その日は、憎らしい程に快晴だった。
レンガ造りの道を、馬車が駆けていく。がらがらと音が鳴る中で、はたった一人、キャリッジにいた。末妹とはいえ、はれっきとした国の王女だ。従者もつけずに出歩くことなど、本来あってはならない事だった。
娼婦の母は自身を産んで直ぐに死んだ。物心ついた時には、既に城の中に居たように思う。血の半分が穢れているからと兄弟姉妹から蔑まされ、凄惨な虐めを受けているにも関わらず、父である国王はそれを見てみぬふりをした。家族皆から見捨てられた哀れな王女。国一番の美貌と、彼女の努力で得た才がそれを助長した。誰彼構わず、勝手に男が堕ちていく程の美貌は彼女を”傾国の魔女”と称すには最適だったし、秀でた才も同等だった。出る杭は打たれるのだ。何とも思わなかったわけではない。だが、目を背けたくなるような日々は、幼いの心を殺すに充分だった。
以来、泣く事も笑う事もやめ、一切の感情と表情を消した彼女を気味悪がり、世話係以外は誰も彼女に近寄らなくなった。はそれで良いと思っていたし、いっそこのまま、誰にも知られずこの世から去れたならいいのに、と思っていた矢先だ。縁談が持ちあがったのは。相手は悪名高い戦争屋、海遊国家ジェルマ王国の第一王子らしい。体のいい厄介払いをされたのだろうとは思った。
興味も無いしどうでもいいけれど。
本日を以て、は故郷である国を去る。第一王子の妻となれば、二度と戻る事は無いだろう。だから、何もかも置いてきた。家族も、侍女も、この国の思い出も。持っていくものは、己が身と大事に育てていた藤の苗ひとつ。それ以外は文字通り灰にしてきた。城を出る前日に「私の痕跡を燃やしてほしい」と国王に伝えたら、特に何の反応もせずその日のうちに事が済まされたらしい。庭の藤棚だけは惜しいと思ったが、到底持っていく事などできなかったし、いいように使われるよりかは見納めにした方が良いと苦渋の決断をした。
もう、この国にの居場所はない。それで良かった。は徐に来た道を振り返る。城がどんどん遠くなっていくも、何の感情も湧かなかった。
「さようなら、顔も知らぬお母様」
は、ぽつりと呟く。何処からか、藤の花が香った気がした。
***
窓から入ってくる潮風が、の肌を撫でる。は数人の侍女に囲まれ、丁寧に化粧を施されたり、髪を結わえられたりとされるがままでいた。お綺麗です、などと言葉をかけられながら、鏡の中の少女は大人びた表情へと変化していく。そうして、あっという間に式の身支度を終えた。
が鏡台の前にすくり、と音もなく立ちあがる。重力に倣い上から下へさらさらと流れ落ちていくウェディングドレスのレースや真っ白のシルク布。一部を横に結い上げ、ふわりとの動きに沿って揺れ動く髪からは華やかな香りが一面に舞い上がる。差し込む日光がを照らした。顔を覆い隠しているヴェールから、ガラス玉の赤い瞳が覗く。が、薄い桜色に彩られた唇を徐に動かした。
「どうかしら」
その様子を見て、その場に居た誰もが言葉を失う。
陽の光を一身に浴び、純白のドレスに身を包んだはこの世のありとあらゆる美を詰め込み、自分の物へと昇華していた。まさに究極の美の結晶が、其処に”在る”のだ。の言葉に返事が出来るものなど、誰ひとりとしていない。皆、彼女に堕とされ、動けなかった。は周囲の様子を見て、ひとつ息を吐く。その行動一つでさえ目を惹いてしまう。周囲の侍女は誰も使える状態ではなくなってしまった。
「そういうの、困るわ。……そろそろ時間なのでしょう?」
その言葉に、ハッと我に返った侍女の一人が言う。
「た、大変失礼いたしました、様。あまりの美しさにどうお声をかければいいのか分からず……」
「いいのよ。私の準備は出来たわ。直ぐに会場へ向かわなければ遅れてしまう」
「え、えぇ!ぜひ、イチジ殿下もきっと様の美貌に驚かれることかと!」
侍女の言葉に、は静かに瞼を落とした。そんな事、有る訳がない。感情を失くした人間兵器が美しいものを美しい、なんて思える事か。けれど、それで良い。がこれから結婚する相手に求めることなど、一つしかないのだから。美しいなんて思われなくていい。一般的な幸せや家族も必要ない。夫からの愛も、要らない。そんなものは全て煩わしいだけだ。が望むものはたったひとつ。
自由だ。
誰にも侵されず、ただ静かに花を愛で、一人過ごせれば後はどうだっていい。
「……だと、いいわね」
一切抑揚のない声でそう返した。
さて、と侍女が鉄と木で造られた扉を開ける。ぎぎ、と重い音を立ててゆっくりと開いていく。会場までの道には鮮烈な赤いカーペットが敷かれていた。薔薇のように豪奢で美しい赤には思えなかった。ここは戦争の国、ジェルマ王国だ。には、会場までの道のりが人間の血で彩られたもののように見えた。どす黒く、ところどころ薄汚い茶に変色した、血の道だ。ジェルマ王国に嫁ぐという事は、そういう事なのだ。幾ら感情を殺しているとはいえ、足が竦む。自由を得る為の対価は大きい。頭では分かっていたが、いざ現実のものとしてその場に直面すると然しものも思う事はある。ここまで来てしまったら逃げる事は出来ない。――特段、そのつもりもないのだが。
は、一歩、カーペットへ踏み出す。真っ直ぐに前を見つめても、先は暗くどうなっているかなど視認できなかった。
こつり、こつりと強化ガラス製のヒールが鳴る。はカーペットの上をトレーンベアラーを任された侍女と共に歩いていく。ブライズルームと近い場所に会場があると思っていたが、そうではなかったらしい。それなりの道のりがあったようで、会場に行くまでも動きにくいウェディングドレスでは少々苦労した。侍女とは一切話さなかった。ジェルマ王国の事を少しでも聞いておくべきだっただろうか。または、今後夫となる人物について多少なりとも為人を聞くべきだったかもしれない。
「……」
今から結婚するというのに、にはどうも関心が持てなかった。興味もないし、顔合わせをした時も妻としての役割を果たしていればそれでいいという契約だ。向こうもなど単なるおまけのようなもので、欲しい物は動かぬ広大な土地と、これから集うであろう戦争のデータだけだ。思わず呆れたように笑みが零れる。
「緊張しておられますか?」
侍女が声をかけてきた。一言も発さなかった為に、緊張していると勘違いされているらしい。
「えぇ、まあ……そうかもしれないわね」
まさか花嫁が此度の結婚に興味関心を一切抱いていないとは思うまい。それに、勘違いされている方が都合が良かった。は侍女の言葉を肯定し、目を伏せる。それと同時に、式の為に用意された会場の扉へとたどり着いた。両隣には扉を開ける為の執事が並んでいる。中から音は全く聞こえてこない。ロイヤルウェディングだというのに、随分静かだと思った。
はひとつ大きく息を吸い、吐き出す。そうして
「開けてくださる?」
言った。
同時に、の何倍もの大きさがある豪奢な扉が重い音を立ててゆっくりと、確実に開いていく。中のシャンデリアの光が一筋漏れて、だんだん幅が大きくなる。の頭上に乗ったティアラが光を受けて、輝きだした。
「様のご入場になります」
アナウンスが流れ、は伏せていた目を開け前を見る。
会場を照らす、ダイアモンドであろう宝石が散りばめられた豪勢なシャンデリア。壇上にまで伸びた、深い赤のバージンロード。フォーマルな服装に身を包んだジェルマ王国と親交のある国々の貴族。ところどころに並べられたテーブルの上には絹のテーブルクロスがかかっていて、上に乗る食事や酒のグラスは相当値が張るものだろう。
壇上には既に、新郎――ヴィンスモーク・イチジが立っている。目にするのはこれで二度目だ。とは対照に、漆黒の軍服に身を包んでいた。軍服の正式な名称などはあまり詳しくはないが、胸につけている勲章の数を見るに齢十九とは思えない程の活躍をしているらしい。一体何歳から戦地に赴いていたというのか。飾緒やらエポレットやらと上が豪奢な一方でパンツはと同じく純白のシンプルなつくりのものを履いている。腰に下げた細身の剣や軍服に合わせた黒いドレスシューズがより彼の王子らしい高貴さを演出していた。
はバージンロードへ一歩踏み込む。刹那、わあっとバージンロードの両側から歓声や拍手が会場を染めた。それらを全く気に留めず、はただ、壇上にいるイチジだけを見て進んでいく。貴族らは口々に「おめでとうございます」「ジェルマ王国に栄光あれ」などと言った称賛の声を投げかけてくる。
「あれがイチジの?上物じゃねェか」
「そうかァ?私にはすぐ壊れそうに見えるが」
「ちょっと、やめなさいあなた達」
途中、野次のような声が聞こえ、は足を止めずとも横目でその方向を確認した。青い髪と緑色の髪をした似たような顔つきの男がこちらを見てにやにやと嫌な笑みを浮かべていて、それを桃色の髪をした美しい女性が窘めている。事前に聞いていた姉弟たちだろう。一切反応を見せずにいたら、舌打ちが聞こえた。そうして、は一歩、また一歩とバージンロードを進んでいき、漸く壇上に立ちイチジの隣へと並ぶ。拍手や歓声が一度鳴りやみ、会場を静寂が包んだ。
「――様」
目前に立つ神父が言う。
「汝はジェルマ王国の輝く星、ヴィンスモーク・イチジ殿下を夫とし、いかなる時も死がふたりを分かつまで……夫のみに添う事を誓いますか」
「……」
直ぐには答えなかった。こんなものを誓って何になるというのか、という思いがにはあったからだ。どうせ単なる政略結婚だというのに。けれども、答えは一つしか許されない。形式的に、そう決まっている。
「誓います」
神父はその言葉を聞き、今度はイチジに同じ質問をした。
「ヴィンスモーク・イチジ殿下。汝はを妻とし、ジェルマ王国の可憐なる華として妻を想い、愛する事を誓いますか」
「誓う」
「では、ここにヴィンスモーク・イチジ殿下及び、ヴィンスモーク・妃殿下のご成婚を宣布いたします」
イチジがどんな思いで隣に立っているのかなど、には知る由もなければ、関係のない事だった。まだ顔を合わせて二度目の男に何を誓えと言うのだ。そしてそれはイチジにも言える事である。ある意味、この人も難儀な御方だと哀れみのような同情を抱いた。そういった気持ちを抱くのでさえ、無意味だと知っている。どうせ分かり合える事も無いのだから。
「誓いのキスを」
神父は淡々と厳かに告げる。イチジとはここで初めて互いに向き合った。特に浮上する感情も無い。ただ、火花に燃ゆる赤い瞳がをじっと見つめていた。
あの時――初めて会った日と同じ目をしている。の心の奥底を見透かすような、鋭く聡明な瞳だ。目を逸らしたいはずなのに、どうしても目が離せない。その理由など分かるはずもなく、ただただ、はイチジの瞳を見つめ返す事しかできなかった。それでもやる事はやれねばならないと思っているのか、身体は勝手にヴェールアップの動作に移行する。片足を下げ、そのまま沈み込んだ。練習なんて一切していないのに、の一挙手一投足は指先や足先まで洗練された動作を描く。幼い頃叩き込まれた礼儀作法が今でも生きている証だ。そうしていれば、イチジがふわりとヴェールを上げる。花嫁のヴェールは、二人の間にある障壁を表しているらしい。それを新郎側が上げる事で、壁を取り去って永遠に結ばれるという意味が込められているのだとか。こんな薄いレースが自分たちの障壁だとは、笑わせる。どんなに分厚い壁を用意されたって、イチジとの間に立つ壁には敵わないだろう。
