空を見上げる。満天の星空。けれど今夜はあいにく、満月だ。月の光に充てられて星の輝きは普段よりも控えめだった。それに何より明るいのは、海上で燃え上がる敵艦の数々だ。赤々とまるで恒星の如く、ああ、けれど今から燃え尽きてしまうのでしょう。赤色巨星のように。これから超新星爆発でも起こるのかしら……なんて、少々ロマンチックに語りすぎね。
そんなことを思いながら、はジェルマ本城のバルコニーから、燃える海を見ていた。
「次! 砲撃用意!」
その合図と同時に、赤、青、緑、桃の眩い光が島へと飛んでいく。遠くから見ていると、流れ星のようだ。遠くまで聞こえる銃声と、それを弾く金属音。音だけでは何が起こっているのか定かではないが、あの硝煙の中でサンジを逃がすべくイチジたちが命を燃やしているのだろう。
突如、重低音が響き渡りそれらをかき消すように黒い花火が上がった。
「砲撃用意! 撃てェ!」
ジェルマ王国現国王、ジャッジが声を張る。砲台の先にあったタルト型の敵艦は跡形もなく、木端微塵に砕け散っていく。バチバチと激しく炎が上がった。月と星が彩る夜空と、炎と煙が支配する地上の、釣り合いのとれていないコントラスト。戦場というものは、美しいものを消していく。何ひとつ、咲くはずだった花の芽さえも焦がして。当然のことだ。戦争は力ある強者が弱者を蹂躙する舞台。
さて。此度の戦争、どちらが弱者なのだろう。結果など誰にも分からない。けれど、の眼に写る光たちはそんな事を考えてはいない。彼らの中にあるのは"サンジを逃がす"という任務だけ。サンジが助からない事で、あのジェルマ66が作戦を失敗したなんて噂が立ったら沽券に関わるから――などという、合理的な理論を展開しているのだろうか。
赤い閃光が眩く地上を照らす。緑色の竜巻が周囲を薙ぎ払っていく。青い稲妻が空を駆けて、桃色の煙が敵を惑わした。深手を負った仲間を抱えて、黄色い白鳥が誰よりも高く空へ舞い上がる。
「――さようなら、美しい白鳥よ。何処までも羽ばたいていきなさい」
白く輝くタキシードを纏ったサンジに、は告げる。聞こえてすらいないだろうけれど、それでいい。凪いだ気持ちで佇んでいると、突然ジャッジが声を上げた。耳を傾けずとも聞こえてくる内容はどれもサンジを蔑む言葉だ。その問いは全て麦わらのルフィに向けられる。満身創痍の彼に問う内容でもないだろうに。義理の父親は、この期に及んでまで麦わらの一味の行動に理解を示せないらしかった。
(……滑稽ね)
およそ一国の王、ましてや義父に向ける言葉ではないものを心に浮かべながら、はルフィの返事を待つ。なんて答えるのだろうと思っていれば、ルフィがジャッジに負けず劣らずの声で叫んだ。
「じゃあな! 援護ありがとう!!」
はその返事に思わず笑みを携える。
(そうよね……、白鳥たちの中ではそれが美徳ですもの……)
麦わらの一味の艦が、だんだんと小さくなっていく。
ジェルマ王国の主砲が重低音を鳴り響かせ、魚人たちが海を荒らす。所属も出会いも、何もかもがバラバラだったとしても、その誰も彼もが麦わらの一味をホールケーキアイランドから脱出させようと命を懸けている。四皇を相手取るという行為は、もはや自殺行為だといっても過言ではないはずなのに。これが人間の絆というものなのだろうか。優しさなのだろうか。どれも非効率的であやふやな、不確定要素ばかりだというのに。ただ、今回ジェルマはその不確定要素にまみれたものに助けられたのも事実だった。ジャッジがそれを飲み込めない気持ちも、分からない訳ではない。それらはジャッジが不要と切り捨てたものであるし、助けられた今でもそう思っているのだろう。……思うことは、あるのかもしれないけれど。
麦わらのルフィにまともな返答を貰えず、どうも不機嫌を隠し切れていない王に、は声をかける。
「――あの返答では、ご不満でしたか?」
「……私には理解できない者共だ」
