名前を呟くだけの無意味な後悔

 セピア色に染まった景色であると言うのに、どうし てかその女中の髪色と瞳の薄ら青い色だけは鮮明に映っていた。

 呼べば、女中は振り返る。刹那、ザリ、砂を噛んだように軽く入るノイズが、これは夢なのだとホメロスを確信させた。そんなものがなくとも、これは夢だと分かってはいるのだが。と呼ばれた女中は、ホメロスに向かって薄く微笑んだ。
 ――彼女を亡くして、早数年は経った。もう既に、彼女の声がどんなものであったか思い出せない。だからなのか、ホメロスにはが何を言っているのか、全くと言っていいほど聞き取れなかった。
「······ス、ど――――――?ふふ……」
 けれど、なんとなく雰囲気で名前を呼ばれた事は理解できた。目を細め、手を口に添えて笑う、その一挙一動がホメロスの胸をぎゅう締め付ける。

 自らの意志に反して、反射的に伸びた手が掴んだものは虚空であった。確かに、はホメロスの目の前に居る。けれど伸ばした手はを突き抜けて、 宙を彷徨っているだけだ。ホメロスの心に沸々と、燻ったものがこみ上げてくる。だがそれを言葉にはしなかった――否、できないのだ。故に、それは消化不良となって怒りの感情に変わる。
「オレを笑いにでもきたのか?あぁそうさ、オレは貴様さえ守る事のできん役立たずだ」
 ふ、ホメロスは嫌味たらしく口角をあげる。は、タイミングよく驚いた様子で、けれどすぐに眉を下げ、悲し気な瞳をホメロスに向けた。
「どう――――――?そん、…………わ」
 の声は、相変わらず聞こえない。だから、会話が成立しているのかどうかさえホメロスには分からなかった。意味を成さないこのやり取りが、ホメロスの怒りを助長する。
 夢も、光も、友も、そして、この目の前に映る愛さえも、今のホメロスにとっては有象無象にすぎなかった。どうせ皆、自分を置いていくのだ。許せない。 夢は終えた。光も消えた。友は口当たりの良い言葉だけ を吐いて、何も理解しようとはしない。愛は、ホメロスを嘲笑うかのようにして突如命を絶った。どれも許せなかった。
「……ス、―――し、…………ょう?」
 ノイズが酷くなる。そろそろ目覚めの時だと、ホメロスは悟った。
「もう二度とオレの前に現れるな。目障りだ。……その目も、振る舞いも、全てに腹が立つ。消え失せろ」
「………ロ、そん……――」
 ホメロスが、その言葉に怒声を重ねようとした瞬間、ノイズがいっとう酷くなって世界が暗転した。そのままゆっくりと目を開けると、白いシーツと、少し離れた場所にある机が目に付いた。ここが私室であると、ホメロスは瞬時に理解する。そして

よ」

 ぽつり、消え入る声でそう呟く。二度と会いたく ない、はずだ。そうでなくてはならなかった。ホメロスは、自身のを捨てなければならないのだから。 縋る事など、してはいけない。これから世界を壊す男に、逃げ道など必要ないのだ。 ここまで来るのに、いろんなものを捨て、踏み潰してきた。ホメロスが彼女であればこそ、選んだ女でさえ、葬ったのだ。故に×××××××しているなど口に出すのも反吐が出る。
 ホメロスは、シーツをぐしゃりと握り締め、苦虫を噛み潰した。

題名のままです。ホメロスって本当に不器用な男だな、と思います。

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