喧嘩祭

どうしてこうなった。そんな言葉が頭を過る。私は今、何故かサングラスをかけた黒服の男たち数人に取り押さえられ、身動きが出来ないでいる。部活を終えたばかりで汗臭いのに、そんなに密着されると色々困るんだけどな……なんてことを考えながら、男たちにあれこれと命令を下す見知った顔の男の子――英智に声をかけた。

「ちょっと英智?これ、どういう事なのか説明してくれない!?」

「後でね。……あ、うん。この子はリムジンの後部座席にでも乗せておいて。僕はこの書類を生徒会室に届けたら戻るよ。それまで逃がさないようにね」

 私の質問には一切答えず、英智はさっさとアイドル科の校舎へと向かって行く。私はというと、それはそれは丁重に天祥院家が所持するリムジンまで連れていかれ英智が戻るのを中で待つことになった。逃げ出すことも可能だったが、こちらに危害を加えるような素振りもなく、何よりも英智は幼馴染である私に対してそのような乱暴を働く男ではない。一瞬緑色の髪をした眼鏡の幼馴染が脳内を掠めたが、あれと英智の関係はまた別だ。「申し訳ありません、さま」と黒服の男……もとい天祥院家に仕える執事がよく冷えた紅茶を手渡してきた。お礼を言いつつ受け取り、こくり、とひとくち含むとダージリンの芳醇な香りが広がる。マスカットやローズといったフローラルな香りを堪能していると、英智が乗り込んできた。

「おや、が紅茶を嗜むなんて珍しいね。僕はてっきり、敬人が居れたお茶しか飲まないものだと思っていたよ」

「何それ~。確かに敬人が淹れるお茶は美味しいけど。英智が淹れた紅茶もちゃんと飲んでるでしょ」

「そうだっけ」

「そうだよ」

 それは失礼、と口では言うものの絶対に「失礼」なんて思ってもいない顔でこちらを見る英智。最近体調が良くないと聞いていたが、ぱっと見は元気そうに感じた。けれどもそれは一瞬のことですぐにけほ、っと苦しみを感じさせる咳が何度か響く。執事が慌てて英智のそばに駆け寄り背中をさすったが、英智はそれを払いのけた。

「英智さま、」

「こほっ……、大丈夫。気にしないで、このくらいは平気だよ」

「そう、ですか……」

 心配そうに英智を見る執事に対し、英智は柔らかく微笑みかける。その後すぐに英智は私の方を向き直す。翌々見ると、普段は赤みが差している頬は若干青白く、額には冷や汗が滲んでいた。本当に大丈夫なのだろうか。気持ちが伝わったのか、英智は私の言葉を聞く前に「大丈夫だから」と制した。
 英智は昔から身体が弱い。けれども、そうやって病人扱いすると途端に機嫌が悪くなる。ひ弱だから、とか自分は何もできないお坊ちゃんじゃないんだ、とか英智の言い分は何となく察していたから、私もあまりそういう扱いはしなかったけれど、敬人は違った。特に最近は目に見えて過保護になったと感じている。一年前に英智が倒れた事があったので恐らくそのせいだと思うけれど。敬人も敬人なりに英智を尊敬しているのだろうけれど、そこまで過保護になられても鬱陶しいのだろう。ただ、敬人の気持ちも理解できる。彼にとって英智は誰よりも大事な幼馴染なのだ。もちろん、私にとってもそうだから、心配してしまうのは仕方のないことだと英智にも理解してほしい部分はある。

「……さて、。急に連れてきてしまってごめんね」

「ホントだよ、私、これから陸上の大会も控えているのにさ~。……で、何?」

 そう問えば、英智はいたずらっ子のように、口元に弧を描いた。その時点で、多分この次に出てくる言葉は大体いいことではないのだろうと想像がつく。私が徐に口を開く前に、英智は被せるようにしてこう言った。

「単刀直入に言うよ。――、君は”喧嘩祭”が始まるまでの間、僕の家の敷地から出ることを禁止させてもらう。もちろん、外と連絡を取ることも許さない。君の存在は、邪魔になるからね」

「……?」

 開いた口が塞がらないとは正にこのことで。人間、本当に驚いた時には言葉が出ないという事を身をもって体験したのだった。英智は言うだけ言って、さっさとリムジンを降り、また校舎へと戻っていく。「ちょっと、」と追いかけようとしたが、執事に止められ私はそのまま天祥院家へ連れ去られてしまった。

(え、これ監禁じゃない?大丈夫なの……?)

