殉情の宵

ベッドに横たわり、うとうとと微睡んでいたその時だった。枕元に置いたスマホが忙しなくバイブ音を鳴らしたのは。せっかく今日は早く寝れそうだと思っていたのに、私の快眠を邪魔する輩は誰だと心の中でため息をつきながら画面を見る。パッと明るくなる画面に一瞬目がくらむ。その間にもスマホはなり続けていて、切れても困るなあと思い誰だかわからないままに電話に出た。

「ふぁ~い、もしもし?」

『―――何だその腑抜けた声は』

「……、……え?」

 微睡んでいた頭が一気に覚醒する。電話口に出たその人の声を聞いて思わずスマホの画面を見直すと、そこにははっきりと「敬人」の文字があった。時刻は夜の十一時。敬人がこんな時間まで起きているなんて珍しいなぁ、なんて思いながら再度スマホを耳にあてた。

『すまん、就寝中だったか?』

「……まぁ、でもいいよ気にしないで。珍しいじゃん、こんな時間まで敬人が起きてるの」

 そうだな、と短く電話越しに彼は呟く。本当に珍しい。夢ノ咲学院を卒業してからは山の上にある実家の寺ではなく、ES内の寮に住むようになったと聞いたから、多少夜更かしでもするようになったのかと考えたが、それは彼の口から否定された。どうやら、今度出演する予定のテレビ番組の打ち合わせが思ったよりも長引いてしまい、諸々やることを終えた頃には十一時をまわっていたらしい。

「ふーん、じゃあ眠いんじゃないの?」

『少しはな。だが……どうにも寝付けずに暇を持て余していた。特にやることもないし、この時間にレッスンなどできないからな』

「なるほど。それで?暇だから、久々に可愛い幼馴染の声でも聴きたくなったってワケ?」

 そうやって茶化すと『そんなわけがあるか』と一喝された。何もそこまで思い切り否定しなくてもいいじゃん。

「じゃあ、何で電話してきたのよ」

 用件は?と問い詰めて見ると、彼にしては珍しくあー、だのうー、だの唸り始めた。歯切れが悪い。やはり単に声が聴きたかったのではないのかと、ほんの少しだけ期待に胸を膨らませた。先程は幼馴染、と言ったのだが、正式には違う。いや、幼馴染でもあるのだが、私たちにはそれともう一つ、この関係を表すに相応しい熟語がある。「恋人」だ。
 そう、私たちは付き合っている。学院を卒業する前に、色々とあってこういった関係に落ち着いたのだ。彼は巷でもかなり有名なアイドルユニット『紅月』の首魁である蓮巳敬人。彼と私は幼馴染で、これまた有名なアイドルユニット『fine』のリーダー、天祥院英智もそこに加え本当に小さなころから三人で遊ぶ仲だった。彼らがアイドルを目指すようになってから、何となく私だけが置いて行かれた気がして当初は引け目を感じ、一人遠くに逃げようと思ったけれど、彼―――敬人が手を引いて、私を導いてくれた。もちろん英智にも「君は一般人である前に、僕らの大切な幼馴染だ」と告げてくれたおかげでこうして繋がりを保てている。

 今や"アイドル"の地位はそれこそ一大国家を築けるのではないか、というレベルになっている。これも彼が所属するESの力もあるのだけれど、そういった理由で私たち一般人と彼らアイドルには深い溝があるように感じてならない。こうして付き合っていても、大学の友達みたいにツーショットをスマホの待ち受けにするわけにもいかなければ、そもそも彼と付き合っているなんて口に出してもいけない。別にそれで苦労することはないけれど、やっぱり寂しく感じることも多いのだ。公の場で堂々とデートだってできないし。

『そ、それはだな』

「なぁに~、もう、ホント明日早いんだから用件があるなら」

 早く言ってよね、と口に出そうとした時に彼がもごもごと何かを話した。

『―――かっ、かわ……、……が聴きたくて』

「なに~?」

『あぁもうっ、お前の声が聴きたかったんだ!!』

「えっ」

 何それ、さっき私が言った事と全く同じじゃん……なんて心の中で返事をしたが、なんと情けない。私の口から出たのは驚きの言葉だけだった。いや、だってあの敬人がそんな可愛いことを言うなんてさすがに心の準備が必要というか。普段はそのような言葉は殆ど言わないどころか、付き合い始めてすでに半年は経っている気がするけれど数えても片手で足りるくらいな気がする。幼馴染故に甘い言葉を吐くには照れが入ってなかなか口に出せない上に、彼の性格を考えるとそんな簡単に甘い言葉が聴けるとは思えなかった。それくらい分かっていた事だし、大して不満に思ったことは―――多少はあるものの、私だって彼のことをとやかく言えた立場ではない。私も、そういった類の言葉をかけたのは両手で事足りるくらいだろう。幼馴染カップルなんてそんなもんだ、と割り切ってはいたのだが。

