた感情を心に宿してしまう。いけない、立派な騎士になるためにはこういった欲も抑えなければ……。
 そのような僕の心など露知らず、彼女はそのまま中央の階段に向かってすたすたと歩いて行った。グレイグはその一連の様子を見て僕を指さしながら「はは、顔が真っ赤だなホメロス!」なんて言って笑っている。全く、前途多難すぎる。これでは一体いつになればバルコニーに彼女を案内したあと部屋に連れていくことができるのだろう。中庭を出てすぐの大広間に来ただけでこの様子じゃあ、きっとバルコニーに行くのですら時間がかかりそうだ。はぁ、と思わず落胆していると階段をのぼり終えたがこちらを向いて手を振っている。恐らく「早くおいで」というジェスチャーなのだろう。

「元気だなぁ彼女。俺はああいう子、結構好きかも」

 と、暢気なことを零すグレイグを小突く。

「フン。僕は嫌いだ!人を振り回す子供みたいな……もっと知的で大人しい方が話が合う」

「はははっ、何言ってるんだよホメロス!お前だって子供じゃないか」

「うるさい!いいから、後を追うぞグレイグ」

 グレイグにそう声をかけて、彼女の後を追った。彼女は僕たちがのぼってくるのを確認すると、我が王の部屋の前を颯爽と通り抜けて行ってしまった。ドレスを身に纏いながらもあの速さで駆け抜けていくとは……と半ば感心したが、そんなことを思っている場合ではない。僕らもさっさと階段をのぼりきり、彼女を追いかける。途中、先輩兵士に「こら!グレイグにホメロス!城内を走るんじゃない!」と後ろから怒鳴られたが、彼女を見失うわけにもいかない。だが、そのまま駆け抜けるわけにもいかないのですいません、と謝りつつ早足に切り替えて先に進んだ。王の部屋の前を抜けると、少し開けた空間がある。左右には三階に繋がる階段が、目の前には玉座の間の扉がある。ここに来るのは初めてではないし、もちろん何度でも訪れてはいるがそれでもこの扉の前に立つと妙に鼓動が早鐘を打ち始め、手にはじっとりと汗がにじむ程度には緊張してしまう。それはグレイグも同じようで、二人で顔を見合わせては表情を崩した。
 玉座の間の前を通り過ぎ、階段を上ると彼女が僕らの到着を今か今かと、待っているのが見えた。暇を持て余していたのだろう、三階周辺の見回りに当たっている先輩が彼女に捕まり二人で談笑している。

「……でね、グレイグとホメロスが案内してくれることになったの。ふふ、あの二人は騎士見習いなのかしら?」

「あぁ……。そうだね、特にホメロスなんて神童って呼ばれていて―――おや」

 こちらに気づいた先輩が、片手をあげて手首をくいくいっと曲げる。

「……先輩っ!こんにちは。すいません、その子が見回りの妨げになっていませんでしたか」

 僕に続いて、コンマ一秒遅れてグレイグが頭を下げた。先輩はいやいや、と困った様子で慌てて僕らに頭をあげるように促す。先輩の言う通りに頭をあげると、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。

「妨げなんて、そんなことないよホメロス。ほら、バルコニーまでもうすぐだ。ちゃんと連れていってあげるんだぞ!騎士たるもの、交わした約束はしっかり守るべきだ」

 先輩は再度ほほ笑むと、また見回りを再開しその場を後にした。は先輩に向かって大きく手を振り感謝の言葉を述べている。グレイグはその様子をみて「微笑ましい」なんて言っているが、僕は違った。
 ―――本当に、何をやっているんだ僕たちは。遊んでいる場合じゃないのに。一日でも早く、この王国を守る立派な騎士にならなければいけないはずなのに。亡くなった母上にも示しがつかない。
 そう、本来ならば今はグレイグと稽古に励んでいるはずなのだ。先程から有限である時間をくだらない事に消費し続けている気にしかならず、僕は苛立ちを覚えていた。先輩が言っていた通り、騎士たるもの、交わした約束はしっかり守らなければならないので、バルコニーには案内するつもりではあるが。僕が柳眉を逆立てていると、グレイグは苦笑交じりに「まあまあホメロス、そうかっかするなよ」と宥めてきた。

