ふと窓の外を見た。ここ、クレイモランに来てから早数ヶ月。寒さにもだいぶ慣れてきた頃だ。着いた当初はしんしんと降り積もる雪に少しは感動を覚えたが、今ではただただ鬱陶しい。こうも毎日毎日止むことなく降り続けていては情緒もへったくれもありはしないのだ。よくもまあこんな土地に国を興そうと考えたな、と思う。目当てはかの古代図書館だったにしろ、利便性皆無のクソ寒いこの土地に永住しようとする人の気が知れない。魔法学を含む、学問に精通しているという点を除けばこの地に利点など一切ないとオレは思う。勉強しに来ただけとはいえ、万全な状態で臨むためには私生活を蔑ろには出来ない。けれど、この雪国といえばまずとにかく寒いのだ。慣れたとはいえ、生粋のデルカダール人であるオレは、その寒さによるストレスは尋常ではない。寒いというだけで体力も集中力も削られていく。寮内は暖かいが、寮内に居られるのは座学だけ。実戦ともなれば動きにくい防寒着を纏ってシスケピア雪原の方まで徒歩で赴かなければならない。それに、何よりもオレのストレスの原因となっている事と言えば――。
「おい。……、!!寝るな!!!」
「……、……っは!す、すいません~!」
あろうことか男の部屋に来てうたた寝をかますこいつの存在だった。「回復魔法の座学で分からないことがあって」と言われた為、専門外であるというのに仕方なく教えてやろうと思えばこの有様。やる気があるとは到底思えないその態度にオレは腹が立って仕方がない。せっかくこのホメロスが教えてやっているというのに、何故こいつはオレを馬鹿にしたような態度をとるのか。甚だ理解が出来ない。行動が読めぬ者を相手にするストレスというものは想像を超えていた。ならば相手にすることもない、と思うのだがこいつを見ていると自分でもよくわからない庇護欲のようなものが湧いてくるのだから困る。
「全く、貴様が教えてほしいというから、時間もない中教えてやっているというのに、その態度は何だ?次に同じことをしたら二度と教えぬからな。実戦で倒れても知らんぞ」
「う……。申し訳ありません……」
「ふん。……それで、オレから魔法学を教わることよりも大事な用事は何だったんだ」
手元にあったペンでの額を小突いた。
「た、大した事では……」
もごもごと、にしては歯切れの悪い言い方で事なきを得ようとする素振りを見せた。だが、オレの貴重な時間を潰しておいて、そのような回答でこのオレが納得出来るはずがない。き、っとキツく睨みつけると視線を泳がせた後に、観念したのか深くため息をつくとうたた寝をかました理由を話し始めた。
「――その、ホメロスの事を訊かれていたのです」
「は?」
「ですから……、昨晩、近くのお部屋に寝泊まりしていらっしゃる婦人方から貴方の事を訊かれて。どのような関係だとか、趣味嗜好だとか……恋人の有無であるとか……」
遠慮がちに、目を伏せながら彼女は言う。オレはその返答を聞いてまたか、と思った。近頃、この手の話ばかり耳にしている。確かにオレはそこらにいる男どもより美しく品のある麗人だ、という自覚は少なからずあった。けれども、そういった事を目的としてこの国に来ているわけではない。あくまでも目的は自己成長の為なのだ。色恋に現を抜かす暇などある訳がない。何より、本人であるオレよりもがこの件で負担になっているという事が気に食わないのだ。オレに想いを寄せることは好きにすればいい。恋をして好いた相手に想いを馳せたり、恋に夢を見たり、儚く散る事も人生経験の一つであるのだから。けれど、何故それを名も知らぬ赤の他人に己の恋路の片棒を担がせるのか。己の恋なのだから、自分自身で何とかしろ、とオレは思うしその気概すらない女に言い寄られたところで心が動くはずもない。
「お人好しも大概にしろとオレは言ったはずだが?」
「で、でも」
「言い訳は無用だ。他人の面倒を見て自己管理が出来なくなるくらいならば断わることを覚えるんだな」
はっきりオレがそう言ってやると、はしゅんと縮こまった様子で、小さく「申し訳ありません」と呟いた。そこまで落ち込まれるとは思っていなかったが、いい薬にはなっただろう。お人好し過ぎるのも良くないことだ、と多少は考えを改めてくれるなら言う事なしなのだが。これについては今回が初めてではないから、きっとまた同じことを繰り返す。もう何度も注意を重ねてきているのに一向に直る気配がない。