『だ、だから……!』

「え、いや、ご、ごめん。……本当にそうだとは思わなかったっていうか、―――え、それホント?」

『俺が嘘でこんな言葉をかける男だと貴様は思うのか!?』

「お、思いません」

 電話口の声はほんの少しだけ震えている。きっと電話の向こうでは普段の澄ました顔を思い切り紅に染めて、少し涙目になっているのだろうなぁ、なんて想像してみた。あぁ会いたい。あれだけ近くにいたのに、今じゃ偶に連絡を取り合って、こっそり逢瀬を楽しむ程度になってしまった。先程の通り公の場では会えない上に、専ら私が赴くことが多くて、電車で数時間かけて会いに行ってもすぐに帰ってこなければいけない事が多かった。私にも大学の事がある為、そこまで恋愛に現を抜かしているわけにもいかない。インストラクターになる為にはそれなりの資格を要するし、それの勉強だってしなければならないのだ。私は座学が苦手だから、尚更時間を割かねばそれで食いつなぐ事は不可能。……けれども、私だってまだ十八歳の女だ。頭ではわかっていてもそれを理性で制御出来たなら苦労しない。

『……その、やはり今までとは勝手が違うから、俺も不安なんだ』

「不安って何が」

『あー……。いや、その、』

「あ~!もしかして浮気してるんじゃないかとか!!?ひっどい、私をそんな軽い女だと思ってたの!?」

 む、っときてそう声を上げると『そうではない』と意外と冷静な声で彼は返事をした。

「じゃあ、何?」

『単刀直入に聞くが、お前はこうして中々会えず、公の場で会うこともできない男と付き合っていて幸せなのか?』

「……あぁ。そういう事、ね」

 ちくり、と少し胸が痛んだのが自分でも分かった。そんなことはない、と言えたならいいけれど、私もそこまで大人にはなれない。手放しで「幸せだ」と言える女なら良かったのかもしれないが、もうこの時点で言葉を詰まらせている。心配をかける訳にいかないよなあ、と頭では理解しているつもりだ。けれども、少しだけ我儘を言いたいと思ったのも事実で。なんて答えようか迷ってしまった。

『―――すまない、変な事を聞いた。忘れてくれ』

「……なぁにそれ、自分で聞いたんだから私の答え聞いてくれたっていいじゃん」

『うっ……。いや、しかし、』

「あのねぇ、そりゃ手放しで幸せ!って訳ではないよ。そりゃそうでしょ、周りとは違うんだからさ」

 そう返すと、彼は小さく同意の言葉を電話口で呟いた。

「だってさぁ、友達とか先輩とか、みんな当たり前のように彼氏とか彼女の話で盛り上がっててさ。私はほら、さすがに"あの蓮巳敬人と付き合ってます"なんて言えないから黙って聞いてるけど、そうやって聞き専でいると"も早く良い男見つけなよ!"とか言われるし」

『そ、そうなのか』

「そ~だよ、言われずともこっちは誰よりも良い男と付き合ってるっていうのに」

 ―――あ、マズい。つい本音が漏れてしまったと後悔しても遅かった。電話口で敬人が慌てているのがわかる。面白いな、なんて思う私も、今急激に自分の心臓が早鐘を打ち始めた。体温が一気に上昇し、クーラーをつけているというのにまるでサウナにでも入ったかのようだった。熱い、とても。きっとこの場に敬人がいたら相乗効果で更に部屋の温度が上がりそうだ。

「ま、待って待って今のナシ!」

『……』

「なんで黙ってるの!?」

『い、いや。その……普通に嬉しかった、だけだ。その……、お前がそう思っているなら、それでいい』

 安心した、と何とも耳障りのいい声で話すのだから、更に照れてしまう。

「もう寝ていい!?あ~あ眠かったから変なこと言っちゃった!!」

 この微妙な空気に耐え切れず、そう叫んだが、それの返事はない。電波でも悪いのかと思い確認するもしっかり四本のアンテナが光っている。もしもし、敬人?と聞いても、返事はなかった。おーい、と三度呼び掛けると『大丈夫だ、聞こえているから』と少し緊張しているような声で返事が返ってきた。不可解な間に頭を悩ませていると、その答えはとんでもない形となって耳に入り、私の周りはピタリと時を止めた。

『……、―――。大好きだ』

 返事なんて出来なかった。

『その、お前は……どうなんだ』

 そんな事言われましても。こちらは滅多に聞くことができないアンタの惚気に驚いて声も出ないというのに。あぁ、ほんとこの場に敬人がいなくて良かったかもしれない。会いたい気持ちはおかげさまでかなり強まったけれど、この場に彼がいたら私が今どんな顔をしているか知られてしまう。ふ、とベッドサイドにある鏡を見るとスマホの光で照らされた頬が林檎のように赤く染まっている。こんな姿、絶対に見られたくない。恥ずかしくて、今すぐ電話を切って布団にもぐってしまいたいが、流石にそれは憚られた。そんなことをすれば敬人はショックを受けて寝込んでしまうかも―――なんて思うのは思い上がりすぎだろうか。

『……?その、』

「―――そんなの、答えなんて一つに決まってるでしょ」

 ……大好きに決まってる、大好きだよ敬人。
 自分でははっきりした声で返したつもりだけれど、彼にはどう聞こえただろうか。声の震えが伝わっていたら情けないなぁ、なんて思いつつ「もう寝るね。おやすみ」と一言告げて電話を切った。

 どくり、どくりと自分の鼓動がうるさくて、今夜はまだ眠れそうにない。

たまには甘い話を書いてみたかった。ズ!!軸の二人はいつも通りに見えつつもお互い想いあっているので雰囲気は甘いかもしれないですね。

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