「―――フン、怒ってなどいない。ただ……こんな無意味に時間を消費することを疎んでいるだけさ」

「それを怒ってるって言わずになんていうんだよ……」

「だから、怒ってなどいないと言っているだろう」

 グレイグとそんなやり取りをしていると、空気を読まないやたらふわふわとした口調でが話に入ってきた。

「あら、喧嘩?」

 違うよ、とグレイグが言う。苛々していた僕はその質問には答えずにそのまま黙ってバルコニーのある最上階へと続く階段に歩みを進めた。すると、ぱたぱたと後ろから彼女が駆けてきて僕の横に並んだ。そして、こう言ったのだ。

「―――ホメロス、怒ってる?」

 へら、とした暢気な笑みだった。散々人を振り回し、時間を無駄にしているというのが分かっていないのか?と問いたくなるようなそれで、僕はついに堪忍袋の緒が切れたのだ。

「……っ!散々人を振り回しておいてその言葉か!?」

 バッ、と彼女の方を向いて僕は怒鳴った。彼女はそれに驚いた様子も見せず、ただこちらを見て突っ立っているが、気にせずにそのまま腹から湧いてくる怒りを含んだ言葉を浴びせる。

「バルコニーなんて中庭から真っ直ぐ行けば十分もあればすぐなのに!お前があちこち寄り道したりするから二十分もかかってるじゃないか!!」

 やめろホメロス、こんなところではしたないぞと己を律しても、あふれ出る怒りは収まらなかった。沸々とわいてくる不平不満が口から洩れていく。年下の女の子相手にみっともないと思うし、言いすぎて泣かせてしまっては後が面倒だとも考えたが、僕もそこまで大人にはなれなかった。もうどうにでもなれ、と半ば諦めながら僕はすべてを吐き出すことにした。

「この時間があればグレイグともっと剣を交えることができたし、本だって読めたんだぞ!!それを……!わかっているのか、我が王に命じられて仕方なく案内したが、こんなに手間を取らせるなら僕はもう戻る!!」

 途中、グレイグが「ホメロス、もういいだろ」と自制を促したが、僕はもう止められなかった。自分でも驚く程に、腹の虫が治まらなかったのだ。以前、先輩兵士に陰口をたたかれているのを聞いた時だって声を荒げるほど怒ることはなかったのに。何が僕をそうさせているのか、僕自身わからなかった。興奮した頭では深くあれこれと考える余裕もない。だから、何も考えず僕は言うべきではない言葉をそのまま吐き出してしまった。

「僕はっ……!僕は、君みたいなのろまな奴が大っ嫌いだ―――!」
そう言い切ったところで、流石にまずいと思ったのだろう。グレイグが慌てて僕の口をふさいだ。僕も彼のその行動と言いたいことを言い切った為か、乱れていた心が幾分か落ち着いていた。
 肩で息をする僕と、どうすればいいかわからず右往左往するグレイグ。一方、暴言を浴びせ続けられていた彼女はというと、僕の数々の罵詈雑言をただただ黙って聞いていた。一番に取り乱すかと思いきや、彼女は動じずにその場に立っていた。先ほどまで城内を駆け回っていた子供のような姿から一変して、昨晩に本で読んだ大人しい貴婦人の様子を彷彿させる。
 ―――本当に、何なのだろうこの女子は。子供のように騒ぐ一方で、人格が変わったみたいになって……。
 しかし、何も言わず立ち尽くす彼女をみて、さすがにそろそろ泣き出すのだろうか、と思いふと彼女の顔に目を向けて―――僕は、思わず「え……?」と困惑の声を漏らした。
 だって、そりゃあそうだろう。あれだけボロボロに責め立てたのに、彼女は―――教会の女神像のような、慈愛に満ちた微笑みで、僕を見ていたのだから。

