第一章⑤

「付き合ってくれませんか?」

 突然名前を呼ばれ、振り向いた先に居た彼女から出た言葉だった。いつものアホ面を晒しながら、が立っている。本人の表情から察するに何処かへ一緒についてきてくれないか、の意なのだろう。ほぼ毎日一緒にいると、だいたい察しが付く。だが、そこら辺の無能な男共であれば言葉を額面通りに受け取っていい気になるに違いない。―――まあオレもほんの少しだけ、やっとがオレを気にし始めたのかと思ったのは事実だが。
 そんなことを考えながら返事をした。

「何処へだ?」

 寮を出た先にある商店か何かだと思っていたが、の口から出た言葉は意外な場所だった。

「古代図書館へ、ですわ」

 古代図書館――シスケビア雪原を抜けた先にある、塔の事だ。実際に訪れたことはまだないが、周囲の話を聞くと塔の中は膨大な数の本で埋まっているという。言うなれば【本棚の塔】だ。噂によると、かの勇者が存在した時代に建てられたらしく、遥か昔に執筆された本や禁書なども保管されているらしい。まさに人類の英知といったところだ。
 しかし、最近図書館周辺や内部に凶悪な魔物が棲みついてしまったらしく、オレたち学生だけで図書館へ行くことは禁じられていた。そもそも、オレやはまだ古代図書館に一人で行くための許可を得ていない。もう少し経てばオレはその許可が下りるだろうが、はどうだろう。戦闘はからっきしのこいつが、単身で向かう許可を下ろされる未来など、とても考えられない。護衛付きでなら許可されるのだろうか?

「構わんが、一つ問おう。貴様、古代図書館へ向かうための許可は――」

「下りていません」

「ほう。くそ真面目な貴様が約束を破るなど珍しいな」

 気になる本がありまして……と、彼女は語る。どうやら大昔に書かれた、賢者の書物だという。それを読むことで、自身の中に眠る新たな力が目覚め、更なる高みへと至ることができる――らしい。誰に聞いたのかと問えば、先日出かけた際に占い師を語る男に出会い、声をかけられたと彼女は言う。何もかも怪しいが、一番怪しいのはそんな胡散臭い話を真っ直ぐ信じてしまうの頭だ。少しは人を疑うことを覚えるべきだと思うが、既に何回も言い続けてきたうえでのこれなので、最早こいつの性分なのだろう。オレは諦める事にした。

「――まあいい。オレも古代図書館に所蔵されている本には前から興味があった。ついて行ってやる」

「ありがとう、ホメロス。きっとホメロスなら、そう言ってくださると思っていたわ!」

「フン……。で、どうやって行くつもりだ?図書館への道は常に兵士が見張っているぞ」

「既に考えていますわ」

 悪いことを思いついた子供のように、目を輝かせながらは言った。何だか悪い予感がするのは気のせいだろうか。

***

「はぁ……」

「ご、ごめんなさいホメロス……」

 悪い予感は的中した。が考えていた案とは、ラリホーで兵士を眠らせ、その隙に門をくぐり抜ける……というものだったが、ラリホーの精度がそこまで高くもない彼女の魔法で、一国の騎士がそう簡単に眠るはずがなく、最終的にオレが兵士に当て身を食らわせることで解決した。さて、ようやく出発できる……と思えばが「このままここに置いていくと風邪をひいてしまいそうですわね」と言い出したものだから性質が悪い。失神状態の、しかも冷気でキンキンに冷えた鎧を身に着けた兵士を焚き火の近くまで運ぶのは魔物と戦う事よりも重労働だった。寮を出たころは夕刻だったはずなのに、今は空を見ると月が出ている。出発前なのにも関わらず、オレは既に疲れきっていた。