ヴェールが完全に上がりきり、の全てがゲストらの前に晒される。どよめきや感嘆の息を漏らすもの、現実的ではない美を前にふらつく者など反応は様々だが、イチジは特に反応も示さず、軽く顎を上げ目を瞑るへと口付けを交わした。にとっては人生で初めてのキスだ。だというのに、何ひとつ感じるものはない。
胸が躍るキスなんて、絵物語みたいな話ね……なんて思うことくらいしか出来なかった。
夜も深まった頃。
は与えられた私室のベットに腰を落とし、疲れた身体を休めていた。式の後に披露宴がある事は最初から分かっていたが、常人よりも体力の劣るには酷である。披露宴のプログラムなども事前に確認はしていたけれど、想像以上に体力を消耗した。特に、慣れないガラス製の靴を履いていた事もあって靴擦れを起こしていたし、ウェディングドレスも装飾やレース、生地がふんだんに使用されているので通常のドレスよりも重量がある。そんなものを身に着けて何時間も動き回らなければいけないのだから、疲労もそれなりになるというものだ。
「……疲れた」
はひとり呟く。珍しく深いため息を吐いて、どさりとベッドへと横たわった。湯浴みも既に済ませている為、このまま眠ってしまいたい気分だ。すぅ、とゆっくり瞼を落としそうになると、侍女が控えめに声をかけてきた。
「あの、……お疲れところ申し訳ありません、妃殿下。間もなく王子殿下が来られる頃合いかと存じます」
は落としかけた瞼を上げる。そうして、ふっと息を吐くように笑った。この侍女は何も悪くない。確かに、愛し合う二人で結婚をしたのなら来るのだろう。所謂、初夜と呼ばれるものだ。王族でなくとも、結婚初夜は存在する。の故郷でもそういう文化はあったし、多くの国や文化圏で夫婦たるもの、性的パートナーでもあり、それが長年無いというだけで離婚が成立してしまう事だってある。とりわけ、夫婦となってからのそれは夫婦関係を構築していく為の一歩として特別視されている……なんて馬鹿馬鹿しい。
王子殿下が来るだと?そんな訳ないだろう。
に求められているのはイチジの妻として在る事、ただそれだけだ。もっと踏み込んで言うならば自分はお飾りの妻で在れという事だった。そんな女に初夜などは不要だ。
「あなたの名前、ナスタ……だったかしら」
「は、はい」
「殿下は来ないわ」
「ですが……」
「ふふ、本音で話しましょうかナスタ。あなた、ジェルマ王国に勤めて長い侍女なのでしょう?ならば知っているはずよ」
そう詰めれば、ナスタは黙り込む。そう、知らないはずがない。
「ジェルマの王子殿下たちは揃いも揃って女好き。それに癖もいいとは言えなくて、連れ込まれた女性がたった一日で国へ帰るなんてよくある事……そうでしょう?社交界で噂にならない訳がないわ」
いくら故郷で虐めを受けていたとしても、は王女だ。社交界デビューも果たしているし、そこで立つ噂は全て記憶している。そういう場は女性貴族にとって一つの戦場だ。結婚に興味はなかったが、ある程度王女としてやっていく為に情報収集やコネ作りは必須であった。そこでまことしやかに言われている噂の一つだったのだ。
――ジェルマ王国の王子たちは総じて女扱いが悪い。
ジェルマ王国が本当に存在するかどうかすら怪しかったし、くだらない噂話だとは思っていた。上部で様々な情報操作がされていたのか事の真偽も不明で、そんな話はどこの王族にもよくある。けれども、実際にジェルマ王国に関わったとされる令嬢はその後ひとりだって社交界で見かける事はなかったし、火のない所に煙は立たぬとはよく言ったものだ。侍女の反応を見るに、その通りに違いない。
「私はただの噂だなんて思ってないわ。これに関しては妙に具体的に話されていたから。あのルックスだものね?別にそういう事に困っていないでしょうし、それは私の役目ではないのでしょう。どうせ今頃、気に入った淑女でも連れ込んでよろしくやっているのではなくて?」
はベッドの縁に座り直し、手をひらりと動かす。ナスタはの様子を見て一瞬手を止めるも、すぐさま恐れ入ります、と返事をした。ほうら、やっぱりそうなのよ。明日には様々な書類にサインを書かされて、契約完了となり、それでイチジとの関係は終わり。はそう思っていた。
「ねぇナスタ、疲れたわ。寝る準備を……」
してもらえる、と言いかけ口を閉じた。突如開いた私室の扉から慌ただしくメイドが入ってきたからだ。
「妃殿下。い、イチジ殿下がお越しになりました……!」
思わず目を見開く。嘘だと言って……なんて思いも虚しく、が入室許可を出す前に、無口な王子は部屋へと入ってきた。
「……何故、寝る準備などをしている?」
「こ、これは……イチジ殿下。まさかお見えになられるとは思わず」
はしまった、と思い焦る。今のは完全に失言だ。
「おれが来ない方が良かったと?ハ、それでも構わんが、妻である以上体裁は保ってもらわねばならない。おれも処女を抱く趣味などないが……夫の寵愛を受けぬ妻の肩身の狭さは知っているな?」
「それは……」
事実だ。イチジの言っている事に間違いなどない。
「無論、この国においてそれが意味を成す事は無いが――」
それは、どういう意味なのだろうか。問うても答えてくれるような雰囲気ではなかったので、はイチジの話を遮らなかった。
「貴様には妻としての役割を全うしてもらわねばならない。政略結婚とはいえ、お前はおれの妻となった。ならばおれの物らしくそれ相応の立場で行動する必要がある事は理解しておけ」
「なるほど。イチジ殿下の体裁の為にらしく振舞えと、そういう事でございますね」
「話が早いな」
イチジは多くを説明しないが、つまりはこうだ。
が寵愛を受けておらず、単なる飾りの妻だと外に漏れたらヴィンスモーク・イチジという男の名とジェルマ王国の威厳に傷が入るという訳だ。それに、寵愛を受けぬ妻の扱いなど酷いものだと聞く。本来、尊重されるべきものが尊重されず、侍女や執事から白い目で見られるなどといった事はよく聞く話だ。妻がそのような扱いを受けていたら、他国からの印象は悪くなる。イチジは自分の名に傷がつく事を避けたいのだろう。だから、趣味でもない女を抱くのだ。そこにの感情や意志は関係ない。自分が正しく在るために正しいことをするだけのことだ。愛や恋などそんなちっぽけなものは存在せず、イチジとの間にあるものは何処までいっても、契約という名の支配だ。完全に物扱いなのだとは理解した。自分たちの関係などそれでいい。それだけで自由を得られるなら、あの地獄のような日々から解放されるなら、安いものだ。
「分かりました。私はどうすれば?」
は問う。イチジの返答は短いものだった。
「おれの部屋に来い。侍女共は置いておけ、邪魔だ」
「畏まりました。準備が整い次第、向かいます」
イチジはそれに返事などはせず、扉の音が閉まる無機質な音が部屋に響いた。
***
外を見れば、欠けた月が空に浮かんでいた。時刻は既に十二時を回っている。挙式に披露宴と忙しなく疲労も溜まっているというのに、これから初夜まで済ませねばならないらしい。
……せっかく休めると思ったのに。
嬉しくも何ともない誤算だ。ぺたぺたと、踵の低い靴では石造りの廊下をひとり歩く。侍女を連れてくるなと言われたら、そうするしかない。確かに、夫婦の契りにおいて他者の存在などは不要だ。部屋の前に待機され音が漏れでもしていたらと思うと気が散る。幸い、に与えられた私室からイチジの私室までは遠くない。痛めた足でも何とかなる。侍女に教えられた道順を辿り、数度右左折を繰り返してイチジの部屋へとたどり着く。扉の前には誰もいない。は控えめに扉を叩いた。
「殿下、遅くなり申し訳ございません。少々、準備に手間取ってしまい」
そう声をかければ「入れ」と短い返事が聞こえてきた。失礼します、とは扉を徐に押してイチジの部屋へと足を踏み入れる。
まず目に入ったのは、美しく整頓されたウイスキーボトルの棚だった。あの日もウイスキーをボトルで飲んでいたわね、と初めて会った日の事を振り返る。イチジの部屋には、無駄な物が一切ない。どこまでも合理性を追求する彼らしい部屋だ。大理石造りの部屋で、非常に高級感があり部屋の雰囲気も落ち着いてはいるが明るい。照明はこれからの行為を考えてそれなりに落としてあるように思えた。家具も暮らすために必要なものと、イチジの趣味なのかチェス盤や、国から与えられた勲章などが飾ってある。
がそうして部屋を見渡していると、イチジは座っていたソファから立ち上がり淡々と呟いた。
「来い、抱いてやる」
色気のない誘いだった。直接的で、甘くもなんともない、事実を述べたそれ。多少緊張はしているが、どうせすぐ終わる。大した事は無いだろうとは思い、イチジが招いたベッドへと向かった。触れてみればシルクの手触りが良いシーツと、重さを感じさせない羽毛の寝具が心地いい。イチジはそれを見ながら、特に咎める事はせずをじっと見ていた。
――さて、ここから何をすればいいのか。
経験のない事は上手く振舞える自信がないし、こんな事を練習するわけにもいかなかった。女としての価値が下がると分かっていたからだ。別に下がったとてには関係のない事に思えるが、にも最低限のプライドと、女としてかくあれかし、という心構えはあった。とりあえず、イチジの隣へと腰を下ろす事にして、ゆっくりとイチジに近づく。じいと見つめた先の、火花のような赤い瞳がを穿った。品定めをされているのか、それとも他に何かしらの糸があるのか、には分からない。誘惑の一つでもしてみせればいいのだろうか。
「あの……」
刹那、の視点が大きく変わる。
「っ、何!?」
ベッドに向かって押し倒されたのだと気付くには、数秒要した。言いそびれた言葉はその行動で全て吹き飛んだ。あまりの展開の早さに、は全くついていけなかった。ばち、とイチジの瞳が弾ける。何か、性欲とはまた違う欲を携えた瞳だと思った。のガラス玉に赤が映る。ちかちかと眩いそれは、この世のどんな宝石も見劣りするくらいには、美しいと感じた。
「なんだ」
イチジの声が降る。情事前だというのに、普段と一切変わらない理性的な声だ。
「……美しいと、思って」
イチジが怪訝な表情を浮かべる。自分でも分かっていた、これから抱かれるという女のセリフではない事くらい。
「あなたの目」
「おれの?」
「えぇ」
「……そうか」