「なっ―――」

 グレイグもただ口を開けて彼女を見ていた。きっと僕と同じ考えを抱いていたのだろう。目を丸くする僕らをよそに、その優し気な表情のまま僕の頬に手を当てて語りかけてきた。

「……落ち着いた?ふふ、ごめんなさいね。最初見た時からずっと、何か言いたげだったのに何も言わないから。我慢は良くないわ、ホメロス」

「な、なんでそんな……!」

 なぜ、彼女はつい先ほど出会った、何も知らない相手にここまで慈しみをもって接することができるのだろう。僕にはきっと無理だ。ほぼ初対面にも関わらず、このように相手の心情を見抜いて数々の暴言を吐かれ―――挙句、「大嫌い」と言われてもなお、その相手を思いやることなんて出来やしない。

 ―――神童と呼ばれる一方で、その才能を妬み陰口を叩かれ続けた僕は、正直そうすることでしか自身の面目を立てられない先輩たちを心底見下していた。僕は別に、何の努力もせず現在のような強さを身に着けたわけではない。皆が訓練で疲れて寝静まった後もこっそり抜け出し自主練習に励み、空いた時間は本を読んで知識をつけた。だからこそ今の僕がある。何の努力もなしに、強くなれるものか。それを馬鹿にされ、更には、僕の家族やその生きざまさえも侮辱されたのだ。何も思わない訳がない。
 ……でも、きっとこの子は違うのだろうな、と直感した。この目の前の、繊細で華奢な―――けれど、心根は強くしっかりした女の子は、たとえ己が馬鹿にされても今のように微笑んで耐え、僕のように相手を蔑視することなく赦しを与えることができるのだろうな。子供ながら、なんて愛の深い子なのだろうと思わず畏敬の念を抱いた。と、同時に己の器量のなさに若干落ち込んだ。

「ぅ……、その……!」

「あぁ……良かった。ホメロス、貴方の顔……とても爽やかね。さっきまでの険しい顔よりも、今の方がずっと素敵。言いたいことをはっきり言うって大事なのよ」

 彼女はそう言って、少し先まで階段をのぼり僕よりひと回り小さい手を差し出した。これじゃあまるで僕が彼女にエスコートされているみたいではないか。そんなの、騎士らしからぬ行動だ……と思ったが、何故か僕は気づいたらその手を取ってしまっていた。気持ち的にはどこかモヤモヤしたものがぬぐい切れなかったが、不思議と嫌だなあと思うことはなく、彼女の後を追う形で階段をのぼる。その後ろをグレイグがにこやかな笑顔でついてくる。
 ―――なんだろう、この妙な安心感は。あぁそうだ、そういえばこうして昔、母上とよく出掛けたものだ。母上が僕の手を引いて、後ろには爺やがニコニコ微笑みながら立っていて。
 母上の死を知ってから、今までより強く"立派な騎士にならなければ"という思いを抱き、思い返せばまともに休むこともせず訓練に打ち込んでいた。だいたい訓練の相手はグレイグで、そう考えるとグレイグにも少々無理を強いていたのかもしれない。もっと余裕をもって、周りを見渡すことも必要なのだと、彼女の後ろ姿をみて思った。彼女には―――ちゃんと謝罪をしなければ。

「―――さぁ、バルコニーに行きましょうか。長く貴方たちの時間を縛ってしまって、ごめんなさい。もう少しだけ、付き合って頂戴ね。小さな騎士さんたち」

「もちろんさ、なあホメロス?」

「う、うん……」

「ふふ、ありがとう。……あ、あれがバルコニーに続く扉かしら?」

 階段を抜け、ぐるりと一周する形の廊下を超えると、僕らの背丈の何倍もある豪勢な扉が見えた。あの先に、デルカダール王国を見渡せるバルコニーがある。僕はあまり赴くことがなかったが、グレイグは夜眠れぬ時はここに来て心を落ち着かせると以前聞いた。彼女は扉の前で足を止めると、期待に満ち満ちた瞳でこちらを振り返った。
 グレイグに促され、彼女は取っ手に手をかけそのまま勢いよく扉を開ける。刹那、太陽の光が一気に城内へと入り込みあまりの眩しさで一瞬目がくらむ。その後すぐに扉の奥へ駆け出す彼女の背を追うと―――。