「どうするんだ、もう夜だぞ。魔物の強さも昼間とは段違いだ。……また日を改めて、」

「――いいえ、それだけはできません!!」

 オレが諦めて踵を返そうとした瞬間、が珍しく声を張り上げた。それに驚いたオレは、ぴたりと足を止める。彼女の方を振り返ると、いつもの何も考えていないような、締まりのない表情は跡形もなく消え去っていた。揺るぐことのない決意を込めた目で、こちらを見据えている。あぁ、こいつこんな顔も出来たんだなと思うくらいだった。長年一緒にいるが、恐らく初めて見たと言っても差し支えないくらいに彼女は真剣な眼差しをしている。
 何故そこまで……とオレが口を開く前に、察した彼女が話し始めた。

「……もうすぐ、実戦訓練があるのです。ホメロスもご存知だと思いますが」

「ああ。オレ達訓練生が前線で魔物と戦うものだろう?それがどうした」

「――その訓練はかなり過酷なものと聞いています。私たちは訓練生が怪我を負った場合に治療する役割を担っているのです。でも、」

 ぐ、と息を詰まらせたあとに、今迄ため込んでいたであろう胸の内に秘めた悩みを、一気に吐き出すがごとく彼女は言った。

「でも――。私には上位回復呪文ベホマが使えない――!」

 絞るように出した声だった。己の不甲斐なさと、自責の念が籠った声だ。オレはそこで初めての本心を見たような気さえしてくるほどだった。クレイモランにきてだいぶ時が経ったが、彼女は最初からそのような思いで学びに来ていたのであろうか。確かに、オレたちより回復呪文に長けているとはいえ、精度は中の下程度だ。とはいえ、一般的なメイドが使用できる魔法にしては上出来である。それ専門の術者に比べたら劣る、という程度だ。だが、彼女はそう思っていないようだった。

「占い師の方に教わった本さえ読む事が出来れば、私はもっといろんな人たちを助けることができる。もちろん、これからも努力を怠るつもりはないわ。けれど――、それを読むことで、ホメロスやグレイグのように前に出て戦う騎士を今よりもたくさん救う事ができるなら、少しでもその希望があるなら、私はその可能性にかける。だから」

 私は訓練の日が来る前に、その本を読まなければいけないの、と強く言い切った。その後、少し恥ずかしそうにしては「もう暗いですし、ホメロスは戻って休んでください。私は一人でも大丈夫ですから」と声をかけ、門へと歩き出す。門の外は彼女では絶対に太刀打ちできない魔物ばかりだというのに。つくづく馬鹿で後先を考えずにものを言う女だと思う。だが、それら全ては彼女自身のためではなく、その他大勢の、名も知らぬ者たちへの慈しみなのだ。
 ――これだから反吐が出る。オレはこの手の人間が大嫌いだ。何処までも自分を顧みない奴は、いつ、何をしでかすか分かったものではない。この女、いつか他の誰かの為に自滅するのではないかとさえ思う。勝手にしろと思わないでもないが、少なくともデルカダールいちの騎士を目指している手前、目の前で死者を出すと自分を許せそうにない。だからこれは、決してを心配しての行動ではないのだ。

 先行く彼女よりも少し先まで駆け抜け、オレは振り返る。

「……ほら、今日でなければダメなのだろう?早く行くぞ、鈍間め」

「――!」

 そう言うと、は満面の笑みを浮かべながらこちらに駆け寄ってきた。ころころとよく表情の変わる女だ。表情筋が壊れているのではないか。……だが、のこういった面を独り占めできるのは悪くない気持ちだ。口には出さず心で呟いた。

「本当にありがとう、ホメロス!私、貴方のそういうところが大好きよ」

「な――!」

 さらり、ととんでもない事を言ったように思えたが、それを聞いて動揺したのはオレだけだ。当の本人はけろりと何事もなかったかのようにこちらを見ていて……。本当にこのという女、どうしようもないな。彼女に聞こえない程度に舌打ちをして、オレは早足で先を目指した。後ろから「待って~」と気の抜けた声が聞こえたが知るものか。

 図書館を目指し、しばらく黙って歩いていると獣の唸る声が辺りに響いた。吹雪で視界が悪い中、目を凝らすとウルフドラゴンがオレたちの行く手を塞いでいる。こちらが気付いたと同時に、雄叫びをあげて突進してきたのを難なく躱すと、後ろにいたに目を付けたようだった。
 野生の魔物というものは、勘が鋭い。オレよりも彼女の方が容易く倒せる恰好の獲物だと瞬時に判断したのだろうと伺える。