抑揚のない声だ。淡々としていて、冷たく、機械のような。は静かに目を瞑った。ひやりとした指がの頬を撫でる。思わず身体が跳ねた。人間であるはずなのに、どうしてか温もりを感じない指だ。自分に触れているのは、本当に人間なのか疑いたくなる。冷たい指は、の頬、顎ときて唇に触れた。視界が照明を落としたかのように暗くなる。直後、ほんのり温度のあるものが唇に触れて、食んだ。少しの息苦しさに、キスをされているのだと理解した。
はらはらとの頬にかかるイチジの髪が妙にくすぐったい。イチジ自身から漂う、マリンの透明感とオリエンタルの高級感を混ぜ合わせたような香りがを飲んでいく。軽く接吻を交わしているだけなのに、どうにも支配されていく感覚に陥る。の抵抗が無いことを確認し、イチジは角度を少し変え、薄桃色から妖香漂う薄紅へ色づいた唇に自身の舌を徐に捻じ込んだ。ぬるり、とした感触がの口内を犯す。
「……ぅ、んっ」
歯列がなぞられ、その感覚に恐怖を感じは自身の舌で押し返そうとしたが、無意味だった。舌を巻き取られ、そのまま絡められる。言葉にしようにも、うまく表現が出来ない。
「ん、ん、ふっ」
イチジの動きについていくのに必死で、息をする余裕さえなかった。苦しい、息をしようともがいて逃げても、イチジはそれを執拗に追いかけてくる。酸欠で頭がぼうっとし、何かが頬を伝う。たまらず、どんどんとイチジの胸を叩いた。そうすれば、ちゅるりと音を立ててイチジの舌がの口内からようやっと離れる。
「……下手だな」
イチジは呟く。経験なんてないのよ、と抗議の目で彼を睨んだ。
「息継ぎを覚えろ。鼻呼吸を止めるな。おれの動きに合わせて息を吸えばいい」
「そんな事を言われても……」
出来ない、という言葉は言わせてもらえずに消えた。今度は先ほどのように軽いキスは無く、貪るような口付けへと変わる。
(……ッ!?)
イチジの赤い舌がの舌をゆっくり愛撫する。動きに合わせろと言われたものだから、も負けじと同じような動きでイチジの舌を撫でた。ぐちゅぐちゅと品のない音がの脳に響く。の口内に溜まった唾液はもはやどちらのものか分からない。ごくり、と飲み込めばどうにも人間の生の味と匂いがして、くらりと目眩のような感覚に陥った。
これがただのキスだとでも言うのか。そうは思えない。
「……っ、は、ぁ」
イチジが角度を変える瞬間に息を吸う。はついていくだけで精一杯だ。イチジのペースに飲み込まれまいと思っていても、相手は女がどうすれば悦び、反応するのかを熟知している。そういう経験が一切ないでは全く歯が立たない。
「そうだ、抵抗はするな。余計に苦しくなる」
じゅる、と唾液に濡れたの唇を吸ってからイチジが離れる。
「へェ。生娘のわりに男を誘う表情は心得ているらしい」
イチジの前に、高貴な女の姿は無かった。欲に濡れた瞳、上気した桜色の頬に伝う涙、初めての接吻で気力を使い果たしたのか、だらしなく開いた口にてらつく唾液。は、自分が今、どんな顔をしているのか理解が出来なかった。逆上せた頭では何も思いつくことができない。ただ、自分を暴こうとしている男の顔を、虚ろな目で見るくらいしか手札がなかった。挙式で行ったキスとは全く違う。絵物語でさえこのような経験をする事は不可能だというのに。
(こんなの、おかしいわ……)
は、たった今、自分が愚かな選択をしたのだと理解した。飽きる程女を物にしてきたのなら、自分の相手などつまらなくて直ぐに止めてくれるだろうと考えていた。処女を抱く趣味もないと言っていた。少し身体を晒して、触れられて、あとは、男性のものを自分のもので受け入れるだけ。それで、終わり。終わりの、はずだ。だが蓋を開けてみれば、自分がいかに世間知らずのお嬢様であったのかと悟った。やはり、断るべきだった。これ以上何も暴かれたくなかった。キス一つで息も絶え絶えなのに、それ以上されたらと、想像するだけで恐ろしいのだ。本当に恐ろしいだけ?問うても答えなど出るはずもない。確かに刻まれつつある、自分の感覚に戸惑う。
イチジが再度に触れようと手を伸ばしてくる。はそれを咄嗟に避けて、イチジの腕を掴んだ。
「ゃ、あ……やめてっ」
「止める?何故」
語気が強い。気分を害してしまったのだろうか。けれどそんな事を気にしているわけにはいかない。これ以上好き勝手にされると、おかしくなると思った。
「怖いのよ」
「……」
「これ以上、何かされたら……私が私でなくなってしまうわ」
沈黙が二人を包む。は、自分が悪いことをしてしまったような感覚に陥って居た堪れなくなった。イチジの方へそっと視線を移したが、特に反応もない。肯定……と都合よく捉えていいのだろうか。がそうであれ、とベッドから抜け出ようと足を降ろす。イチジはそれでも、何も言わない。
(ほら、やっぱり生娘なんて相手にしたくなかったのよ……)
はほっと胸をなでおろし、ベッドから立ちあがる。
瞬間、背筋にぞわりと悪寒が走った。
「何処へ行く?おれは許可など出していないが」
イチジの冷たく刺さる声が、を射抜いた。一歩も動けない。
「戻れ」
は恐る恐る振り向く。表情は一切変わっていない。けれど、が美しいと感じた瞳には眩い程の火花が散っていて、今にも弾けそうだった。静かに怒気を孕んだ目がを掴む。イチジは小刻みに震えつつも微かに熱が籠ったの腕と身体を乱暴にベッドへ引き戻し、先程と同じく、組み敷く。
生身の女の抵抗など、イチジには無いのと同然だった。
「物分かりのいい女だと思っていたが……口で言わねば分からないか?」
「な、何を……!」
「上下関係を教え込む必要があるな。お前はおれの物だろう?ならば、おれのいう事を聞け」
「……っ、」
「返事は」
は思わず息を飲んだ。イチジの本質を垣間見たからだ。逆らう事も、口答えする事も、その手中から逃げる事だって許されない、王の中の王がそこにいる。
「わ……分かり、ました」
嘘だ。今すぐにでもここから逃げ出したい。キスだけであれだけ溶かされかけたというのに、ここからまだ先があるなんて、考えたくなかった。だが、そう簡単に逃がしてももらえない。
「でも、もし出来るのであれば……もう少し優しく手解きしてくだされば、と」
はお伺いを立てるように言った。
「貴様が勝手に怖がって逃げようとしただけだ」
その返答に、はぐうの音も出なかった。イチジの言う通りだ。息が詰まって、零してはならない何かを必死に耐えている。キスだけで身体の変化を感じる程度にはの感覚が研ぎ澄まされつつあった。
の女としての性が芽生えつつある事をイチジは知っている。こうして戸惑う様子もどうしてそうなっているのかをイチジは理解していた。処女など抱くのは今回限りだが、黙って義務として受け入れようとしていた女が性的快楽に戸惑う様子は、見ていて一種の興奮剤になり得る。これが開花したら、一体どうなるのか。妙な高揚感がイチジを蝕んでいた。従来のセックスでこのような感覚を抱く事は無い。単なる性欲処理と割り切って、求められる程度の事をして終わりだからだ。自身が快楽さえ得られれば、女などどうでもいい。そう思っていた。
イチジを見るの目に、薄っすらと水の膜が張って頬へ滴る。性的快楽への恐怖と戸惑いからくる、ただの生理的な涙だと分かっているのに、イチジはどうしてか目を逸らすことが出来なかった。
は荒い呼吸を正す。何度練習を重ねても、たった一日でキスは上手くならないのだと悟った。キスだけでこんなにも体力を使う事も知らずにいたらしい。もう既に眠ってしまいたい気分だ。着ていたネグリジェもずるずると肩から腰まで落ちて、乱れている。けれど、イチジから落とされる浴びるようなキスは終わりを知らない。
「は、ぁ、……っ」
唇が合わさる度、静寂とふたりから発せられる水音だけが部屋を満たす。頬に触れていた冷たく筋張った手がそのまま髪を梳いて、後頭部に置かれる。何度舌を絡めあったのか覚えていない。けれど、おかげさまでイチジの舌の動きにはしっかりついていけるようになった。人間には多少、動きの癖がある。それを理解してしまえば、あとは身体で覚えてしまえばいい。
(どうして、こんな……恥ずかしいのに、そう動いてしまうの)
は無意識でイチジのシャツに縋った。上質な生地布がくしゃりと歪む。
「どうした」
イチジの動きが止まる。そっと離れた唇には銀糸が光って、ぷつりと切れた。それがどうにも切なく、寂しく感じて仕方がない。……何故、そんな事を思ってしまうのか。
「あ、……。何でも、ないわ」
は僅かに目を伏せた。言えるはずがない。キスが止んでしまって寂しい、なんて。もっとしてほしい……なんて。シャツを掴む手に、少し力が入った。
「言いたい事があるなら、はっきり言え」
どきりと心臓が跳ねる。もしかして、既に知られているのだろうか。こっそりとイチジの顔を見上げたが何も変化はない。
「何でもないの……」
「本当に?」
「え、……えぇ」
「ほう。……窓を見てみろ」
はその返答の通りに、窓を見た。それがイチジの思惑だと疑いもせずに。は目を逸らしたくなった。窓に映る自身の顔が、あまりにも欲に塗れた表情をしていたから。物欲しげに潤んだ瞳に、羞恥が拍車をかけた。
「あ……!」
「何か、言いたい事があるな?」
イチジが嘲るように笑う。最初から知っていたのだ。なんて趣味の悪い、と思った。知っていたのなら、そうしてくれればいいのに。わざわざ自分の口で言わねばならないなんて。
「……、も、もっと」
言いたくない。言いたくないはずなのに、思いとは裏腹にの口から欲が零れ落ちる。
「もっと……キス、を、してほしい……」
「キスだけか?」
「……っ! そ、その先はまだ分からないもの」
「ハ、強情だな」
イチジはそう言っての唇に触れるだけのキスをひとつ落とす。先程まで貪るようなものだったのに、そんな軽いもので満足しろとでも言うのだろうか。もどかしい思いがに渦巻く。だが、それを口にすればの中の何かが崩れてしまう気がして口に出す事は出来ない。それに、認めるわけにもいかなかった。更にキスを求めるだなんて、それこそ一般的な夫婦だからこそ許される行為であり、イチジとには必要のないものだからだ。強請る気持ちを心の奥底に仕舞いこむ。悟らせない事に関しては、にも自信があった。
「……」
イチジは何か思案するような素振りを見せた後、を俯せに寝かせる。何をされるか分からない恐怖と、未知への期待が混じった気持ちでは抵抗をしない。否、出来ないでいる。
(今なら、逃げようと思えば逃げられるのに……)
この先を、知りたいと思ってしまう。そんな気持ちを抱く事はいけないと思うのに、身体は思うように動かなくなってきている。イチジは、ころりと俯せに転がるの首筋にそっと唇を寄せてちぅ、と吸い付いた。
「ひっ!」
肌が粟立った。イチジは然して気にせず、ひやりとした五本の指全体を使って、するするとの背中を撫で上げる。時折強弱をつけた接吻を落とし、の身体に小さな花が徐々に咲いていく。冷たさの残る指やぬるい唇の触覚に、何度かおかしな声を出しそうになるのを必死に堪えた。
(なに、これ……くすぐったいの他に、何か、ヘンな感じがする……!)
