俺がどんなに傷つくことになっても

―――ねえ、敬人。
そういって、彼女はいつも笑う。決まってこの後には「いい天気だね」とか「ノート見せて」とか随分くだらない話題を振られては俺を呆れさせる。天気がいいのは兎も角、3日に一度は必ず「ノートを見せて」と強請ってくる事に関してはそろそろ堪忍袋の緒が切れそうだった。貴様、授業中は何をしている?と問えば元気よく「寝てる!」と答えるので軽く頭を拳で小突く事はもはや習慣になっているような気さえしていた。

今日も変わらず、あの屈託のない笑顔を向けられるのだろうと、そう思っていた。

―――ねぇ、敬人。

そう呟く彼女の横顔は、何処か寂しげで、ちらりと覗く瞳は微かに赤く色づいている事を俺は見逃さなかった。
人間、思いがけない出来事が起こると、声も出ないとはよく言ったもので、まさに今の俺がそのような感じだった。言葉に詰まっていると、普段とは打って変わって悲壮感を漂わせながら、いつもくだらない話題が続くと思っていたその呼びかけの後には、決して口を開くことはなかった。

シンとした雰囲気の中、ただ二人黙って歩みを進める。気の利いた言葉すらかけられない自分をこれ程までに責めたことはない。いつもは顔を合わせれば言い合いをし、稀ではあるが本当に喧嘩に発展することもあって、彼女の存在を鬱陶しいと感じたこともある。だが、こうして彼女がいつもの笑顔を見せないことでこれ程まで狼狽える自分がいるのだ。そういった状況だからこそ、いつも心に秘めていた自信が確信に変わる。

―――やはり、俺はコイツの笑顔に支えられているのだ。
アイドルとはいえ、俺も家に帰れば一人の男子高校生である。父がいて、母がいて、兄がいて……そういった日常の中には彼女もいた。俺を応援し、支えてくれる人がいるからこそ、俺はアイドルとして活動できる。「敬人」と名を呼んで、向日葵のような眩しい笑顔を向ける彼女も例外ではない。彼女だって、俺の大切な日常の一部であることを再認識する。

守らねば。守ってやらねば。どんな手を使ってでも、俺は彼女と、彼女の笑顔を守らねばならない。それが俺の日常であり、支えなのだから。彼女の笑顔があれば、たとえ俺がどんなに傷つくことになっても、その痛みに耐えることができるのだから。

そう決心し、隣を歩く彼女の手を握る。すると彼女は「……元気づけようとしてくれてるの?ありがとう」と言いながら、やんわりと微笑んだ。

不器用な敬人くんは可愛いなあと思いながら書いたものです。

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