「――!」

 そう叫んだ瞬間、ウルフドラゴンがに向かって燃え盛る火の球を吐き出した。ゴォッ!と勢いよく口から吐き出された火球は周囲の万年雪をも溶かして一直線にに向かっていく。庇おうにも距離があってどうにもならない。

「避けろ!」

 刹那、が歩いていた場所に火球が着弾する。その威力の壮絶さにはオレも驚いた。あれだけ雪が積もっていたにも関わらず、着弾した一帯は地面が顔を覗かせていたからだ。あれを彼女がまともに喰らっていたら――。ハッとして、周囲を見渡した。

、どこにいる!?」

「こ、ここですわ~……」

 声がした方に目をやると、雪まみれになった彼女がオレのちょうど横に立っていた。

「うわっ!何をどうしたらそんなことになるんだ!?」

「私、そこまで鈍い訳じゃありませんわ。ですから、火球が吐き出される直前に逃げようとして、駆けだしたら転んでしまって。そしたら目の前に火球が飛んできて、流石にヒヤリとしたのですが――着弾の衝撃と共にホメロスの傍まで飛ばされたのですわ!雪がクッション代わりを果たしてくれたので、全然痛くも痒くもないですし」

 傷一つありません、と話す彼女をよそに、ウルフドラゴンに目をやる。自分よりも格下なはずの彼女を仕留めそこなった事が余程悔しかったのだろう、怒りを露わにし、今度こそ殺してやるとでも言いたげな眼でオレと彼女を睨みつけていた。オレは腰に差した剣を按じる。に目配せをすると、それだけで理解できたのか彼女はオレの後ろに回り身の安全を確保した。

 ひゅう、と凍えるほどの冷気が頬を撫でる。刹那、ウルフドラゴンが雄叫びと共にオレに飛びかかってきた。既に動きは見切ってある。着地する瞬間、オレは剣を素早く抜きウルフドラゴンの眉間を斬りつけた。

「ギッ!」

「……二度も同じ手を喰らうか、間抜けめ」

 雪を赤く染めながらウルフドラゴンがよたよたと立ち上がる。眉間に一発喰らったのが余程効いたのか、それとも己の血で前が見えずにもたついているのか――恐らくは後者だろうが――、オレは再度剣に手を当て止めの一撃を繰り出さんとした瞬間の出来事だった。
 後方にいるはずのがあろうことかウルフドラゴンの近くで「待ってホメロス!」と声を上げた。

「な、貴様何をしている!死にたいのか!?」

「違うわホメロス、あの木陰を見て!」

 す、と彼女が指をさしたところに目をやると、目前にいるウルフドラゴンをかなり縮めたサイズの魔物がこちらを見ていることに気付いた。

「――子供、か?」

「ええ」

 オレたちがヤツの子供らしき魔物に目を向けていると、それを阻むこのように傷ついたウルフドラゴンが立ちはだかる。この行動を見るにコイツの子であることは間違いないようだ。だが、だからといってこちらに敵意を向ける魔物を屠らなければオレたちの命が危ぶまれる。先ほどはに制されたが、今度こそ止めを刺す――という気持ちで剣を振り上げたがまたしてもがオレを止めた。

「ホメロス!――殺さないであげて」

「~っ!馬鹿か貴様!殺らなければこちらが殺されるんだぞ!!」

「大丈夫です、私が何とかしてみます」

 グルル……と今にも火球を吐き出そうとしているウルフドラゴンに、あろうことか彼女はゆっくり近づいて行った。もうここまで来ると馬鹿を通り越している。おかしいんじゃないのか、という突っ込みすら出てこなかった。オレは諦めて剣を下ろし、彼女がどう出るのかを見ることにした。どうにでもなれ、と半ば投げやりだったのは言うまでもない。