指や唇が離れる度に物悲しくなるのは何故なのだろう。これが俗に言う気持ちいいという事なのか。だが、マッサージなどをされて気持ちいいと感じるそれとは、全く違う。もっと、身体の奥底からじわじわと浸食されていくような、飲み込まれたらもう二度と戻れなくなるような、そういう類のものだ。きっと捕まってしまえば最後、知らなかった頃には戻れなくなる。は漏れそうになる声を抑えようと手を動かした……が、不思議な感覚に耐える為にいつの間にか右手にシーツを握っていたらしい。それとは反対の手で、急いで口を覆った。温度を感じさせない指が背中を擽る。
「んっ……!」
びくびくと身体が震える。イチジの手は人間の温度を感じさせないものであるはずなのに、彼の手が触れた辺りがちりちりと燃えるように熱くなっていく。じんわりと周辺にもその熱が伝わって、身体全体が熱を灯す。
(熱、い……?どうして……、裸なのに……)
肩甲骨付近に、たらり、と何かが垂れた。同時に、じゅる、ちゅる、と粘性のある水音が耳に入ってくる。イチジの舌が首筋と肩甲骨の辺りをなぞっているのだろうか。品性の欠ける音に、思わず耳を塞ぎたくなる。
「んっ、……ふ」
シーツを強く握り、覆った方の手を噛む。こんな品のない声を聞かせるわけにはいかないし、聞かせたくない。けれど、そんなの思いも虚しく、シーツの存在に気づいたイチジは即座にそれを取り上げた。軽く噛んでいて痣になっている手も背中へと回される。
「声は抑えるな」
「で、でも……その、品が無いし、恥ずかしいわ……」
「品?」
イチジがくっ、と喉を鳴らす。そうしてそのまま、にいと口角を上げた。人を小馬鹿にするような、そんな顔で。
「こんな行為に、品性の欠片もあるものか。そんな下らない事を気にする暇があるなら快感を受け取る努力をしろ。だがまあ――」
が付けた噛み痕へ上書きするように、イチジは自身の歯をの手に当てる。がり、という音と同時に痛みが走った。
「いっ……!」
鮮血が流れ出る。
「――そんな努力は、必要なさそうだな?」
イチジはたった今、傷をつけたの手に唇を添えた。じゅくじゅくと痛みが広がる中、は横目でそれを見つめる。何をされるのかと身構えた刹那の事だった。イチジの温い舌が、傷口に当てられ滴る血を勢いよくぬるりと舐めとったのだ。瞬間、の背中から尾てい骨にかけてぞくぞくとした感覚が走った。びくん、と大きく身体が波打つ。
「あぁっ!?」
「生娘のくせに、痛みさえ快楽と捉えるのか。愚かな女め」
(な……なに、今の……!)
痛みと、むずがゆさと、全身を駆け抜けたあの感覚。身体が震えて、力が入らない。頭がおかしくなりそうだった。……否、もう既におかしくなりつつある。今でも傷口は徐に弄られて痛いのに何故か疼いており、もっと触れてほしいなどと、気がふれた思いを抱いているのだから。
「それが気持ちいいという事だ」
「き、もち……いい……?」
「性的快楽とも言う。感覚は教えてやったのだから、次からはお前がどうされたいか言ってみろ」
「え……?」
が困惑の表情を浮かべれば、反対にイチジは愉快とでも言いたげに目を細めた。ここからはが自分で考えていかなければならないらしい。屈辱的だった。そう言った事を口に出すのは、淑女としてご法度なのだ。幾ら夫が相手であっても不潔であると教わってきているのに、それを実行しなければならないなんて。恥ずかしいやら悔しいやらで、の心はぐちゃぐちゃに掻き乱されていた。
考えてみれば、出会った時からそうだ。ヴィンスモーク・イチジという男は、が心に張った予防線を易々と越えて、こころの柔い部分に遠慮なく触れてくる。一切の躊躇いも戸惑いもなく、感情のない機械のくせに。寧ろだからこそ、人の機敏に疎いのか。どんなに心の奥底に感情を仕舞っていても、イチジは容赦なく引き出そうとする。今も、怒ればいいのか泣けばいいのか分からないを見て、不敵な笑みを浮かべていた。次に彼女が取る行動を予測しているとでも言うのだろうか。
「どうした?言わないつもりか」
底が見えない赤い瞳に、が映る。眉を下げ、瞳を潤ませる少女がそこに居た。もはや仮面どころではない。文字通り、イチジの目に映るは、一糸纏わぬ姿で存在している。度重なる不測の事態に、を隠すものは全て奪われていたらしい。
「……狡いわ、そういうの」
はイチジを見つめる。つくづく、火花のような男だと思う。触れるだけでこちらが擦れて、散っていく。激しい火花で以て、その眩い光の前では何一つ隠すことだってできやしない。全てが白日の下に晒されるのだ。
けれど、ああ――――けれど。だって、甘くはない。そう簡単に壊せる女だったなら、既に壊れている。
「あなたの好きにして、いいわ。けれど、暴くのならどうか奥の奥まで……暴いてくださる?」
がほんの少し揺らいでふわり、と生花の香りが舞う。それがイチジの鼻孔を擽った。
「生意気な女だ」
イチジが高圧的な態度で笑みを浮かべる。随分と喧嘩腰の物言いであったにも関わらず、イチジの反応はが思い描いていたものと違っていた。てっきり苦言を呈されるかと思ったのに、どうやらお気に召してしまったらしい。要らぬものを押してしまったか。
イチジは俯せになっているの上に覆い被さる。さわさわと、手の噛み痕を撫でながら一方の手での背中をつつ、と弄ぶ。先ほどまで舐られていた場所である為に、はそこで緩やかな刺激を得やすくなっていた。イチジの冷たいはずの指にの淡い熱が移る。手の痛みと、背中に与えられるやんわりとした刺激に思わず声が漏れた。
「はあ……ぁ、っ」
「感度が良いな、本当に生娘か?それともやはり……売女の血が流れているからか」
(だめ、声がっ……でちゃう……!)
ぐり、と手の傷跡を親指で押される。
「んぅっ……!いた、ぁ……」
「ハハ、痛みで感じるなど相当の変態らしい」
「そんな事っ!」
ないわ、と言おうとして後ろを振り向こうと足を動かした時だ。直後に、感じた事のない滑りが下半身から溢れている事に気づいたのは。太腿のもう少し上、足の付け根付近から妙に水気を感じる。
「あ……嘘、……。何、これ…………?」
下腹部が妙に熱い。違和感を感じて脚を擦り合わせると、何かがそこに滲んでいた。一瞬、感じた事のないもので尿でも漏らしたのかと思ったが、あれはここまで粘度のある液体ではないはずだ。けれど、得体の知れないものに違いは無い。これはなんだ。軽く身体を浮かせたの顎をイチジの手が軽く掴む。視線が、交差する。ぐい、と上向きに顎を引き寄せられた。
「ようやく気付いたか?」
「で、殿下……。これは……」
イチジはそれに応えなかった。けれど代わりに、今まで一度も、自身でさえ触れなかった、その清い花園へとゆっくり手を伸ばす。は思わずぎょっとした。性的な事に関しての知識はあるが、詳細は不明なのだ。まさか、そのような不浄の場所へ触れようだなんて。気が狂っているとしか思えない。
「で、殿下?そこは、その、あなた様のような高貴な御方が触れるべきところでは」
の静止には一切聞く耳を持たず、イチジはただ、の目だけを見つめて口角をあげた。まるで捕食者が被捕食者を前に、今から始まる最高の晩餐が待ち遠しいとでも言いたげな、そんな顔だ。
(な、何……?)
は嫌な予感を覚える。イチジは知っているのだ。この先、がどんな反応をするかを。全て、お見通しなのだ。の身体はイチジに支配されつつある。だから、イチジの手がそこに触れた時点でそれが達成されてしまうに違いなかった。
(いやっ……!やめて……!!)