「今日は休め。寝ぼけた頭では教えてやったところで何も覚えられん」
「はい……、そうさせていただきますわ。ごめんなさい、ホメロス」
「ふん。教えることで復習程度にはなるのだ、決してお前の為にやっている事ではない。勘違いするなよ」
分かってます、と困ったような笑みを浮かべは俺の部屋を後にした。が去った際に、廊下から流れてきた少しだけ肌寒い空気が部屋を満たす。オレは小さくため息を吐くと、再度机と向き合い筆を執った。が部屋を訪れてくる前までに、途中まで書いていたグレイグへの手紙を書くためだ。先週あたりにオレと宛にグレイグが手紙を寄越してきた。ソルティコでの訓練が厳しいだとか、海が近い為か海鮮料理が美味であるとか、その内容の大半はグレイグが送っている日々の事だ。それを読む限りではあいつも成長しているようだが、まだ暗いところは怖いようで、眠れぬ夜があるらしい。あれから数ヶ月も経って、少しはあの怖がりが緩和されたかと思いきやこれだ。思わず笑いがこみ上げた。お互い成長するために留学しているのだから、変化があること自体は当然だが、それによってオレとグレイグの関係もまた変化してしまうのではないかと考えると、多少の恐怖感がある。故に、成長しているとはいえ根っこの部分はまだ変わっていない事に、オレは安心感を覚えた。
オレもグレイグに倣って、クレイモランでの生活を振り返る。万年雪の世界であるクレイモランでは、毎日の朝食に温かいレモンティーを飲むことを欠かさない。砂糖を多めに入れ、一息ついてから勉強することが日課になっていた。偶に実戦訓練があるが、基本的には座学中心で身体を動かす機会は少ない。けれども、騎士がそんなに怠けてはいけないと自主的に肉体トレーニングも行っている旨を手紙に書いた。ふと思い立って、あのバカ――の奇行でも面白おかしく書いてやろうかと筆を進めたその時、気になる話が扉の奥から聞こえてきた。
「なぁ、さっきそこの部屋……そうそう、あの生意気な留学生の部屋から出てきた子……」
「、だっけか?そこの部屋の留学生と同じところから来てるっていう」
「――めちゃくちゃ美人じゃないか?俺、タイプなんだよな」
「ああいう純粋そうな子をいい様にしてやるのが好きなだけだろお前は」
ぎゃはは、と下品極まりない笑い声にオレは思わず顔を顰める。話の内容はこの際どうでも良い。このオレの貴重な休憩時間を、こんな低俗な奴らに邪魔された事にはらわたが煮えくり返りそうになっていた。せっかく気分よく我が友に送る手紙を書いていたというのに、ふざけるなよ。オレはつかつかとわざと音を立てて歩き、扉を思い切り開けた。ちょうど奴らがオレの部屋の前を通り過ぎるタイミングで開けてやったので、必然的に目が合う。如何にも文句がありそうな顔で睨んできたが、それに臆するオレではない。
「……んだよ、危ねぇだろ!」
「おや。……あぁ、これはこれは。廊下に随分騒がしい虫がいると思って退治しようと思ったのだが」
一瞬、何を言われたのか分からないという顔をしたが、理解したのか顔を真っ赤にして男どもは怒鳴り散らしてきた。
「何だと、誰が虫だって!?」
「てめぇ、この金髪スカシ野郎!殴られたいのか!?」
そう言いつつ、既に殴りかかってきた男の拳を躱しつつ腕をつかむ。そのままぐるり、と捻ってやると「いでででで!」と何とも情けない声を上げて、力なく床に崩れ落ちた。どうも容姿のせいで、こういった蛮族どもになめてかかられる事が多い。今後も少なからずこのように美麗な容姿が裏目に出てしまうこともあるのだろうと思うと、複雑な気持ちだ。面倒事を増やしたくはないが、これに関してはどうしようもないな。
そうして黙っていると、いとも簡単に躱されねじ伏せられたのが気に障ったのか、ねじ伏せておきながら何も言わずにいたのが気に障ったのか――恐らくどちらともなのだろう、男が悔しそうにこちらを睨みつけていた。
「チッ……、クソ野郎が……!」
別段、その男らに言うこともないため、そのまま部屋に戻っても良かったのだが、これ以上騒がれても迷惑だと思ったオレは釘を刺しておくことにした。
「よく喋る――。次はその躾のなっていない舌を切ってやろう。躾がなっていないのは舌だけではないと思うが」