 未だに敵意を向けるウルフドラゴンの前に立つと、彼女はゆっくりとヤツに語り始めた。

「大丈夫ですわ、私たちはこれ以上貴方に危害を加えるつもりはありません。ですから、少し落ち着いてくださると嬉しいのですが……」

 そう語り掛けられたウルフドラゴンはキ、ととオレを交互に見た後、再度に目を向けた。すると、あれだけ敵意を向けていたウルフドラゴンが何事もなかったかのように凛とした眼で彼女を見たのだ。オレは何が起こったのか理解できなかった。確かに書物の中ではその圧倒的な力の前に魔物を平伏させる人間がいたとか、魔物使いと言われる、魔物を使役できる人間がいたという事は記されていたが彼女はそのどちらでもないことは明らかだ。暴れ狂っていたウルフドラゴンを、圧倒的な力があるわけでもなく、魔物使いでもない彼女が鎮めたなど、どう理解できよう。

「ありがとうございます。――貴方の縄張りだと気づかず踏み入れてしまってごめんなさい。私たちは古代図書館に向かう途中でしたの。目的はそれだけですから、貴方が私たちを見逃してくださるなら貴方にも、貴方の子供たちにも何もしませんわ。もちろん、私だけではなく、あちらの騎士――ホメロスも同じ気持ちです」

 勝手にオレの気持ちを代弁するな、と思ったがまあいい。同じ気持ちかどうかも知らんが、対話という前代未聞の方法でここまで落ち着いている魔物に剣を向ける事も馬鹿馬鹿しくてやってられん。

 ウルフドラゴンはというと、彼女の言葉を聞いて安心したのか、くるりと方向を変えて子供らの待つ森へと歩みを進めた。――その時だった。ザシュッ、という肉が斬れる音と共にウルフドラゴンの巨体が雪の上に倒れ込んだのは。ヤツの子供が鳴き声を上げる。しんしんと雪が降る静かな世界に響き渡るそれは、とても悲しい音がした。が倒れ込んだウルフドラゴンへ駆け寄る。

 一瞬の出来事で頭が追い付かないが、耳を澄ませるとウィーン……とこの自然に囲まれた場所に似つかない音を立てている物体に気が付いた。

「――メタルハンターか!?」

 メタル系のモンスターがいないこの場所にいるはずがないのに、とか今の実力で果たして相手ができるのか、とか考えるよりも先に体が動いていた。なぜなら、メタルハンターは動かぬウルフドラゴンに駆け寄った目掛けて剣を振りかざしていたのだから。

 ガキン!と甲高い音を立てて剣同士が火花を散らす。相手の剣を受けただけで分かる、このメタルハンターはオレの何倍も実力が上であると。――だが、ここで尻尾をまいて逃げるわけにもいかない。ここでオレが逃げたら後ろにいるは確実に殺されてしまうだろう。それはあってはならない事だと思っている。オレは騎士なのだ。グレイグと誓ったあの約束が、いつもオレの胸の中で輝いている限り、オレの目前で誰かを死なせるわけにはいかない。

「――!逃げろ!!」

「で、でもっ……!」

「つべこべ言うな!ウルフドラゴンが心配なら回復呪文ホイミをかけろ!そうすれば時期回復する!!お前はそのままクレイモランに戻れ!!」

 よそ見をする余裕さえなく、彼女の方を一切見ずに吐き捨てるように叫んだ。あれこれと無駄なことを考えているオレと違って、メタルハンターは殺戮のみを目的とした、感情のない機械だ。目に見える範囲にいる獲物を殺す、ということだけ組み込んで造られている。元々の実力がオレよりある上に、殺戮だけを目的に造られているなら、目の前の相手を倒す事以外に思考を割いていたらオレに勝ち目などない。

「早く!」

「はっ……はい!」

 たた、と今来た道を駆け抜けようとするにメタルハンターが目を向けた。その一瞬の隙をついて、メタルハンターの頭部に思い切り剣を叩き込む。耳がおかしくなりそうなほどの音が鳴ったものの、当然ながら傷一つついていない。だが、そのおかげでに向いた目は再度オレに焦点を当てた。これでオレが死なない限り、は安全に逃げ切れるだろうと安堵の息を漏らす。それはオレがあいつのことを気にせず戦えるということでもあった。