そう言いたいのに、声は出ない。これから起こるであろう事に怖気づいているのに、言葉が喉で詰まってしまうのだ。はここで、感情とは矛盾した感覚が芽生えている事に気付く。
(もしかして、わたし、触れてほしいと思っているの……!?)
あの、人肌ですら温度を感じ取れないひんやりとした、冷たい指で。男性らしく、骨張った手で。ぬるい温度が心地よい、唇と舌で。とぷり、とまた何かが溢れる音がした。とろとろと音を立てて、の器から得体の知れないものが零れ落ちそうになる。それを受け取る術なんて、持ち合わせていない。
「お前がどんな女なのか……試してやる」
――ぐちゅり。
イチジの手がの聖なる場所へと容赦なく触れた。刹那、まるで雷に打たれたかのような感じた事も無い強い衝撃が脳天を突き抜ける。
「~~~~っ!!?」
あまりの衝撃には目の前にいるイチジへ縋る事しかできなかった。それでも、イチジの手は動きを止めずぬらぬらと照らつく花びらを一枚ずつ愛でるように触れる。浅い部分に指を沿わせ、一定の間隔で柔い刺激を与えられた。その度に不思議な感覚がを貫いていく。触らないでほしい気持ちと、もっとしてほしいという欲が絡まりあって、どうすればいいのか分からない。が目を白黒させて現状をどう理解すべきか覚束ない頭で考えていると、イチジが一瞬動きを止めて、秘所へ宛がっていた手をの目前へと徐に持って行った。イチジが触れていた場所が熱く震える。その小さな刺激には小さく声を漏らした。
「ぁ……、」
離れ行く指を切なく思う。差し出された高貴な手が、の分泌液でびっしょりと濡れている。第一王子という立場にある男の手であるのに、それが如何に浅ましいもので汚されているのか、戸惑うにも理解できた。途端にかあっと顔が紅潮し、冷や汗が流れる。
「あ、ぁ……殿下、あの……」
「随分と物欲しそうな顔をしているな。おれにどうしてほしいんだ」
イチジの言葉に、考えるより先に身体が反応する。奥底から沸いてくる欲が、じゅわりと滲んで滴っていく。熱い液体が外へ流れ出るだけで、はふるふると震えた。その僅かな刺激も気持ちいいと感じる。
「どう、って……」
口がうまく動かない。喉奥に詰まる言葉をどうにか押し出そうとした瞬間、全身がびくんと震えた。
「……っ、は……」
唇が震える。先ほどまではやめてほしかった事ばかりなのに、今ではどうして、もっと先のことを知りたいと思うのか。イチジに触れられる事で開花する場所が、まだまだたくさんあるはずだ。もっと触れて、もっと、自身も触れられない、身体の芯、その深くまで。声に出して言えばいい。それだけなのに、言葉はすんなりと出てきてはくれない。
「言えないのか?ならば自分でどうしてほしいのかやってみせろ」
「そ、んな……」
「口で言えないなら行動で示せ」
やっぱり言っておけばよかった、なんて後悔が先に立つ事はない。は眉を下げながら、目の前に置かれたイチジの手を取った。
(違う、違うわ、こんな事をしたい、わけ、な、い……)
違う、違わない、したい、したくない。相反する感情がを惑わせる。そうして、激しい羞恥と困惑に苛まれながらも、その手を自身の下腹部へ、おずおずと持っていく。頭ではこんな事をしてはならないと分かっているのに、勝手に身体がそう動く。動いてしまう。恥ずかしいはずなのに、それを上回る程の期待に満ち溢れていた。だって、きっと、ここに触れてもらえたら、あの身体の芯まで大きく震わせる解放感を味わえるはずだから。
イチジはに全てを任せて、一切動かない。
(そう、……この人が言ったのよ。だから、わたしは、そうするだけ、なのよ……)
誰に責められている訳でもないのに、体のいい御託を並べながら、イチジの指を蕾に触れさせる。
「……っ、ふ」
くにくにと押し潰すように、が自分でイチジの手を動かす。
「ん……、ぁ」
先程のような強い波は来ない。けれど、こうしてすりすりと優しく擦っているだけで充分に波に揺蕩う快楽を得ることができるらしい。新たな発見だ。薄っすら目を閉じて、その感覚に浸っていく。自身で動かす指に意識を向ければ、ぴりぴりとした痺れが脳を揺らす。
「はぁ、……」
緩やかな快楽に身を委ねようと、は更にイチジの手を動かそうとした。だが、先程まで容易に動いたそれが一切動かなくなってしまう。どうして、まだこの甘い感覚に浸っていたいのに。
「誰が一人で慰めろと言った?」
イチジの指が突然、の蕾をぴんと弾いた。
「ひぅっ……!」」
身体がびくびくと痙攣する。
「行動で示せとは言ったが、まさかおれの手で慰めようとするとはな」
「だ、だって……、あなたが、言ったのに……」
はそっとイチジの表情を伺う。機嫌を損ねたかと思いきや、強い言葉のわりにどこか愉悦を感じさせる笑みでこちらを見ていた。その表情さえ、どうにも淫らに見えてしまう。
「言い訳か?……まあいい、お前が望む通りにしてやる」
イチジはそう言って、がして見せたように優しく花芽に触れた。そうしてそのまま、壊れやすい物を愛でる動きでの一番敏感な部分を可愛がっていく。擦って、摘まんで、軽く弾いて、押し潰す。
「……ふ、ぅ……あぁっ……んっ、はぁっ……」
同じような動きなのに、どうしてかイチジの思うようにされる方が身体が悦んでいるような気がする。イチジの指が触れている部分にじわりと熱が集う。胸が高鳴って、思うように息が出来なくなっていく。小さな電流が全身に駆け巡り始める。
「あぁっ……、殿下ぁ、それ……、んんっ……」
「それが、どうしたんだ」
「それっ……、それ、だめぇっ……!」
「では止めるか?」
すっ、とイチジの指が蕾から離れる。イチジが触れていた部分が途轍もなく熱い。ずっと触れていてほしくて、身体の奥がきゅんと疼く。
「……め、ない……で……」
ほぼ無意識だった。
「や、やめない、で……ください……」
声を絞り出すようにして、言った。言ってしまった。こんなに浅ましい、ただの欲に塗れた言葉を。品性なんてものはとうに頭の中から抜け出ていたらしい。イチジが小さく喉を鳴らす。指を芽に触れさせながら、イチジはその下にある充血した花びらをゆっくりなぞっていく。くちゅりと水音を立てて、のイチジを求める欲が指に絡まる。花芽を擦りながら花弁を愛でれば、欲はとめどなく外へ溢れてイチジの手を更に汚していく。いやらしくて、こんなのは自分でないと否定したいのに、それもという女の一部なのだと教え込まれているようだった。
「ほら、自分で綺麗にするといい」
イチジはそう言って、の欲に濡れた指を薄紅に染まった唇に当て、そのまま口内に挿した。一本、二本、三本と指を入れ、の熱い舌へ絡ませていく。
「ん、う……ふぁ」
「舌使いも様になってきたな」
ちゅぷちゅぷと飴を舐めるようにイチジの指を咀嚼する。こんなに厭らしい、不潔な行いであるというのに何故自分の身体はやめようとしないのか。分泌されたものの味は全くせず、はイチジ自身が指を抜き取るまでそれを舐った。口内から出てきた指は、今度は唾液でぐちゃぐちゃになっている。
「……イチジ、さま」
が融けた顔でイチジを見た。とろんと瞼が堕ち、頬は桜色に染まって、殆ど頭が回っていないのだろうぐったりとした様子で、ただただイチジを見ている。どれだけ気高く、人並み外れた美貌を持つ賢明で冷静な王女であっても、堕とせばこの有り様だ。あの冷たい氷を彷彿させる佇まいも、花のような可憐さも、快楽に突き落とせば融けきってしまうらしい。その差が、イチジにとっては途轍もなく愉快だった。王族所以の、決して綺麗とは言えない支配欲が疼く。この女が堕ちきる様を、快楽に溺れる姿を、発した事も無い嬌声を、己の手で暴いてやろうと思った。
のゆるく蕩けた指がイチジの頬にそっと触れる。
「あの……、私、どうなってしまうの……」
「さァ、どうなりたいんだ」
「わ、分からない……でもっ……」
静寂がイチジとを包む。困惑を隠せないといった様子で、は口籠った。けれどそれを許すイチジではない。その言葉の続きはとっくに分かっているので言外に早く言え、と催促した。イチジの鋭い目を見て、はふるりと身体を震わせる。怖い……否、これは恐怖故のものではない。そうではなく、もっと明確で、確実な欲が下腹部に渦巻いているのを自覚した――――自覚して、しまったのだ。言葉にするのも烏滸がましい、淑女とは思えない欲求。目の前にいる男の刺激によって蕾が大輪の花を咲かすように、未開の少女はもうとっくに目覚めていた。認めたくなかった。知りたくなかった。こんなにも浅ましい欲望を抱えてしまう自分を。
ぎゅう、と目を瞑る。そうして、瑞々しい唇をゆっくりと開いて、懇願するように言った。
「もっと、……触れてほしい、の……」
ぱち、と目を開ける。イチジと視線を交わした。刹那、バチッと火花が流れる感覚の後に、イチジがにやりと口角を上げる。捕食者の顔だった。そこに情欲などは殆ど存在せず、丁寧に工程を経て開花させた極上の、イチジだけに捧げられた獲物を貪ろうとする圧倒的王者がそこに居る。は、軽く身震いをしたがそれを恐怖だと認識する事はもう無い。それこそが、食べられる事を待ち望む被捕食者の欲だと理解したからだ。身体はもうとっくに熟れていて、奥深くから溢れ出る熱と共に、両足の間からとろりと蜜が内ももを伝う。同年代よりも遥かに育った双丘の天辺は、イチジが一切触れていないのにも関わらず控えめに主張していた。
イチジはを、存外優しく己の膝上に乗せる。は腰の付近に何か違和感を覚えたが特に気にする事無くされるがままイチジに背中を預けた。
「足を開け」
「ん、……」
は恥じらいつつも徐に足を開く。ほんの少し外気に触れるだけで小さくも確実な刺激を受け取り、更に大きな刺激を期待して子宮付近が熱くなる。躊躇いも無くイチジのすらりとした白指がの蜜に塗れた花弁へと触れた。
「ぅあっ!はぁ……あ、ん」
