ピアノ ※グレホメ

 ちょうどお互い非番だったので、グレイグの「少し外に出てみないか」という誘いに珍しく共感したオレは、デルカダール城を出て少し歩いた先に或る導きの教会付近へと足を運んだ。基本的に非番の日は私室に籠もり、兵法の本を読みつつ、密かに愛好しているダーハルーネから取り寄せたスイーツと甘いレモンティーを片手に優雅に過ごすのが楽しみだった。今日もそうするつもりではあったが、なんとなく気が乗りこうしてグレイグと外に出てデルカダール城付近の見回りも兼ねながらゆっくり過ごすことになった。存外、悪い気はしないものだ。そう思わせるのも、この美しいデルカコスタの景色と、導きの教会から薄っすら流れてくるパイプオルガンの音のせいか。

「―――美しいな」

「は?……どうしたんだホメロス」

「お前の耳は飾りか?……教会から流れてくるだろう、パイプオルガンの音が」

 そう言うとグレイグは数秒目を閉じた。オレたちの周りを包むのは風の音と、教会のオルガンの音だけとなる。さあっ、という穏やかな風と共に、何とも荘厳で美しいミサの曲がオレたちの耳を通っていく。

「あぁ本当だ。……懐かしいな、この曲。俺の故郷、バンデルフォンでも聞いたことがある」

「そうなのか?」

 オレがそう問えば、グレイグは少し寂し気な目をして遠くを眺めた。眺めている方角は言わずともわかる。グレイグの亡き故郷、バンデルフォンが在った方だ。今から十数年前の話、魔物の大群に襲われた花と芸術に栄えた騎士の国バンデルフォン。当時、訓練と勉学に明け暮れていたオレは外の情勢などどうでもよく、知ったことではなかったが、グレイグがデルカダール城にやってきて毎日毎日泣き言を零すものだから嫌でも耳に入った。あの時のことはよく覚えている。泣きわめくグレイグに腹が立って「お前がそんなに泣き虫なら、バンデルフォン王国の騎士も皆泣き虫なんだろうな」と言ったら取っ組み合いの喧嘩になったこともいい思い出だ。―――今ではもう、そのような喧嘩すらしなくなってしまったが。

「……俺の家の近くに教会が建っていてな。ミサの時間になると、信者たちが教会に集まってお祈りをするんだ。俺も父上に連れられ一緒に祈ったよ。最近ではそういう事はしなくなったが、教会を見るたびにふと思うのだ。懐かしい、あの景色を―――色とりどりの花畑と、美しい金色の小麦畑をな」

「そうか」

 故郷を語るグレイグを見て、オレもふと思い出したことが一つあった。
 ……そういえば、まだオレが城に預けられる前に、この教会から流れてくる曲と似たような曲を、母上がピアノで弾いていたのだ。二階にある少し広い部屋で、窓際に置かれた黒く美しいグランドピアノ。暖かい太陽の光に照らされながら、ピアノを優雅に弾く母上の姿はまるで聖女を思わせるほどに美しかった。技術も申し分なく、オレもああいう風に弾けたならかっこいいだろうと思い、いつもピアノを弾く母上の膝に座り「僕にも弾かせてください!」とよくせがんだものだ。何度か教わったがどうも母上のようには上手く弾けず泣いたこともあった。ある程度上達し、もっと上のレベルの曲を教えてもらおうと思った矢先に、母上から急に城へ向かうように言われ、それはもう二度と叶わぬ夢となってしまった。

 ―――母上の死を知ったときは悲しかったが、涙も出ず、これからどうなるのかとどこか他人事のように思っていた。あの頃のオレは、神童なんてもてはやされ、先輩たちにはかなりやっかみを受けたものだ。努力をしていなかった訳ではなく、むしろ母上の言葉通り、立派な騎士になるべく鍛錬も勉学も寝る間を惜しまずに続けた成果であるというのに、どうにも周りからすれば"天性の才"だと思われていたらしい。あれこれと家庭事情やオレ自身の出生まで噂にされ、そのせいかどこか感情を抑え過ごしてきた幼少期。大きくなるまではこれが続くのだろうと半ば諦めつつ過ごしていたが、それを打ち破ったのは紛れもない、隣に立つ我が友、グレイグだった。
 母上の死を知り、泣きもしないオレの代わりに、グレイグが思い切り泣いてくれたことで、釣られてオレも我を忘れて泣いた。久々に流した涙だったと記憶している。城に預けられる前、最後に母上と一緒のベッドで寝たときに「母上と離れたくない」と泣いた夜以来だった。

「……ホメロス、おい、ホメロス!」

 懐かしい思い出に浸っていると、教会から流れる曲はもう止んでいた。グレイグが不思議そうな面持ちでこちらを見ていることに気づく。

「―――ん。あぁすまない。なんか言ったか?」

「いや、珍しく黙り込んでいたから気になったのだ。考え事か?」

「違う。……お前と同じく過去の記憶に浸っていた」

「ほう!聞いてもいいか?」

 これと言って面白いことは特にないぞ、と告げたが「それでも聞きたいのだ」と返された。オレは先程まで浸っていた記憶を手繰り寄せ、グレイグに話す。ピアノを母上が弾いており、オレも少し嗜んでいた事を伝えるとグレイグは驚いた様子で問う。

「ホメロス、お前……ピアノ、弾けるのか!?」

「あ、あぁ。……話したことがなかったか?」

 てっきり話したつもりでいたが、そんなことはなかったらしい。グレイグは「いや、初めて聞いた。お前はとても美しいから、ピアノを弾いているお前の姿はきっと絵になるぞ」などと外見からは想像できぬような、ロマンチスト然とした台詞を口にする―――否、そういやコイツの故郷バンデルフォンは芸術の国だった。そう考えるとグレイグもある程度の美的センスと芸術センスは持ち合わせているのかもしれない。それが周りの人物から見て正しいかどうかはまた別の問題ではあるが。
 グレイグはぶつぶつ独り言を呟いた後に、あ、と何か思いついたようにこちらを見る。

「なぁホメロス!今度ぜひピアノを弾いてみてくれないか?」

「は?」

「聞いてみたい。きっと何でも出来るお前のことだから、ピアノだってそうなのだろう?なぁに、恥ずかしがることはない。オレはそっちの才能はからっきしだからなぁ」

 ははは!とグレイグは大口を開けて笑う。もし弾くとしても、ピアノに触ったのはあの日以来となる。はてさて、身体があの感覚を覚えていればいいのだが、と懐かしい記憶に思いを馳せながら、オレは期待に胸を膨らませるグレイグに対し「仕方ない。聞き惚れたら美味い酒でも奢ってくれよ」と返したのだ。

第129回のお題。ピアノが弾けるホメロスに夢見てる。

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