「――フン、機械風情が人間に勝てるなどと思うなよ」

 キュイイイ……という機械音と共に目にもとまらぬ速さで突っ込んでくるメタルハンターを華麗に避け、姿勢を立て直す。同時、剣を握り直しそのままメタルハンター目掛けてかのハヤブサのように素早く振るう。傷はつかない。だが、ある程度ヤツの隙が生まれるタイミングを感覚で覚えてきた。そして、既に弱点もおおよそ掴んだ。これだけ猛攻を喰らわせてもほとんどダメージがない時点で物理攻撃は効かないのだろう――と、すればコイツに有効なのは魔法攻撃のはずだ。それに、機械ということもあって恐らく雷呪文デイン系か、または爆発呪文イオ系か――どちらも物理攻撃よりかは確実に効くだろう。
 とはいえ、それらの呪文をオレが使えるかは別の話なのだが。

(炎……とすれば、先程のウルフドラゴンが――)

 ちら、と未だ動かないウルフドラゴンに目をやる。浅かった呼吸が既に落ち着いており、傷口も回復呪文ホイミを受けて塞がっていた。あの短時間でどうやったらそこまでの手当てができるんだ、と思うほどにが施した手当ては完璧だ。やはり、あいつにはその手の才がある。あの様子ならばもう少しメタルハンターの攻撃を耐えればウルフドラゴンは回復するはずだ。恐らくウルフドラゴンもやられっぱなしで立ち去ることはないだろう。うまく立ち回ればウルフドラゴンの火球をメタルハンターに喰らわすことができるかもしれない。

(魔物を頼るなど馬鹿げてはいるが――今はそれくらいしか方法がない!)

 剣を構えなおす。刹那、メタルハンターが飛び上がった。目で追えたものの、体が動かない。しまった、と思った時には遅かった。脇腹に鈍い痛みが走る。視界が揺らぎ、倒れそうになるのを必死で耐えた。痛い。今まで感じたことのない痛みだ。体が硬直する。動け、と念じるものの足が震えて動かない。舌打ちと共にメタルハンターを睨みつけた。

「クソッ……」

 メタルハンターが攻撃態勢に入る。避けなければ、という思考に反してオレの足は一向に動かなかった。
 ――恐い。途轍もない恐怖心が更に足を重くする。感じる痛みが更に思考を鈍らせた。

(……オレはこんなところで死ぬのか?嫌だ。グレイグとの約束を果たせぬまま死ぬなんて絶対に!)

 一緒に王国一の騎士になると決めたのだ。こんなところで死んでたまるものかと己を鼓舞する。けれど、やはり体の自由が効かない。滲む視界で、メタルハンターが斬りかかってくるのが見えた。――あぁ、もうダメだ。オレは死ぬ。クソ、やはりあの女の言う事に付き合うべきではなかった。オレが死んだらあの女はどう反応するのだろう。あの女の事だ、一生悔やんで生きるのだろうな。それはそれで気分がいい。どうせ死ぬなら、オレを忘れぬよう呪いをかけて、後悔して生きればいいのだ。
 我ながら、好いた女に対する態度ではないなと自嘲した。――意識が遠のく。突進してくるメタルハンターを前に、オレは膝をついた。さぁ殺せ、と全てを諦めかけたその時だった。

「ッ、お願いウルフドラゴンさん!!ホメロスを助けて!!!」

 メタルハンターの背後から、聞こえるはずもない声がした。幻聴かと思ったが、それは確かにあの女――の声で。今まで見たこともないくらいに必死な顔でこちらに向かって駆けてくるのが見える。出血が酷く、視界も既に滲んでいたというのに、何故かそれだけははっきりと捉えることができた。
 あいつは何故戻ってきた?そのまま逃げておけば、少なくともお前の命は助かっていたというのに。大人しくクレイモランへ戻っていれば、オレの情けない姿も、見苦しい最期も見なくて済んだはずだ。全く、最後まで思い通りに動かない奴だ――と言いたいことは次々と浮かんでくるが、もう口を開くことさえ出来なかった。あぁ、もうダメだ……意識が持たない。の「ホメロス!?」という叫びを最後に、オレの意識は完全に闇へと落ちていった。