てらてらとしたそこを、イチジは入念に撫でていく。肌の上を滑っていくイチジの冷たい指がの熱を帯びる。くちゅくちゅといやらしい水音を立てての内側から欲望となって流れイチジの指に絡まっていく。
「あぁっ……! んぅ、んっ……、だめっ、ぇ……、それ、は、だめっ……」
「そうは見えないがな」
イチジは軽く喉を鳴らして、の花弁の上にある、実りきって熟れた果実に人差し指を添えた。そのまま親指と一緒にきゅうと軽く摘まむ。
「あぁんっ!」
そうしてそのまま、くりゅくりゅと押し転がした。その度に、びりびりとした激しい電流がの身体中を駆け巡る。今までのゆっくり焦らすような、試されている愛撫とは打って変わって、を暴く為に攻め入るような強い快楽に、はくはくと浅い呼吸しかできない。波が寄せては引いていくような快感を継続的にイチジから与えられていく。じわじわと、だが確実に昇り詰める何かがの中をぐるぐると渦巻いている。
「んんっ、あ、はぁっ、い、イチジさ……ま、そ、そこはぁっ……そこ、へんになっちゃ……!」
「ここが、どう変になると?」
「わ、からなっ……、ずっと、きもち、よくて……っ」
既に充血しきった花芽はぷくりと己を主張する。品性の欠片も感じられないその様子にイチジは愉悦を感じていた。軽く爪を立て、今度はかりかりと引っ掻くように弄ぶ。
「んあぁっ!! あ、うぅ……ひゃ、ぁっ……! やだ、ぁっ! それっ、いや、……いやぁっ!」
イチジの動きに合わせるように、が面白いくらいにびくびく跳ねる。は気づいていないが、下半身に力が入る度にイチジの手には多少の水滴が舞っていた。襲い来る快感に抗おうとも、身体がずっとそれを求めている。どうすれば逃げられるかなんて考えるだけ無駄だった。が逃げようと思っていても、身体は勝手に快楽を求めてイチジに甘く媚びるのだ。
「そろそろ頃合いか……」
イチジは一度手を止めた。愛でられていた部分が急に離された指を求めてきゅうとひりつく。ひくひくと花びらが蠱惑的に揺れ動いた。イチジはその花びらの奥、とめどなく溢れる蜜の入り口へと中指を添える。
「ぁ……ん」
イチジの指が入口をくちゅくちゅとなぞる。はその様子をじい、と見つめていた。眠気を耐えるような呆けた頭で、これから何が起こるのかを考えても答えなど出ない。考えているうちにぐちゅ、くちゅ……とイチジの指が中に沈んでいく。多少の圧迫感と違和感を覚えたが、そんなものは取るに足らなかった。
「あ、あぁっ、ゆ、び……中に、入って……」
イチジが身体の内側に触れる。それだけで頭がおかしくなりそうだと言うのに、あろうことかイチジはその指での甘くうねる洞を虐める。まずは、一本で。
「んんっ、あぅ、……あぁっ」
どろどろに溶けたの中を確かめていくように、動いていく。抵抗感は全く無く、ゆったりとした波に浸かる。
二本目。
「んぅっ、あぁっ……、なか、うごいて、」
少しの圧迫感と、先程よりもほんの少しだけ強い波に揺られた。イチジの指が確かめる動きから、何かを探るような動きに変わる。ぐにぐにと内臓を押し込まれているのに、痛みは無い。
三本目。
「ぅあ、あぁっ! やっ……、ぐちゃぐちゃに、な、る……」
「もうなっているだろう?」
「いやぁっ……、いわ、ない……で」
中に沈む指が増えていって、与えられる刺激も比例して増えていく。三本の指がばらばらに動いて、まるでピアノを弾くかのようにの中を流れる。音楽を奏でるのと同じ要領で、イチジは不規則に鍵盤の上を滑らしていく。
「濡れやすいな。こうも簡単に男を受け入れる女だとは思わなかった」
「ちがっ……」
「何が違うんだ?」
イチジの中指がちょうど花芽の裏側、ざらついた壁に触れる。
「はぁっ、ん!」
「いい声で鳴くじゃないか」
イチジが重点的にそこを攻め立てる。中指だけでなく人差し指まで使って、入念にその内側を撫でてはが甲高い声を漏らす。ざらざらとしたそこに、身体中の熱という熱が集って、電流が流れるように痺れる感覚がを襲う。
「あぁっ、だめ、そこ、やだぁっ……! きもち、い、からぁ……!」
腰がゆらゆらと揺れる。イチジの指が、の一番感じるところへ宛がうように、自ら腰を振った。欲の蜜は既に止まるという事を知らず、どろどろと滲んではイチジのスラックスとベッドを汚す。
「ん、やっ、あ、いち、じさ……ま……ぁ……」
「」
イチジが耳元で名を呼ぶ。甘さも優しさも無く、普段と変わらない静かな声色であるのに、妙に心がざわついて仕方がない。脳内で反響して、それだけならまだ耐えられるのに、子宮にまで届いてびくりと身体が跳ねる。
「は、ぃ……」
返事をした。けれども、その後は無言で、返ってくる言葉も無い。痛いほどの静寂がの耳を刺している。あの、と声をかけようとした時だった。
「あッ――――!」
目の前が真っ白に染まる。身体どころか脳まで迸る強い快楽に声さえ出せない。一瞬、何をされたのか理解できなかった。意識が朦朧とする中数秒まどろんだ後で、ようやく、イチジが花芽を中と外の両側から触れたのだと気付いた。未だにそこは快感に震えている。びりびりしていて、何だかおかしい。
「今のがイく、という感覚だ。軽いものだがな」
「イ……く……?」
「説明が面倒だ。もう一度経験した方が早い」
「えっ、ちょっと待っ……」
イチジは言うやいなや、再度の赤い蕾を親指と人差し指で摘まみながら残る指で蜜口を攻め立てた。軽く果てたばかりのそれは容易に快感を受容する。気持ちが良すぎて、おかしくなりそうだった。永遠に続くかのような強い波がを揺さぶっていく。
「ふあぁっ!? イチジさ、ま、ぁ、まって、くださ、やだっ、やだぁっ!」
「断る」
「あ! はぁっ、やだ、いやぁ!! だめ、変ッ、なのぉ……!わた、し、また、おかしく、んあぁっ!」
「……イけ、」
ぞくり、と背中が粟立つ。イチジの低い声が、脳内で反響して下腹部に熱が集う。じわじわと奥底から大量の蜜が昇ってくる。我慢したいのに、とろとろと漏れ出ていって、一気に解き放たれそうになる。
「や、いやっ、また、ぁ、またくるッ……ぅ、きちゃう、いやっ、あ、あぁ~~~~ッ!」
稲妻がの身体を穿って駆け巡る。ばちばちと視界が明滅した。ああ、ああ、これが快楽の果てだというのか。
「い、ちじ、さっ……いちじさまぁ、あ、ァ――――」
ばちん。何かが弾けた。身体ががくがくと痙攣する。腰が浮く。曲げていたはずの足がぴんと足先まで張り、手はイチジのシャツを遠慮なく鷲掴んだ。皴になるだなんて考えもしなかった。一瞬の強張りの後に、だらりと脱力する。心臓がはちきれそうな程に脈打っていた。はぁはぁと浅く息をして、酸素不足の肺に冷たい空気を送り込んでいく。何とも言えない感覚だった。空の上まで飛ばされて急に落とされるような、浮き沈みの激しいそれは、そこに意識を向けるだけで全身が震えた。息を整えつつも、はイチジを見上げる。何だかいけない事をしているような気でいるのに、イチジは一切表情を崩しておらず、何処までも冷静だ。あの赤い瞳に灯るのは、欲望ではなく、ただ現状を見据えているだけに過ぎない。狂っているのはだけだと、イチジの思うが儘にされたのだと思わせられた。
「……丁寧にやりすぎたな」
「あ、ぅ……」
イチジがをベッドへ下ろす。果てて呆けた頭をどうにか動かしながら、はイチジへ目を向けた。
「あの……。ありが、とう……、ござい、ました」
息も絶え絶えになりつつ、礼を言う。初夜は成った。も少女から女へと花開いたし、これ以上する事などない。何より身体が動かないので、どうすることもできないのだが。は胸へと手を当てる。とくとくと普段より早い鼓動が大人になった事を主張しているようだった。
心地よい微睡みと共に、意識を飛ばそうとした――が、急に腕を掴まれる。
「一人果てて終わりか?」
イチジだった。の腕を強く掴んだまま、離さない。
「……?」
頭が追い付かなかった。何故だ。もうやる事はやったはずだ。快感も知り得た。これ以上何をすべきだというのか。
本当に分かっていない様子のに、イチジは思わず舌打ちした。イチジの中には、まだ轟々とした支配欲が宿っている。目の前の贄はもう終わりだと思っているらしい。まだ貪ってすらいないのに。イチジはに手を付けてすらいない。ただじっくりと、格好の獲物が自分の前に堕ちてくるのを待っていただけだ。今か今かと待ち続けて、ようやく、目の前に堕ちてきた。イチジが喰らう獲物にようやっと相応しくなったというのに。もう終わりだと、馬鹿馬鹿しい。晩餐は、これからだった。
赤い瞳に、火花が散る。
「知識が無い訳ではあるまい。気をやっただけで孕むのか?あるだろう、お前の最後の義務が」
は一瞬思考し、はっとした。そうしてそのまま戦慄する事になる。まさか、と思った。いくら何でも……否、も最初はそれを望んでいたはずだ。性行為とは、少し身体を晒して、触れられて、あとは男性のものを自分のもので受け入れるだけ――――と。身体が震える。ほんの少しの恐怖と、確かな期待と興奮が入り混じった気持ちで。指だけであれだけの快楽を得たというのに、男の欲そのものを受け入れてしまったらどうなるのだろうか。ふと、はイチジの上に座っていた時の違和感を思い出した。
(あれ、が……そう、なの……?)
同時にぶわりと汗が噴き出す。男の欲がどういう物で、どうなっているかなど書物でしか見た事がない。別に興味もなかったので、官能的な物にも触れてこなかった。それでも特に困らなかったが、は今、己の選択を後悔している。冷や汗を垂らしながらあたふたしていると、イチジと視線が交わった。欲など感じさせない冷たい瞳であるのに、奥底に弾ける火花が燃えている。
イチジが音もなく脱ぎ捨てたスラックスの下に主張するそれを、は初めて目の当たりにした。指よりも、もっとずっと、遥かに大きくて、質量のある、イチジ自身の欲望。動きが止まり、生唾を飲み込む。指を僅かに握りしめた。
(あんなもの、入るわけない……!)
