春 S1

予想以上の盛り上がりを見せたドリフェスが終わり、辺りは日が落ちてもうすっかり暗くなっていた。今年の公式ドリフェスは、ここ最近で行われていたどのイベントよりも、″ファン″の私たちからすれば興味深い内容だったに違いない。長らく活動を休止していた朔間零率いる『UNDEAD』や今年結成したのか、初めて聞く名前のユニットも出場しており、ほぼドリフェスの内容を事前に知っていた私としても驚きの連続だった。中でも、最も驚いたのは夢ノ咲学院ナンバーツーのユニットである『紅月』が、まだ結成されて間もないユニットに敗北した事だ。名を、『Trickstar』。夢ノ咲学院アイドル科の二年生を中心としたユニットだと、幼馴染である生徒会副会長――蓮巳敬人から聞いている。
 このドリフェスが行われる以前から、彼は「何かきな臭い動きが目立つ」と零しながら、眉間のしわを更に寄せていたのを思い出す。これまた幼馴染である生徒会長の天祥院英智が長期入院中の現在、学院の最高権力者である敬人は想像以上に摩耗していたらしく、このような不測の事態を防げなかったようだ。

 今日起こった出来事を脳内でひとつひとつ思い起こしながら、私が向かったのは生徒会室。無論、彼――蓮巳敬人と話をするためだ。もう日が暮れてから随分経つというのに、生徒会室のドアからは薄っすらと室内灯の光が漏れている。……本当に仕事熱心というか何というか、色々と心配になる幼馴染だ。
 コンコン、と二回ほどノックをしても返事はない。毎度のことなのでスルーして、重い生徒会室のドアを開ける。

「こら、返事くらいしなさいよ。敬人?」

「帰れ馬鹿。何時だと思っている?……今日は貴様と話すことなどない、というより見てわからんのか?俺は機嫌が悪い」

「そんなの見りゃわかるわよ、何年の付き合いだと思ってんの。……ひっさびさにアンタが敗北したのを見たよ、いいねえ、青春じゃん?」

すると、先程までピクリとも動かなかった眉に突然しわが寄る。黙々と書類作業に勤しんでいたがその手すら止め、おもむろに立ち上がった。椅子を思い切りひいた音が生徒会室内に響き渡る。

「それ以上言うな、本当に怒るぞ……!」

「やっと顔上げたね敬人。ごめんごめん、意地悪なこと言って。……お疲れ様。わかってるからさ、そんな顔しないで。」

 せっかく綺麗な顔立ちをしているのに、似合わないほど顔をしかめている幼馴染の眉間を人差し指で突くと、諦めたのかいそいそと椅子に座りなおし、また書類とにらめっこをし始めた。彼が書類をさばく音だけが室内に響く中、向かい合う形で席を取る。

「ねぇ、何か手伝おうか?」

「ふん、貴様に任せられる仕事なぞあるはずないだろうが。いいから本当に帰れ、俺は夜通しでも何ら問題はないが貴様は違うだろ」

「あのさぁ、せっかく心配してきてあげたのにその態度はなによ~!まぁいいけど。いつも通りハンコ押すくらいならやるから半分寄越して」

 残業しているサラリーマンの机の上に乗っているのか、とでも言いたくなる量の書類を半ば強引に自分のところに引き寄せる。そうでもしないと、この頑固な幼馴染は梃子でも動かないし、私の言う事に聞く耳を持たない。黙って書類を半分引き寄せると、チッ、という舌打ちが聞こえたが知らんぷりをしてそのまま書類に目を通す。
 内容は今回起こった事件の始末書やら、ドリフェスに関する書類やらで、到底一人で捌ききれるようなものではない。しかし、それらを今の今まで一人で、わざわざこんなに夜遅く残ってまで作業に徹していたのだ。今日、あんな事があったにも関わらず、たった一人で――。理由なんて問うまでもない、あまりにも遅くなりそうだったので、先に他のメンバーには帰るように伝えたのだろう。姫宮くんはまだ一年生だし、お坊ちゃんでもあるので家の規律というものが存在するだろうし、弓弦くんは彼の従者。主人だけ先に帰すわけにもいかないだろう。真緒くんは……今日のドリフェスで想像以上に疲れているはずだ。それはきっと敬人も同じだろうけれど。
 どれ程お人好しなのよ、と心底思う。誰かに頼ればいいものを、自分の荷物を他人に押し付けるような真似は絶対にしない。そのくせ他人からの荷物は易々と請け負って……そんなことを続けていたらきっとこの幼馴染は潰れてしまうんじゃないか、倒れてしまうんじゃないかと心配するのも当たり前だ。話せばいつものように「馬鹿か」と罵られるだろうと確信しているので絶対に言わないつもりではあるが。
 エナジードリンクを片手に黙々と書類を捌く彼を見つつ、彼に倣って同じようにただただ書類にハンコを押していく。作業音だけが響く生徒会室からは、彼が目指している"輝かしいアイドルの未来"なんて想像すらできない。

「どうするの、これから」

「……どうも何も、学院の規律を守らぬ輩は潰すだけだ。英智が帰るまで、俺はこの学院の最高責任者だからな。無様な姿を見せるわけにはいかん」

「……そう、だよね。まぁアンタならそう言うと思った」

「なんだその含みのある言い方は。俺は与えられた使命を全うするだけだ、英智のためにも今倒れるわけにはいかない」

 そう言いきる彼の目に一切の迷いは見えなかった。鋭い剣のような、形容しがたい思いと覚悟を秘めた目つきだった。確固たる信念と、決意と、それらをぐちゃぐちゃに混ぜたような――、けれど芯だけは確かに存在してる。そこに迷いなんてなかった。
 彼は、ふっとその目を伏せると、また書類を捌き始める。

 ……彼と、英智が何を思ってかの革命を成し遂げたのか、私は薄っすらとしか把握していない。その内容でさえも彼らは何も話してはくれなかったからだ。けれど、そのやり方が良くないものであることだけは馬鹿な私にも何となく想像がついている。周りの反応や生徒会に対する噂を耳にすれば自ずと理解できた。今回のTrickstarの革命だって"そういう事"なのだろう。
 ――でも。だとしても私だけはこの二人を絶対に信じてやるべきだと思うのだ。幼馴染として、それだけは絶対に譲れない私の願いであり祈りだった。他の誰が何と言おうと構わない。私が泥にまみれようともこの二人だけは絶対に汚させない。私はアイドルではないから、表舞台に立てる訳ではないけれど、それでもやれることはたくさんあるのだ。

「……敬人が"そう言う"ならそれが正しいよ。大丈夫、今まで頑張ってきたもん。私はそれを誰よりも傍でずっと見てきたから。アンタが倒れないように私が支えるから、だから大丈夫」

「は?どうしたんだ急に……。いやまぁ、気持ちはありがたいんだが」

「何でもない、ただの独り言だよ。気にしないで」

 随分と大きい独り言だな……、と彼は苦笑する。
 あぁ、やっと笑ってくれた。私が入ってきたときからずっと硬い表情だったのが、ほんのわずかに緩ませることができた。今はこれでいい。書類もだいぶ捌き、ようやく終わりが見えてきた。そっと席を立ち、窓の外を覗く。生徒会室を優しく照らす月が、雲の隙間から光をのぞかせた気がした。

今でもこのメインストーリーを読み返すと初心を思い出します。

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