***

 全速力で雪原の上を走る。私の全速力なんてたかが知れているし、貴族の娘がそんなはしたない事をしていいのかと非難されそうではあったが、そこまでするには理由があった。はっ、はっ、と息をするごとに凍てついた空気が肺に入り込んできて胸が苦しい。けれど、ああ、だって今にでもあの人が倒れてしまうかもしれないというのに私だけ何もせずにのうのうと生き残っていいのだろうか?そんなわけがない。

(ホメロス、ホメロス――!どうか無事でいて……!!)

 先程までは頭が真っ白になって、彼の言う通り逃げることしかできなかった。言われるがまま、逃げてきた。助けを呼べば、どうにかなるかもしれないと思った。だが、メタルハンターと邂逅したのは雪原のかなり奥の方になってからで、どう考えても助けを呼びに行って戻ってくる時間なんてない。そう思って引き返してきた自分の判断は正しかった。

 遠目から薄っすらと確認できたのは、赤く染まった地面に膝をついて今にでもメタルハンターに斬りかかられそうな彼の姿だったのだから。

「――ッ、ホメロス!!!」

 いくら叫んでも意味がない。必死で足を動かすものの、ただでさえ速くない足が雪のせいでうまく動かせなくて何度も転びそうになった。私のことを鈍間だ、鈍間だと言っていた彼は正しいのかもしれない。こんな時でさえ思うように動けないとは。もっと足が速ければ、否、あの時点で怖気づいていなければ――私がもっと強さのある女だったなら。彼も痛い思いをせずに済んだかもしれないのに。
 自身を貶す暇などないのに、そんなことを考えてしまう自分はなんて弱いのだろう。こんなだから上位回復呪文ベホマが使えないのだ。あれこれ考えているうちに、何かが頬を伝う。それが涙だと気づくのにさほど時間はかからなかった。

 ――あぁ、もうダメ、間に合わない。

 全てを諦めかけたその時だった。メタルハンターが彼に向かって突進しようとする刹那、彼の後ろでうずくまっていたウルフドラゴンがのそり、と立ち上がったのは。

「ッ、お願いウルフドラゴンさん!!ホメロスを助けて!!!」

 気づいたらそう叫んでいた。そのおかげかホメロスがこちらに気付いたようだ。だが、直ぐにどさり、と力なく地面に倒れてしまった。

「ホメロス!?」

 それを見ていたメタルハンターが、勝機を逃すはずもなく素早い動きで斬りかかる。――だが、その剣は虚空を斬るに終わった。ウルフドラゴンがホメロスを抱えて空へと飛び上がったからだ。その光景を見て、思わず呆然としてしまった。まさか本当にウルフドラゴンが彼を助けてくれるだなんて、まるでよく出来た戯曲を見ているようだ。ウルフドラゴンはこちらを一瞥し、メタルハンターの上を旋回して私の下へと降り立った。ぐるる、と喉を鳴らしその場に伏せる様子を見て、直感で「乗れ」と言われていると感じウルフドラゴンの上によじ登る。メタルハンターはというと、勿論ただ突っ立っているわけはなく今度はウルフドラゴンを標的と定め嫌な金属音を立てながら突進攻撃を繰り出した。だが、それを既に見切っていたのかウルフドラゴンは自分とメタルハンターの直線上に火球を吐き出しメタルハンターを威嚇する。
 しかし、殺戮兵器であるメタルハンターが威嚇に怯えるはずもなく再度構えをとると、今度は剣を振りかざし見たこともない速さでウルフドラゴン目掛けて飛びかかってきた。同時、ウルフドラゴンは大きく旋回しメタルハンターの背後に向かってもえさかる火球を勢いよく吐き出した。するとどうだろう。火球の勢いに負けてメタルハンターがそのまま地面にたたき落されていった。