 なんて、これから置かれる状況について冷静に分析している場合ではない。とりあえず家族に連絡を、と思いカバンからスマホを取り出した刹那、目にも止まらぬ速さでそれを奪われてしまった。あーあ、これはもうどうしようもないな。

***

 天祥院家に着くなり、私は早々と客人用にしては随分と豪華な部屋に通された。雪もびっくりな程に白い大理石の床に、絵本の中でしか見たことがないような天蓋付きの大きなベッド、絢爛豪華な調度品に、天祥院家の手入れが行き届いた庭がよく見える大きな窓。これ、下手するとどこぞのリゾートホテルの比ではないのではないか。これ一泊おいくらなんです?と思わず問いたくなるくらいには豪華だった。何度も遊びに来たことはあれど、元々天祥院家の敷地は膨大で、部屋の数も数え切れないほどある。私と敬人はいつも英智の部屋周辺以外は通ることもなく、こうして細部まで見て回る機会はなかった為、新鮮な気持ちだ。
 スマホが没収されてしまったので両親と連絡が取れないが、その旨を案内してくれたメイドに問うと予め英智が両親に話をしてくれていたという。抜かりないな……と思いながらメイドに礼を言って、英智の帰りを待つことにした。ただ、何もせず待っているというのは退屈だ。こんな広いお屋敷、探検できる機会は滅多にないので色々見て回るのもいいかもしれない。大会直前だし、庭にでて走り込みするのはどうだろう。そういえばテストも間近だった気がする……とあれこれ案がたくさん浮かんできて逆に困った。

「は~、何しようかな……」

 あれこれ悩むのは柄じゃない。とりあえず思い立ったことを全てやってみようという気概で、まずは部活直後で汗をかいていたことを思い出し、ただの女子高生が入るには豪華すぎる風呂に直行した。

 シャワーを浴びて、諸々身支度を済ませた後、若干の眠気に襲われ気づいたら部屋の時計が午後六時を指している。ゆっくり身を起こし窓の外に目を向けると、英智が伏見に付き添われて帰宅している姿を目撃した。足取りを見ると体調が万全ではないとよく分かる。迎えに行こうと思ったが、丁度執事が数人出迎えに出ており、私の出番はなさそうだった。大人しく英智がこの部屋に来ることを待つ。
 数分後、コンコンとドアを叩く音が聞こえた。

、僕だよ」

「おかえり、英智」

 ゆっくり部屋のドアを開けると、制服姿のまま英智がそこに居た。着替えてくればいいのに、と言えば「急を要する話なんだ」と返され、彼は部屋の中へ入ってくる。そのまま英智は椅子に座ると「とりあえずこっちに来てもらえるかい」と言った。英智の言葉通り、私はテーブルを挟む形で英智と向き合う。平静を装っているものの、英智の顔色はあまり良くないことがわかる。けほっ、と数度咳き込むのを見てそれは確信に変わった。

「ちょっと英智、アンタ無理してるんじゃないの?」

「……大丈夫。気にしないで、君も知っているだろう?僕はあまりそういう扱いをされたくないんだ。それなのにあいつは、」

「――敬人のこと?」

 そう問えば、英智はゆっくりと頷く。私がアイドルとか、芸能デビューしていたなら話はまた変わったかもしれないけれど、そういうわけではないし、消去法で私と英智が共有している事柄は敬人のことだけ。だから、わざわざ自分の家にまで連れてきて話がしたいことと言えば、敬人のことしかないだろうと思っていたが、まさか本当にそうだとは驚きだ。

「で、こうやって外部と連絡してほしくない程に秘密にしておきたい話っていうのは?聞いてあげるけど、答えようによってはそこの窓から脱出するよ」

「ふふ。たとえ出来たとしても、君はそんなことをしないだろう?――端的に言おうか。僕はね、敬人と喧嘩がしたいんだ」

「……うん?」

 勝手にすればいいじゃん、とか、その話とこの監禁はいったい何の関係が?とか、突っ込みたい事はたくさんあるが、言葉が出てこなかった。ただただ目を見開くことしかできないでいる私を見て英智はクスクスと口元を抑えて笑う。
 敬人と喧嘩がしたい?いったいなぜ。敬人が英智に何をしたというのだろう。そうしていると英智は私の顔を見て何かを察したのか、いたずらな笑みを浮かべた。