「わぁっ……!」

「―――、……。……凄い、な」

 中庭くらいの広さがあるバルコニーに出る。大理石で造られており、床には何かのデザインを施した大きなタイルがある。じっくりと見る機会はあまりなかった為、新鮮に感じられた。何より驚いたのは、そこから見える城下町だ。このデルカダールはロトゼタシアいちの大国で、城下町もかなり広く初めて訪れた人はよく迷子になると聞いていた。僕も生まれはデルカダール王国とはいえ、入り組んだ城下町を一人で探索し迷子になったのはいい思い出である。それくらい広い城下町の、端から端までをこのバルコニーで見渡せるのだ。思わず言葉を飲んでしまった。
 グレイグとはバルコニーの柵の近くまで行き、二人ですごい、すごいとはしゃいでいる。その後、僕の方を振り返り二人同時に「ホメロス」と僕の名を呼んだ。わかっている、お前も来いと言いたいのだろう?
 二人の元へ駆け寄り、柵の外に目を向ける。広い城下町を、空の太陽がこれでもかというほどに照らし、花の香りを運ぶ爽やかな風が髪を撫でて去っていく。とても清々しく、気持ちの良い景色に見惚れているとが優しく語りかけてきた。

「―――すごい。この景色を、近い将来、グレイグとホメロスは守っていくのね……」

「……あぁ。そうだ。僕たち二人で、この景色を、この国を守っていくんだ!」

 声高らかに、笑顔でそう告げた。彼女はそれを聞いて満足したように微笑んだ。僕は思わずそれを見て何だか恥ずかしくなりそっぽを向いてしまった。勿論、反対側にはグレイグがいるわけで、一連の様子を見てグレイグはにやにや笑っていたものだから、すかさず脇腹を小突く。

「っつ!―――何するんだよホメロス!」

「フン!君が下品な笑みを浮かべるからだろ!騎士とは、そんな笑い方はしない」

「何だよ、お前だっての顔見て真っ赤になってたじゃないか!騎士はそんな事じゃ動じないだろ?」

「なっ―――!」

 グレイグの馬鹿野郎、それをばらすなよ。威厳も何もあったもんじゃないだろうが。

 僕とグレイグのやり取りを聞いて彼女はくすくすと口元を抑えながら笑う。懲りずにグレイグと言い合いをしていた僕は、その笑い声にはっとして、さっき彼女に向けて暴言を吐いてしまったことを謝らなければならないのを思い出した。恥ずかしさは拭えないものの、このままでいるのは、どうにも居心地が悪い。「大嫌い」だなんて言ってしまった事もしっかり訂正せねば。僕は確かに、彼女の鈍間でマイペースなところはこれから先も苦手なのだろう―――だが、あくまで苦手だというだけで、決して嫌いではない。そして多分きっと、今後僕は彼女のそういう所に助けられることもあるのかもしれないと思ったのだ。何故かはわからないが、そういう気持ちを抱いたのはたしかだった。
 彼女の方を向き、目を真っ直ぐ見る。壮大な海を思わせる深い青の瞳がこちらを見返した。