「す、凄い……」

 メタルハンターが落ちた所に目をやると、火球を喰らって熱せられたメタルハンターはところどころ金属が溶けていて、動きが格段に鈍くなっていた。その隙をついて、ウルフドラゴンの子供たちが木陰から出てきてメタルハンターを取り囲む。すると一斉にメタルハンターに向かって小さな火球を吐き出し追い打ちをかけた。それで完全に機能が停止したのか、それっきりメタルハンターが動くことはなく、私はウルフドラゴンの背中に乗りながら安堵の息を漏らす。周囲を確認し、安全だと判断したウルフドラゴンは子供たちが隠れていた木陰付近に身を下すと大怪我を負った彼――ホメロスに寄り添い、私の方を向いた。

「……ありがとう、ウルフドラゴンさん。貴女がいなければ、今頃私たちは命を落としていました」

 そうお礼を言って、ホメロスに目を向ける。酷い傷だ。脇腹を深く刺されたのか出血は未だ治まらずウルフドラゴンの毛色を赤く染めていた。きっと下位回復呪文ホイミやベホイミではどうにもならない。――だが。

「私は、私は……」

 そう。未だ上位回復呪文ベホマを習得できていないのだ。できるだろうか?この私に、瀕死の彼を救うことが。ウルフドラゴンに頼んでクレイモランに連れて行ってもらい、然るべき処置をした方がまだ助かるのではないか?でも、そうも言っていられない。この様子ではクレイモランに戻る前に適切な処置をしなければホメロスは本当に死んでしまう。
 ……やるしかない。習得せずとも、どうにかしなければ彼は死ぬ。こんなところで死なせていいわけがない。出港前に、三人でまた会おうと約束したじゃないか。ここでホメロスを死なせてしまったら、グレイグにどんな顔をして会えばいいのだろう。王にどう言葉をかければいいのだろう。もしそうなってしまったら、皆に合わせる顔がない。それに、ホメロスは私にとって大切な人だから――絶対に助ける。そう覚悟を決め、彼の傷口に手を当てる。

「――命の大樹よ、どうか私の願いを、祈りを聞いてください。ホメロスをこんなところで亡くす訳にはいきません、どうか私に力をお貸しください」

 お願いします、と再度心の中で祈った。ホメロスをどうにか助けたいという一心で大樹に向けて祈りを捧げる。――刹那、吹雪が止んでふわり、と暖かい風が鼻先を擽った。それと同時に私の手元に優しい光が灯り、彼の傷口が瞬く間に癒されていくのを確認する。あまりの出来事に、声すら出なかった。

「これは……習得、できたのかしら……?」

 もう一度、今度はボロボロになった袖部分を捲り擦り傷ができていた腕に手を当てて小さく「ベホマ」と唱えてみる。すると、先程よ同じように優しい光がホメロスの傷を包み、みるみるうちに元の白く美しい腕へと戻っていった。――習得、できたのだ。あれ程習得に苦労していた上位回復呪文ベホマを、この短時間で。何故、なんて考えるまでもない。私の思いが大樹へと届いたのだ。彼の努力と、ウルフドラゴンの助力がこの奇跡を生んだ。

 ――このロトゼタシアの生きとし生ける命はみな大樹の葉として芽吹き、命が散った後もまた大樹へと戻り新しい葉として生まれ変わると言われている。また、大樹の中心には全ての生命のエネルギー源である大樹の魂があるとされた。我が祖国ユグノアでは大樹への信仰が厚い。大樹に関する伝承は幼い頃からずっと聞かされていた。故に、自然と私も大樹を信仰するようになった。だから、この時も普段のように大樹に向けてお礼を述べた。

「命の大樹よ、感謝します。――どうかこれからも、」

 私たちを見守っていてくださいね、と続けようとしたがそれは意外にも目を覚ました彼に遮られたのだった。

「っつ……、馬鹿か貴様」

「え……、あっ、ホメロス!?目を覚ましたのね!」

 傷は消えたが、まだ痛みはあるのだろう。顔を歪ませながらいつもの憎まれ口を叩く。開口一番がそれとは何とも彼らしいが、せっかく命の大樹が祈りを聞いてくださったというのにその態度はいただけない。反論しようと口を開いたが、それは再度彼によって封じられる。