の表情に大きな変化はない。気をやった後特有のぼうっとした表情のままだが、微かに震える睫毛に感情が滲む。イチジはくつくつと喉を鳴らしながら言う。
「おれを受け入れろ、」
待って、なんて言わせてもらえなかった。言葉と同時に、質量と硬さのあるそれがの中に入りこんで、中を抉る。
「う、ァ、いたっ……あぁっ、はッ……!」
感じた事も無い圧迫感と強い痛みに泣き叫びそうになった。息が詰まる。想像していたよりも熱く、硬い異物が押し込まれていく。こちらへの配慮など一切無い行為は、もはや犯されていると言っても過言ではない。暴力だ。性行為を模った、容赦のない暴力。王国の頂点に立つ男に内側から甚振られている。けれど、それが酷く心地よく感じた。理由なんてものは無くて、これが支配される側の、当たり前の感情なのだろう。ずぷずぷと中を拡張するようにイチジの欲がを暴いていく。狭い通路がイチジでいっぱいになって、思わず息が止まる。
「あ、ぁ、いッ……、いた、い……!」
「我慢しろ」
「うぁッ、やだっ、痛いっ……イチジさ、ま、やめてぇっ! おなか、く、るし……っ」
「……っ、流石にキツいな」
ぐっと容赦なくイチジは奥へと入っていく。内側が押し広げられていく度に違和感が募って、その恐ろしさにどうしても力が入る。力が入る事で、の中はイチジの形を理解して、そのせいでイチジの輪郭をはっきりと捉えてしまう。
「おい、少し力を抜け」
「わ、分からな……っ、どうやって……!」
「ちッ……」
イチジは力を込めて丸くなったの身体に触れた。下を向くの顎を半ば強引に自身へと向かせ唇へと噛みつく。整った歯列を徐になぞり、奥に潜むの小さな舌を優しく愛撫した。
「ん、ぅ、んんっ……」
キスにより少し脱力した隙をイチジは逃さない。最奥を狙って、ずぷりと欲の塊を捻じ込んだ。
「ひッ――!」
痛がる素振りを見せつつも、の内壁はイチジの形を何度も確かめるように蠢いている。の声と内部の動きは全く一致していない。その蠱惑的な姿に、イチジも欲が刺激された。
「拒む割に、おれを締め付けて離さないのはお前だ。身体の方が素直なんじゃないか?」
「いやっ……こんなの、いや……ッ」
逃げようとした腰は、イチジにがっちりと押さえ込まれて動かせない。緩やかに動かれるたび、何かがこそばゆく擦れる。とんとんと軽く揺するようにイチジが動く。違和感はある。圧迫感も残っているし、イチジが入っている場所は燃えるように熱く、苦しい。けれど、ゆらゆらと揺れる中で、それとは違う感覚が下腹部に疼いている。
「……っ、や、め……あぁっ……」
そう言ったはずなのに。喉の奥で震える声が、自分のものとは思えないくらい、乱れている。下腹部に燻るそれは、一度知覚した時点で確かなものに変わっていく。揺れに合わせて小さな快感が波の様に押し寄せてくるのだ。大きなものではないが、それらが立て続けに襲ってくるとなると話は別だ。塵も積もれば山となるように、快楽だって積み重なっていく。痛覚もまだ残っているというのに何故か足りない、と感じるのだ。イチジのものは充分の中に納まっているしこれ以上奥に行くことだってできやしない。けれど、もっと奥へ、更に深い場所へ、芯の部分まで、の中が誘おうとする。
――――もっと欲しい。
その感覚をが己のものとした時、妙な感覚が背筋をぞくぞくと駆け上がった。イチジもの変化に気付く。イチジがを支配しているのだから、それは当然の事だ。
「」
イチジの声が脳内に反響する。実際はそうでもないだろうに、妙に甘く囁かれたように思えた。ただの義務的な交わりのはずだったのに、どうせ暴かれやしないと思っていたのに、そんなものは全て戯言だ。もう、抗う力など無い。それよりもイチジの支配を甘んじて受け入れる事を身体が望んでいる。欲しい。イチジの全てが欲しくて、渇望する。ちかちかと脳が点滅した。今すぐに、喉から手が出る程、イチジが欲しくてたまらない。ずっとそれを望んでいた。抵抗なんてしなければ良かった。そうすればもっとずっと早く、与えられていたのかもしれないのに。渇いて渇いて、仕方がない。身体が、心が、を形作るもの全てが、ヴィンスモーク・イチジという男を欲している。支配してほしい。他の誰でもない、この男に。
「……おねが、い……しま、す。もっと、奥まで……くださいッ……!」
返事は無い。代わりに、奥を抉るような刺激がを包み込んだ。
「あぁッ~~~~!?」
嬌声を上げる。身体の中どころか思考まで掻き乱されてしまうような激しい動きに脳内がばちばちと弾けていく。
「は、あ、んぅっ……! 奥、だめぇっ……、こわ、れ、ちゃう……!」
「あぁ、存分に壊れるがいい」
「ふあぁっ……い、ちじ、さっ、ま……ぁ、お、なか、すご、い……」
強く全体を揺さぶられ、もう上も下も分からなかった。イチジが与えてくる快楽に、ただただ浸っていたくて、頭の中はそれしか考えられないのだ。はしたなく思われたって、どうでもいい。
「んあぁっ! はぁっ、あ、あぁっ、きもち……、いいのっ、いち、じさまぁっ!」
「っ! あぁ、そう……だな……」
何度も何度も、繰り返し最奥を突かれる。遠くに聞こえる潮騒が、肌と水が打ち合う音で掻き消されていく。内臓がぐちゃぐちゃにされているようなのに、気持ち悪いどころか気が狂いそうになるくらい全身が快楽に溺れている。気紛れに、イチジのものがの弱いところを擦った。身体が弓なりに反る。襲い来る快楽から逃れようと本能で動く身体をイチジが強く押さえつけた。動けないまま、の中が蹂躙される。粘膜しか触れ合っていないはずなのに、身体同士が融けてその境界線も分からなくなるようだった。ごりごりと内臓を弄ばれ、甚振られて、それなのにおかしくなった身体は暴力的なそれを快感だと、気持ちのいい事なのだと、認識するらしい。苦しくて、けれど気持ちが良くて、暴かれた本能がこんなにも浅ましいものだったなんて、思いたくなかった。それでもはイチジを求め続ける。考える事を放棄した。もう何でもいい。の全てがイチジとひとつになりたいと叫んでいる。全身の血が沸騰するように熱い。途端に息が出来なくなる。限界が近いのかもしれない。の意識が白く染まっていく。身体の奥深くからじわじわ登ってくる快感を押し込む度に身体中が震える。けれど、それを解き放った時に、きっと、一番気持ちよくなれるのだ。
「も、だめ、もう……っ、いや、いや……っ!」
言葉とは裏腹に、腰が勝手に揺れる。
「あ、あああ、や、やぁぁ……っ!」
壊れる。壊される。身体の奥からぐちゃぐちゃに掻き回されて、脳を揺さぶられて、もう、何も考えられない。
「も、だめ、イく、イッちゃ、う、いちじさま、いち、じ、さ、ま」
「くッ……、ぅ……」
呻く声とは裏腹にイチジが思い切りの深いところを突いた。
「あっ、イっちゃ、う、あ、あ、あ――――~~~~ッ!」
刹那、思考が融けて、激しく火花が散るように目の前が白く染まった。奥深くまで突き抜けるような熱が、全身を駆け抜ける。びくびくと身体が跳ね、甘く痺れる余韻がじわじわと広がっていく。どろりと重い疲労感が襲ってくるが、まだ熱は冷めない。イチジにぐちゃぐちゃにされた場所は沸々と煮立っていて、離れるのが惜しい。名残惜しげに、そこがきゅうっと締まる。
「……ッ」
小さく息を呑む音がした。まだ中でひくりと脈打つイチジの熱が、ゆっくりと脈動を収めていくのを感じる。けれどもう、目を開けていることさえ億劫だった。薄れていく意識の中で、イチジが切なげな表情を浮かべていることに気付く。
――あぁ、そんな顔もできたのね。
力の抜けた指先が、ゆっくりとイチジの頬へと伸びる。イチジが一瞬驚いたように目を見開いて……噛み締めるように顔を歪ませた。の指が、触れるか触れまいかのところで、イチジの身体が震える。わずかに腰が沈み、何かが決壊したようだった。
「……っ、く……」
掠れた吐息が聞こえる。じんわりと溶けるようなあたたかさが胎の中いっぱいに広がって――――の意識は、海よりも深い微睡みの中に落ちていった。
***
目を覚ます。いつものように身体を起き上がらせようとして、思わずは小さく呻いた。身体中が鉛のように重く、鈍痛が走っている。腕も足も、特にイチジと繋がっていた部分が裂けているのかと思う程の激痛で顔を歪ませた。視線だけを動かし、現在地を確認した。大きなガラステーブルの上に花が活けてある事を視認し、ここが自室であると理解する。
「……誰か、いる……の?」
掠れた声を上げると、バタバタと侍女らしき人物が駆け寄ってきた。
「様!おはようございます……と言っても、お昼を回っているのですが」
「昼……?」
「はい、現在ちょうど、十二時を過ぎたところでございます」
壁に掛けた時計に目をやると、侍女の言う事が嘘ではないと分かった。あれから随分、眠っていたらしい。あの後どうなったのだったか……と考えて、昨晩のあられもない自身を思い出し、羞恥に震えた。夢だったのでは、と思いたいが確かに刻まれた痛みが現実だった事を証明している。あれを毎月、恐らくは二回ほど経験せねばならないのだろうか。重労働にも程がある。これからの生活が途端に憂鬱に感じられた。妃の仕事も楽ではない。幾ら科学と戦争の国ジェルマと言えども、社交の場には出なければならないし、外交も軽視していいものではない。王子らが戦争に出ている間は、代理としてがそういった政を行わなければならないのだ。確定ではないものの、次期王妃として学ばねばならない事も山ほどある。科学で成り立つ国ならば、その方面の知識も蓄えるべきだ。やるべき事は数え切れないほどだというのに、こうも体力を消耗する夜伽まで行っていればいつか倒れてしまうのではないか。それはそれで一向に構わないのだが、そんな甘えた事を言っている時間があるなら少しでも勉強や趣味の時間に宛てたい。寝ている時間だって惜しいのに。