「ほら、君はそうやって敬人のことばかり考えているだろう?だからだよ、。君がいると絶対敬人に余計なことを言うだろうし、変に気を回そうとするのは目に見えている」

「……黙っててほしいって言ってくれれば言わないけど」

「それだけじゃない」

 そう言って、す、っと目を細める英智。その顔は、私の心の中の、自分でも理解できていない何かを捉えたかのように思えた。だからなのか、私はその目を見つめることができずにそっと視線を逸らしたのだ。理解できていないというよりも"理解してはならない"と言った方が正しいかもしれない。今まで築き上げてきた何かが壊れてしまいそうで、本能がそれを理解することを拒んでいるような、うまく言えないけれどそんな気持ちになった。きっと分からないままの方がいい。そう思って自ら蓋をしている部分を見透かされているかのような気分だ。

「――なに」

「僕は心配しているのさ。……君も、もう少し考えた方がいい。手遅れになる前に、きちんと整理しておくべきだと思うよ」

「何それ、全然わからないんだけど」

「そうやって見ないフリをするのかい?まあいいけど。……これは僕の優しさだよ、。幸いまだ時間はあるし、ゆっくり考えるといい。じゃあ、今日はこの辺で失礼させてもらうよ」

 ちょっと待って、という私の制止も聞かず英智は部屋を出ていってしまった。聞きたいことは山ほどあったが、きっと聞いてもいつものようにはぐらかされて終わりなのだろう。――けれども、英智が言いたいことは私も何となくわかっている。咄嗟に「全然わからない」と嘘をついてしまうほどには、隠していた悩みがあった。それこそ敬人についての事だ。
 私と敬人は、仲が良い。そう自負しているし、きっと敬人も同じように思っているだろう。お互いに気心も知れているし、いい意味でも悪い意味でも互いに遠慮がない。それだけ仲が良い事は、悪い事ではないし、寧ろ良い事なんだろうと思う。でも、それは私と敬人が同性同士だったらの話だ。私と敬人は、異性である。男女の友情が成立しないと思っているわけではないけれど、こうして悩んでしまっているのが現実だ。それに、敬人はアイドルで、私は単なる一般人。"今まで通り"が通用しないことくらい、私にもわかっている。敬人にこの悩みを打ち明けたとしても、優しい彼の事だ。「またそんなくだらん話を」とかなんとか言うのだろう。でも、それではいけない。アイドルという輝かしい道を歩む彼の障害にはなりたくなかった。
 けれど、そんな私の思いとは裏腹に「敬人と離れたくない」という私の欲が湧いてくることも事実だ。恋とか愛とか、そんな気持ちからくるものではないのだが。

(じゃあ何なのか、っていうのもわからないけど。)

 ――いいなぁ、英智は。
 ぼんやりと英智が出ていったドアを眺めながらそう思った。実際に殴り合いをするわけじゃないのだろうけれど、拳と拳でぶつかり合って、お互い納得がいくまで殴り合って気が済んだら一緒に笑いあえるような喧嘩が出来るのは英智と敬人がどちらも男であるからで。自分の中でぐるぐると渦巻いている形容し難い気持ちを拳にのせて敬人と喧嘩できたなら、私もすっきり出来るのだろうか。なんて、到底叶うはずもない願いを胸の奥底にしまい込んだ。
 そもそも敬人にとって、英智と私では"重さ"が違うのだろうと思っている。どっちがより大事とか、そんなくだらないことを言いたいんじゃない。英智と敬人は魂の双子……というより、同じ魂を共有しているようにも見受けられる。昔からそうだった。アイドルになりたいと二人が夢を語っていた時も「俺たちの夢は一緒だ」と、あの時はその言葉に大して疑問に思わなかったけれど……。今思えばあれも到底私には話せないような、難しいことを二人で考えていたのだろう。敬人にとって、英智は魂を分け合ったかけがえのない友だ。対して私はどうだろう。きっと、この場所に立っているのは私じゃなくてもよかったはずだ。偶然、住んでいる家が敬人の家の近くにあって、蓮巳寺と交流があって、親族が亡くなった時にお世話になっただけ。幾つもの偶然が重なって出来た関係であって、別に敬人と出会えたことが運命とか、英智みたいに敬人と魂を共有しているとか、そういう関係じゃない。

「……そもそも、昔から二人とも私には何も教えてくれないもんね」

 私にとってはかけがえのない幼馴染だったとしても、二人にとっての私は、案外その程度なのかもしれない。ふぅ、と深く吐いたため息は広い広い部屋の空気に溶けて跡形もなく消えてしまった。

全三編になる予定です。

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