「いいか。ベホマが使えるようになったのは命の大樹のおかげでも、オレの努力でも、そしてウルフドラゴンの助力があったからでもない。……お前の努力がそうさせたのだ。使えるようになったタイミングが今だっただけのこと。大樹に祈っただけで使えるようになるのなら、オレも祈れば使えるということになるだろう。貴様らユグノアの民の大樹に対する盲目的な信仰心はどうにかならんのか?お前自身の努力が功を奏したのだろう、何でも大樹の恵みに置き換えるな。素直に自分の努力を誉めたらどうだ」

 そう言って彼はフン、と鼻を鳴らし、自分に寄り添っていたウルフドラゴンに小さく「助かった」と声をかけゆっくりと立ち上がった。立ち上がったのと同時に一瞬ふらついたものの、その足取りは確かで、先程まで死にそうだった彼と比べるとまるで別人のようだ。それを見届け、自分もどこか緊張の糸が切れたのか彼の顔を見ていたらぼろり、と涙が零れ落ちた。

「なっ……!おい!!どうした!?」

「あ、いえ……何でもありませんわ……何でも……」

 いくら友人とはいえ、異性の前でぐすぐす鼻をすすって泣くのは淑女としてどうかと思う。けれど、彼が確かに生きていることを確認して安堵せずにはいられなかった。
 ――良かった、生きていて。こうしてまた話すことができて。そう何度も何度も心の中で呟くたびに涙となって外へ零れていく。暫く涙は止まらず、ホメロスはその間、あたふたしながら「どこか怪我をしたのか」とか「別にお前を責めた訳ではないだろう」とか珍しく慌てていて、その様子がどうにもおかしかった。思わずふふ、と笑うと「何を笑っている!」とムキになるのも面白くて、今度は笑いが止まらなくなってしまった。そうしている内に吹雪は止んでおり、古代図書館が目と鼻の先にあることに気付き、ひとつ深呼吸をしてから彼と同じように立ち上がった。

「……まぁ、私たちもうこんなところまで来ていたのですね?吹雪のせいで気が付きませんでした」

「そうらしいな。――さぁ、余計な道草を食った気分だが、気を取り直してさっさと行くぞ。当初の目的は既に果たしたが、せっかくここまで来たのだ。戻るのも時間を無駄にしたようで目覚めが悪い」

「そうですわね。……あ、そうだ。ホメロス、先程はありがとうございます。私を励ましてくれて」

 ぺこり、と頭を下げると、彼は一瞬何のことか分かっておらず首を傾げた。だがすぐに思い出したようで、ただただ冷静に「別に、本当のことを言ったまでだ」と告げると顔を逸らしてしまった。その不自然な動きに疑問を抱いたが、彼の耳が真っ赤に染まっていることに気付き合致がいく。照れているのだ。ホメロスは昔からこういうところがある。本音を告げるのが恥ずかしいのか、何かと照れ隠しにあれこれ強い口調で誤魔化したり、その場から立ち去ったり、枚挙にいとまがない。

(――でも、そういった不器用な優しさも貴方の魅力のひとつですものね)

 口に出すと怒られるのは目に見えていたので、そう心の中で告げた。

「おい!何をにやにやしている!?クソッ……、お前という女は毎度毎度!」

「オレを馬鹿にして……ですか?そんなことありませんわ、寧ろその逆です。ホメロスのそういうところ――」

 私は好きですよ、と告げたと同時にとくん、と心音が上がる。どうしたのだろう、と考えていると顔まで真っ赤にしたホメロスが「早く行くぞ!」と声を上げたが、その顔すらまともに見ることが出来ずただただ己の胸に手を当ててぼうっと立ち尽くすことしか出来なかった。

お互い恋に気付いても進展が遅いんだろうな……。

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