そう言って、腰に差していた剣の柄に手をかざすと男どもは一目散に階段を駆け下りていった。この様子なら、当分は絡んでこないだろう。見た目だけで判断して、相手の隠れた力量さえ見抜けぬとは愚かな奴らめ。後先考えず、力だけで乗り切ろうとするのは考える脳のない獣と同じ。これだから単細胞の脳筋は嫌いなのだ。グレイグもどこか短気なところがあるから、オレが気を付けて見てやらないとな……と、奴の事を考えたところで、先ほどグレイグへの手紙を書いていた途中だったことに気が付いた。
オレは再度、手紙を書こうと部屋に戻ろうとドアノブに手をかけ――。ふと、立ち止まる。
「チッ。わざわざオレが気遣う必要なんて……」
ない。ないに決まっている。――けれども、オレの意思とは反対に、足は勝手に女子寮の方へ歩みを進めた。いったい何をしているのだろう。留学の期間は限られている。あいつの為に時間を使うより、己の為に時間を使った方がいい。だが、周りが静かになって冷静になった今、先ほどの男どもが言っていた事を無視することができなくなっていた。何故こんなにもあいつの事を気にかけてしまうのか。昔からそうだ。何をやるにも危なっかしくて見ていられない。目を離せばきっとよくないことをやらかすに違いないと思い、自然と目が行くようになったのはここ最近の話ではない。
「オレも人の事は言えなくなってしまったな……」
そんなことを呟きながら、女子寮の階段を登る。寮に住んでいるのであろう、見知らぬ女とすれ違う度に振り向かれたり、黄色い声を上げられたりするが、至極どうでもいい。遊ぶのには丁度いいと思うが、オレを見た目で判断する奴は男だろうと女だろうと、一切興味が湧かない。女どもの視線を無視しつつ、の部屋を探す。確か奥の方だったような――と目を向けた瞬間、彼女の部屋と思われる場所からガシャン!と大きな音がした。……嫌な予感がし、思わずため息をつく。
一瞬の間をおいて、三回ノックをすると、ドアの向こうから慌てた声で「は、はい~!」という何とも情けない声が返ってきた。己の眉間にしわが寄るのがわかる。そのままドアを開けると、オレの予感は的中した。
「おい、この部屋の惨状はいったいどうした?」
クソ寒いというのに大きく開いた窓。ぱたぱたと音を立てて靡くカーテン。肌を撫でる風は氷のように冷たく、雪が風に乗って部屋に入り込んでいる。棚に置いていたであろう参考書は床に散乱し、テーブル上のグラスは落ちて割れていた。
「そ、それが~……。換気をしようと窓を開けたら、思い切り風に吹かれまして……」
「呆れて物も言えんな」
「す、すいません……。あ、もしかして何か用事が?今すぐ片付けますね!!」
「あ、おい!ガラスの破片が散らばって……」
こちらが言い終わる前に、窓を閉め部屋の片付けに取り掛かる。慌てていたのか素手でガラスの破片を拾い、瞬間「痛っ!」と声を上げた。制止も間に合わず、の白い指には赤い血がつう、と流れ出している。ああほら、言わんこっちゃない。どうしてこの鈍間は人の話もよく聞かず行動するのか。
「はぁ……」
「このくらい平気ですわ、お気になさらないでください!」
「そういう問題ではない。傷口に菌が繁殖すると治りも遅いし、悪化するぞ。最悪、壊死する可能性もあるのだ。貴様、女なのだから少しは気をつけろ」
大げさですわ、と困った顔で笑う彼女をよそに、オレは乱雑な部屋からやくそうと布を探す。本棚近くに、散らばったやくそうと布を見つけ、即座に彼女の手を取り手当てを施してやった。
「――ほら、これでいいだろう」
わざわざオレがやってやる必要もなく、そもそもこいつはメイドなのだ。騎士見習いのオレよりもこういった処置はどう考えてもの方が得意なはずだし、領分である。また余計な時間を使ってしまった、と後悔した。以前のオレなら確実に放っておいたはずなのに、どうしてしまったのだオレは。こうしてオレの手を煩わせるこの女の事など、放っておけばよいものを……。
そう思いながらの方を見る。はオレが手当てをしてやった部分を優しく己の手で包みながら突っ立っていた。
「どうかしたのか」
「いえ。……ふふ、ホメロスったら、私が回復呪文を会得していることも忘れて手当てをしてくださるので」
ありがとうございます、と丁寧に頭を下げるを数秒眺め、オレは一気に顔が熱くなった。
