月に触れぬ指先

 彼の声が好きだ。笑顔が好きだ。男の子だなぁと思わせる手も好きだし、その仕草も、長ったらしい説教は少し苦手だけれど、私のためを思ってくれてると考えれば愛おしい。どれ程の"好き"を彼に向けたってまだ足りないくらいだ。小さなころからずっと一緒で、この関係が永遠に続くと思っていた―――のに。

 「なんでこうなっちゃったのかなぁ……」

 ぽつり、とつぶやいた言葉は誰に届くことなく空気に溶けて消えていく。なんで、どうしてと自問しても答えは返ってくるはずもない。
 ふとベッド横を見ると、棚の上に彼と自分が並んだ写真が目についた。写真の中の自分は馬鹿みたいに笑っていて、それにうんざりしつつも釣られて笑みが溢れている彼の、日常を切り取ったある日の写真。

 「ねぇ、聞いてよ過去の私。好きな人ができたの……誰だと思う?」
 
 ―――あのね、その隣に立っている人だよ。

 へら、と困ったような笑みを浮かべながら自答する。途端に、脈打つ心臓が速度を上げるのがわかった。頬が熱を帯びて、鏡を見ればきっと林檎みたいな頬になっているだろう。

 「……なぁんて、等の本人は気付いていないんだろうなぁ」

 部屋の天井をぼんやりと見つめる。このような何でもない時間でさえ、頭に浮かぶのは彼のことなのだから相当惚れ込んでいるのだろうなと自覚せざるを得ない。窓の外を見ると、星が散らばる空に優しく照らす大きな月が見えた。手を伸ばせば届きそうなくらい大きいのに、その手が掴むのは虚空だけだ。

 「まぁ、届くはずないよね。当たり前か」

 地球にいる人間が月に手を伸ばしても届かないように、一介の学生が輝くアイドルに恋をしてもどだい実る筈がないのだ。たとえそれが、幼馴染だったとしても……否、幼馴染だからこそ実る"べきではない"。私たちには小さな頃から築き上げてきた立場がある。距離がある。それを簡単に崩せるほど私は何も考えない子供じゃないし、かといって弁えられるほど大人じゃない。

 「ねぇ、好きなんだよ。どうしようもないくらい好きで好きで仕方ないの。どうすればいい?いつもみたいに、偉そうにアドバイスしてよ敬人。度し難いって、馬鹿馬鹿しいって叱ってよ……苦しいよ、助けてよ……」

 やっと吐き出した言葉が、嗚咽と共に漏れ出す。つう、と頬を伝う熱い涙が枕に吸い込まれていく。

 しばらくすすり泣く声が聞こえたかと思えば、泣きつかれたのか数分も経たずに辺りは静寂に包まれる。外を優しく照らしていた月は、一連の様子を黙って見ているようだったが、彼女の想う月は未だに彼女の想いに気づかずにいる。

届かないからこそ美しい、というのもありますね。

Back