愛を以て

 ――ねぇ知ってる?紅月のさぁ……。
 ――あぁ。なんか新人アイドルを虐めてる~とかいうやつだよね?

 こそこそと講堂の後ろの方からそんな話が聞こえてくる。ここのところ、私が通う大学ではほぼ毎日似たような話が繰り広げられていた。大学程度で留まるならまだいい。SNSを開いて、検索欄に『紅月』と入れるとサジェストには炎上だとか、嫌いだとか、そんな言葉が羅列していた。ネット上でも同じ話題で持ちきりだ。正直、うんざりしている。昨日まではあれだけ応援していたユニットを、どうしてそう簡単に罵ったり、あることないこと吹き込んだりできるのだろうか。ファンなら、彼らを信じてあげるべきなんじゃないの?と思えど、そんなことを口にしても、有名人でもない私に現状を変える力は持ち合わせていない。それに、多分あいつはそんなことを私に対して望んでいないだろう。

「はぁ……」

「どうしたの~、?ため息なんてついちゃって」

「――え?」

「も~、なんか今日変じゃない?まあ、気持ちはわかるけどね。紅月ファンでしょ、あんた」

 どうやら自分は無意識にため息をついていたらしい。そんなことにも気づけぬ程疲れているのだろうか。親友が「どうしたんだろうね~。紅月がそんなことするはずないと思うけど」と何やらフォローしているものの、全く耳に入ってこない。別に、落ち込んでいるとか、怒っているとか、そういう訳ではなかった。こういった事態になっても、何もできない自分に嫌気が指しているだけである。自分はプロデューサーでも、マネージャーでも何でもない、ただの一般人だから。あいつが……敬人が、大変な事になっているというのに、私は相変わらず何もできないのがもどかしい。
 今朝も、何度も連絡を入れようか否か迷った。敬人のラインを開いて、メッセージ欄に『大丈夫?』と打っては消し、を繰り返して、結局何も送らずに時間だけが過ぎている。

「は~~……」

「ま~たため息吐いて!幸せ逃げちゃうよ?」

「そうだけどさ~……。だってなんか、みんなおかしいよ。情報に踊らされすぎというか……」

「まあね。でも、周りに何言っても今は無駄だと思うよ。みんな不安なんでしょ。それよりもが出来ることすればいいんだって」

 それが分かっていたらこんなにため息ばっか吐かないよ、なんて心の中で言い返す。けれども、この親友は私の考えることなんてお察しのようだった。高校のころからの付き合いで、ある程度は私の交友関係も知っている。明るい笑顔を浮かべて彼女は言う。

「あるでしょ。さっきから何躊躇ってんのか知らないけど、さっさと連絡とっちゃいないよ。何度も何度も同じ言葉入れては消してるの知ってるんだからね」

「ちょ、勝手に覗かないでよ!えっち!!」

「はいはい、ごめんなさい~」

 じゃあ、先に食堂行ってるから、と言う事だけさっさと言って、彼女は講堂から出て行った。
 ――私のできること、かぁ。
 そう言われてもな、と思いつつ、再度敬人のラインを開いた。数日前にやり取りした履歴が目に付く。珍しくお互いに時間が取れたので、私たちにしてはだいぶ長電話をした。大体は私が大学であった事を話したり、講義で分からなかった事を敬人に聞いて教えてもらったりしている。関係こそ変わったものの、高校時代と変わらないやり取りを続けている事がなんだか面白い。あの時なんて言って電話を切ったんだっけ、とふと数日前のやり取りを思い出し、ハッとした。

「――あ。そうじゃん」

 そうだ。私には何もできないとか、あれこれ難しい事を考えている場合じゃない。あるじゃないか、私にも出来ることが。白く塗りつぶされたメッセージ欄を文字で埋めていく。とはいえ、長ったらしい文章など必要ない。気持ちを率直に伝えるなら、言葉は短い方がいいのだ。たた、と素早くフリックで文字を入力し、あれだけ押せずにいた"送信"のボタンをとん、と押す。

「これで良し、と」

 メッセージを送り、そのままスマートフォンをカバンの中に入れ、親友の背を追って私も食堂に向かう。相変わらず周囲は紅月の話題で持ちきりだったけれど、先程までの憂鬱な気分が嘘みたいに無くなっていた。そう、そもそも悩むこと自体が間違っている。自慢ではないけれど、私は大して頭がいいわけではない。敬人にも「貴様の脳内には何が詰まっているんだ?」と言われるほどには。だから、あれこれ悩んだって仕方ないのだ。私は、私が思ったことをやればいい。
 ふと空を見上げると、そこは私の心境と同じくらいによく晴れた青空が広がっていた。

二編になっております。

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