そうだ、こいつはホイミやベホイミといった回復呪文を使えるんだったと今更ながら思い出す。そして、はそれを自覚していながら黙ってオレの手当てを受け入れて、腹の中で笑っていたのかと思うと、何だか無性に腹が立って思わず声を上げた。
「きっ……、貴様!オレがせっかく貴様の為を思って手当てを施してやったというのに、それを笑うつもりか!?」
すると、は驚いた様子で、しかしその後すぐにふるふると首を横へ振った。
「違いますわ。笑ってなんかいません、嬉しいのです。ありがとうホメロス」
そう返し、はいつものように口元に弧を描き、微笑んだ。目線を下げ、相変わらず手当てしてやった部分を優しく撫でながら彼女は続ける。
「それにほら、私自身がホイミを唱えるよりも、こちらの方が早く治る気がしませんか?ホメロスの優しさが籠っていますもの」
こいつは本当にバカだな、と思った。素人が手当てを施したものより、専門である人間の回復呪文の方が治りも早いし確実に決まっているではないか。だって本当はそうだとわかっているはずなのだ。回復呪文の分野では、悔しいがオレやグレイグではの足元にすら及ばない。鈍間でバカな女だが、その才能だけは光るものがあった。
そんなが真面目な顔で馬鹿馬鹿しい話をしているのだ。専門外のオレですら分かることを、大真面目で言うのだから、本当にどうしようもない。手遅れだ。……けれど、のこういった部分はオレも嫌いにはなれなかった。馬鹿だアホだと心の中で何度思った事だろう。口に出して、彼女の言う事を思い切り否定した事は両手では数え切れないほどだ。オレの性格からして、ここまで馬鹿な奴は普通なら見捨てているし、話すらしないのに、いったいどうしたのだろう。
「ホメロス?どうかしました?」
少しの間黙っていたオレに、が声をかける。
「……別に。早く治るかどうかは知らんが、以後気を付ける事だ。次に同じことをやらかしても、オレは二度と手当てなんかしてやらないからな」
そう返事をして、オレは窓の外に目をやった。煩わしい程に降り積もる白銀が、地平の彼方まで広がっている。……どうして、なんて本当は悩む事でもないはずだ。答えはほぼわかりきっているのに、どうやらオレはこの気持ちを認めたくないらしい。何故か。認めてしまったらオレの負けになるからに違いない。それに、自分で色恋に現を抜かす暇などないと言っておいてこのざまだ。何より、このホメロスが目の前にいる鈍間でバカな女を気にかけているなど、オレのプライドが許さない。オレが、ではなくがオレを気にかけるならまだしも。そう、オレは色恋に現を抜かす暇などないのだから。
――さて、ではどうするか。
「よ」
オレは窓からへと視線を移す。彼女は、先ほど己のミスで散らかした物をせっせと片づけをしている最中だ。オレの呼びかけに応えるために、ふ、と後ろを振り向いた瞬間、オレは彼女の顎を人差し指でぐい、と上に向けた。青く広大な海を写したかのように深い彼女の瞳は、見ていると相変わらず吸い込まれそうになる感覚を覚える。
オレがこうすれば、大抵の女は照れてそっぽを向くか、オレの顔に見惚れるのだが、はきょとんとこちらを見上げるだけだった。あぁこの女、本当に……。
「――お前、思いを寄せる男子などはおらぬのか?」
そう問えば、彼女は青い瞳を丸くした。この反応もしや……。
「思いを寄せる……。そうですねぇ、私はホメロスとグレイグの事は好きですよ!」
と、思ったが彼女の回答はいつものようにオレの予想の斜め上をいくもので、開いた口が塞がらなかった。こいつ、この年齢にもなって思いを寄せるという意味が分かっていないのか、とオレは無性に腹が立っての頬を両手で引っ張ってやった。
痛いですわ~!と騒ぐ彼女をよそに、オレはまた窓の外を眺める。……たとえオレが万が一、億が一にもを好いていたとして、それをに伝えなければこの気持ちは永遠にオレだけのもの。先に気にかけた方が負けだと思うなら、先にがオレを好くようになればいい。
――そう思ったが、これはこれで骨が折れそうだ。オレは、何度目か分からないため息を静かにつく事しかできなかった。
第一章④
簡単に女を落とせるであろうホメロスだからこそ、本命には手こずりまくるのが見てみたい、などという願望の現れ……。