は痛む身体に鞭打って半身を起き上がらせた。少し動くだけでも一苦労だ。そうして、ふと自身の身体へと視線を落とせばやたら上質なナイトドレスを羽織ってる事に気づく。そういえば、昨晩はあまりの衝撃と疲労で気を失ったはずなのに、何故私室で眠っているのだろうか。の疑問が伝わったのか、侍女はにこやかに言葉を投げかける。
「殿下がここまで様をお運びになられたのですよ」
「……あぁ、そうなの」
確かに、あの場に第三者は居なかった。てっきりあの後、召使いでも呼んだのかと思っていたがそうではないらしい。
「まぁ、そのくらいの責任は取って然るべきでしょうね……」
は、さも当然とばかりに言い切った。イチジのせいで散々な目に合わされた挙句、気を失っているのだ。本来は召使いや護衛係の仕事だが、きっと何か思うところがあって自分で運ぶことにしたのだろう。着ていたネグリジェも互いの体液で汚れてしまっていたし、あのまま第三者に託されていたのだとしたら恥どころの騒ぎではない。
が一人で結論を出して納得していると、侍女が驚いたような表情でこちらを見ている事に気付いた。
「何か、言いたい事でもあるの?」
は呆けている侍女に問うた。
「あっ、いえ……。実は、初めてなんですよ」
「何が?」
「殿下が他者を気遣われる事――って、あ! この件はご内密になさってくださいね!」
一体どういう事なのか……と一瞬思案して、は、イチジと出会った時のやり取りを思い出した。あの時、イチジは感情がないとか何とか言っていたような。
「あぁ……、そう言えばそうだったわね」
小さな声で独り言ちた。話半分で聞いていたわけでも、嘘だと思っていたわけでもない。にとっては、それが取るに足らない話ですっかり頭から抜け落ちていただけだった。つまりは、どうでもいい事……とでも言い換えるべきか。感情なんて、無駄なもの。不要だと判断した現国王の意見にはも異論はない。感情が無ければ人間ではなくなるけれど、にとって人間とは相手にするのも厄介で、この世で最も醜い存在だ。ここに来るまでの記憶を振り返るだけでも反吐が出る。の中にどす黒い感情が渦巻いた。けれどもそれは一瞬の事で、直ぐに普段通りの凪いだ状態へと戻っていく。家族――あれらをそう称する事さえ非常に不愉快である――の事を考えると、幾ら取り繕ったところで綻びが出てしまう。まだまだ感情の制御が効かないらしい。もっと多くの仮面を付けておかねばならない、と改めては感じた。
そこで、ふと、疑問が生じる。
「……この国の王子たちは感情が欠落しているのよね?」
「あ、えぇ……っ、と」
侍女が肩をびくりと揺らす。この国の召使い達も苦労をしているのだなと思った。
「いいのよ。既に聞いているわ」
「恐れ入ります」
「他者を哀れむ気持ちなどないのに、私をここまで運んできたのはどうして?」
「それが……、先程も申し上げた通りでして、殿下がそのような事をするの、初めてなんです」
侍女はの顔を伺いながら話し始める。王子専属の指南役らは行為を終えた後は自力で部屋に戻ってきていた事、連れ去ってきた他国の淑女はいつの間にかジェルマ王国から姿を消していた事など。後者に関しては王女や位の高い淑女となれば噂にもなる為、専門の兵士や召使いが国へ帰していたのだろうと推測する。それでも口に戸は立てられなかったようだが。
「気紛れな性格なのかしら」
「そ、それともう一つ……」
「何?」
「妃殿下がお目覚めになる数分前に、ちょうど殿下が様子を見に来られて……。丁重に扱うように、とお申し付けされたのです」
お飾りの妻なのに? とは言えなかった。侍女はそのような事を知らないからだ。それにしても、何故イチジは飾りの妻に対してそこまで手をかけるのだろうか。理解が追い付かない。飾りだとしても隣に立つ以上はらしく振舞えとは言っていたが、それだけでイチジがここまで世話を焼く必要が何処にあるというのか。もちろん文句のひとつやふたつは零すだろうが、はあのまま部屋に置いてけぼりにされたとしても構いやしない。様子を見に来なくても、政略結婚の夫婦なんてそういうものという認識だってある。一体、あの男は何を考えているのだろう。他人の思考なんて覗けないのだから考えたところで無駄な行為ではあるのだが。昨晩の事も、何ひとつ理解が出来ていない。あられもない姿を晒したという自覚はあるので正直振り返りたくもないが、義務的な行為で終えたらいいものの何故ああも丁寧に事を進めたのかには分からなかった。たかが一回の行為でもしかして……と勘違いするような純真さはにはない。何か裏があるか、もしくは本当に気紛れだったのか。
(分からない事ばかりね……)
ふと、自身の指先が震えていることに気付く。理解不能な現状に怯えているようだと、まるで他人事のように感じた。
「はぁ……来て早々、散々だわ」
は小さくため息を零す。同時に、抗いようもない強い眠気に襲われた。とはいえ、結婚して早々寝込むのも体裁が良くないと思い、ベッドから足を下ろす。すると、侍女が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「妃殿下、本日はゆっくり休ませるようにと言われております。何かあれば私にお申し付けください」
「……それも、あの人が?」
「はい」
本当に、何がしたいのかしら。言いなりになるのは癪だが、身体も精神も酷使したおかげで暫く休みたいと感じている事も事実だ。ここは素直に甘えておくべきだろうか。下手に動いたところで、が出来る事など何ひとつ無い。契約の確認もしていないうちから勝手に何かを行う事を、イチジのような男は快く思わないだろう。それならば、今後に備えて体力を回復させる事こそが最優先事項とも言える。明日からはジェルマに馴染む為に様々な事を学んでいかねばならない。暫くはおいそれと眠る時間も無さそうだ。やりたい事もあったが、は再度ベッドに横になった。ふわりと肌触りのいいシーツと羽毛の寝具がの眠気を誘う。侍女の「おやすみなさいませ」という声と共に、の意識は静かに深い眠りの中へと落ちていった。
の私室前。控えの侍女がふたり。ナスタとリリーだ。廊下に人影がないのをいい事に、ジェルマの王族付きメイドにしては珍しく会話に花を咲かせていた。
「ねぇ、今朝の見た?」
「見た見た、ちょっとした話題になっているわよ」
今朝の、とは十中八九イチジとの事だろう。ジェルマで長く働く侍女までもが、イチジの行動に疑問を持っていた。疑問というよりは、ほんの少し期待が混じっていると言った方がより正確かもしれない。それだけ、あの行動は不思議でならないものだった。ナスタもリリーもこの国に長く仕えているにも関わらず、イチジが抱いた女を運ぶなど一度も見た事がなかったのだ。この国の王子たちは科学の力で強化されていて、より強い戦士に、そして北の海制覇の礎とすべく現国王が感情を消した話は皆が知っている。イチジも例外ではない。他人を思いやる心や優しさといった感情が無いせいで、ナスタもリリーも失敗をした時に何度か痛い目に遭った事がある。あの、冷徹で完璧主義かつ冷酷で残忍な第一王子が、他人を思いやるような行動に出るなんて、誰が思うだろう。結婚相手だからといって気を遣うような感情など、この国の王子は持ち合わせていないはずなのに。
「私はてっきり妃殿下も――」
「しーっ!やめなさい、縁起でもない。流石の殿下も、今回はセーブしたんでしょ?」
「どうかしら。妃殿下のお身体を見る限り、そうは思えないけど」
ナスタとリリーはそう言って苦笑した。毎度毎度、本当によくやる。イチジだけに限らず、ニジもヨンジも女を女とも思っていないような、寧ろ同じ人間だと思っているのかさえ怪しい行為を平然と行う。彼らにとって、夜伽相手とは単なる性欲処理の道具なのだろうと思っていた。指南役もそのような愚痴を零していた事を知っている。
「まあでも良かったじゃない、流石に婚約者まで壊して捨てる訳にはいかないだろうし……」
リリーの声が、やけに静かな城内に響いた。壊して捨てる、とは何も比喩でそう言っている訳ではない。単なる事実を述べているだけだ。この国の王子たちは平気でそういう事をする。王子に気に入られて、ジェルマに連れ去られて来た女達の八割は無事に国へ帰る事など許されない。そういう時の対処は専属の兵士や係の者が行っているので実際に見た事は無いが、性行為の最中に身体中の骨が粉砕されて息絶えた者もいれば、腕や足があらぬ方向に曲がったまま放置されていた者もいるという。指南役でそうなった者がいないのは、単に王子たちの気分と運が良かっただけだ。もしくは本来は居たはずが事実を揉み消されたか。
ニジやヨンジが顕著らしい。ニジは気分の差が激しく、やたら時間がかかっている時は大抵部屋の状態は目も当てられないし、遺体も悲惨な状態で放置されているらしい。第二王子殿下は甚振るのが好きだと専ら噂されている。ヨンジは力の制御がうまくいかない時があるらしい。あらぬ方向に折れた手足の遺体は大体が第四王子殿下の仕業と聞く。イチジは淡白だと言われているが、欲の方に傾くと手が付けられなくなるらしい。普段は求められている必要最低限、互いの需要を直感で理解して遂行する程度だが、少しでもイチジのスイッチが入ると相手が死んでも行為を続ける過剰さと執拗さを持ち合わせているのだとか。そうなる事は稀らしいが、第一王子殿下も例に漏れず、という事だ。ナスタが気を失ったの湯浴みを担当したが、あの状態は恐らく後者なのだろうと思う。が気絶した後も欲をぶつけたであろう証拠が至る所に存在していたし、何より生々しいのはの太腿に沿って流れたイチジの白い欲だ。それを目にした時は、流石のナスタも言葉を失った。
「全く、殿下達の癖の悪さには困ったものよね……」
「仕方ないわよ、そういう風に作られているんだもの」
「あはは、そうかもね」
そう言って、ふたりの侍女は顔を見合わせて眉を下げる。くすくすと小さな笑い声が、城内の冷たい石壁に吸い込まれ、そして、静かに消えていった。
赫灼の契り、硝子の姫君は火花に堕つ
初夜の話です。エロというより官能を目指しました。何でもいいけどイチジ様って言葉責めめちゃくちゃ上手そうですよね。