「―――さっきは、ごめん。大嫌いなんて言って……。それと、ありがとう。その……、僕を、気に掛けてくれたのだろう?」

 すると彼女は目を丸くして、少し息をのんだあとに口元を綻ばせた。

「あら、いいのよ。気にしないで。私が、ホメロスの笑顔を見たかっただけなの。良い表情ね……、ふふ、グレイグもそう思うでしょ?」

「……そうだなぁ、良いかどうかはわからないけど、なんだか今のホメロスはいつもの嫌味な感じは全然しない!」

「おい、嫌味は余計だろう!」

 そう返すと、グレイグは目を糸のように細めながら大口を開けて笑う。釣られて僕が笑えば、も年相応の笑みを浮かべていた。バルコニーはたちまち僕らの笑い声でいっぱいになる。すると、いつの間に居たのか、我が王が普段の厳かな表情を崩しまるで子を愛おしむ父のような顔で僕らを見ていたことに気づく。遅れてグレイグとも王の存在に気づき、傍に駆け寄った。

「ふむ。が部屋に来ないとメイドに聞いて心配したが、その必要はなかったようじゃな」

「で、デルカダール王!ご心配をおかけし、申し訳ございません!」

「はは、ホメロスよ、そこまで畏まるな。……ホメロス、グレイグ。おぬしらは騎士見習いの身ではあるが、しっかりと騎士の務めを果たしてくれたな。偉いぞ」

 王はそう言いながら少しかがむと、僕らの頭を撫でてくれた。ゴツゴツとしており、一目見てその逞しさがわかる王の手は、見た目とは裏腹にとても温かくて、優しかった。王は僕らの頭をそのまま撫でながら、に語りかける。

よ」

「はい」

「―――この子らの顔を見れば、おぬしが何をしようとしたのか、わしには伝わっている。ありがとう。こんなに楽しそうな顔をする二人を見たのは久しぶりじゃ」

 僕とグレイグは王の言葉に驚きつつ、の返事に耳を傾けた。耳障りの良い声で、彼女はこう返した。

 「滅相もございません。―――私の方こそ、二人と出会わせてくれたデルカダール王に感謝します。それと、ホメロスとグレイグにも……素敵な景色を見せてくれたもの。ありがとう、二人とも」

 そうして、この日は大広間に四人で戻り、をメイドに引き渡してから、僕とグレイグは訓練を再開したのだ。いつものように剣を交え、訓練が終わると自分たちが使用した剣や鎧のお手入れをする。だいたいは明日は絶対に勝ってやるからな、とか今日の夕食は何だろうな、とかグレイグが問いかけてくるのを適当に流すか、上手な剣の扱いを僕がグレイグに講じるかなのだが、今日は違った。僕もグレイグも無言で作業を済ませ、さっさと部屋に戻る。
 きっと考えていることは同じなのだろう。何も言わずとも、二人で着替えを済ませてからそうっと自室のドアを開けて大広間二階の、彼女に臨時で与えられている客室へ急ぐ。部屋の前に来るとすかさずグレイグがドアをノックすると共に「?俺だ、グレイグ!」と声を掛ける。すると部屋の中からぱたぱたと足音が近づいてきて、カチャリ、と鍵があく。控えめにドアの隙間からが顔を覗かせた。

「どうしたの?グレイグ―――あら、ホメロスもいるのね」

 僕は、どうしても彼女に聞きたいことがあったのだ。
 ―――なぜ彼女は僕たちを連れてバルコニーに来たのだろう?
 それだけはいくら考えても答えが浮かんでこなかった。バルコニーに行く途中までの彼女の様子を見るに、別段迷うことなく、一人でもここに来れたのではないだろうか?訓練中、グレイグにその話をすると彼は「直接聞きに行けばいいんだ!」と背中を押してくれたのだ。だからこうして、夜に再度彼女に会いに行くことになった。

 僕は、思い切って「何故、」と彼女に問うてみると、彼女は笑顔でこう言った。

「―――言ったでしょう?私、貴方の笑顔が見たかったの!」

 きっと僕は、この日の出来事と、彼女の笑顔を忘れないだろう。その笑顔は不思議と僕の心に入り込んで、深く深く刻み込まれたのだから。

あのバルコニーから見える景色に思わず感動しました。壮大ですよね。

Back