「ふふ……、私はそれで構わないと思います。水と油は交われないでしょう?」
「そうだな」
大して興味を向けずジャッジは言う。あまり国王と会話をする機会はなく、こうして話しているとイチジが過る辺り、やはり血筋を感じて仕方がない。がジャッジから視線を遠くへ移したのと同時に、声が投げられる。
「貴様は、なぜ残ったのだ」
カカオ島の眩い光を眺めながら、は言った。
「私もヴィンスモーク家の人間だから……ではいけませんか?」
「含みがあるように思う」
ジャッジの返しに、は目を瞑り、静かに口元を緩める。
「あら。殿下にも同じ事を聞かれましたわ。……血は争えませんね。お義父さま」
そう言えば、ジャッジは不服とでも言いたそうに眉を寄せた。ジャッジはそれ以上何か言う事はなく、兵士たちへ指示を飛ばす。その様子を横目で見ながら、沈むお菓子たちをぼんやりと見つめる。不意に後方を見やれば、サンジ達はずっと遠くを走っているようだった。あの様子であれば、もう心配はいらないだろう。麦わらの一味は万国の海域を抜けるはずだ。どちらかと言えば、心配なのはこちらの方である。ビッグ・マム海賊団もやられてばかりではない。タルト型の船をできる限り母艦へと寄せ、今にでも上陸しそうな勢いで攻めてきている。成り行きをバルコニー上から見ていたジャッジも危機を感じたのか、自ら敵を討つべく地上に降り立った。
「ジェルマの城に踏み入ることは何人たりとも許さん!」
王自らのご登壇に、兵士の士気はこれでもかというくらいに上がっている。
燃え上がる大地を背景にジャッジが有象無象の兵士を蹴散らしていく。国王は空を駆ける鳥のようにその巨体をものともせず縦横無尽に敵を薙ぎ払っている。風を纏い、時には自身の槍で暴風を起こしながら、怪鳥の異名はこの戦闘方法所以のものなのだろう。
遠くに見える巨大なピンク色の船からの砲撃。タルト型の船からも絶えず銃声や砲台の音が聞こえてくる。ジェルマの艦隊は的が大きいので、多少不正確な狙いだとしても城や石壁に命中し、大きな爆発音と共に城が崩れていく。今まで攻め入る側であったジェルマが、ここまで滅多打ちにされることなどかつてあったのだろうか。少なくとも、はこのような絶望的状況に陥ったジェルマを見たことがなかった。誇り高きジェルマ66が、気高き石の城が、砲弾の嵐で壊されていく。
無様な撤退戦。
誰も彼もが傷付き、血を吐いて、それでも決して、王族としての誇りと矜持は捨てていない。意地もあるのだろう。出来損ないと見下していたサンジによって助けられ、不要だと切り捨てた情に救われたのだから。王子たちに感情は無いけれど、それぞれ思う事があったからこうしてサンジの手助けをしているのだろうし、国王に至ってはここで折れたら今まで積み重ねてきたものが全て間違いだったと言われているようなものだ。躍起にもなるだろう。
けれど、にとってはその様が何よりも尊いものに見えた。今まで傷一つ付けずに、当然のように敷かれた勝利の道を歩くより、泥臭く戦って、己の掲げた信条に従って行動する姿は正しく彼らが"人間"である証に違いない。感情も無く、非人道的行為を容易く行ってきた彼らにも、ここにきてやっと人間らしさが芽生えたに違いなかった。人間を見過ぎたせいなのか、彼らの言葉を借りるなら単なる不具合なのか、には知る由もない。けれど、それが、とても喜ばしい事なのだと思った。あれ程嫌いだった人間味に対してこんな感情を抱くだなんて、自身、驚いている。だが、それと同時に理解していた。
「……感情が失われたとしても、決して消えることなどない。何らかの刺激によって、それは後から幾らでも芽生えてくる。抑えていても、奥底からとめどなく溢れる湧水のように、流れ出てくるのよ」
は、それをよく知っている。自身が、そうであったように。
ふと、空を見上げればイチジ達の姿があった。白いマントがはためくのが目に入った時には、考えるよりも先にはバルコニーを飛び出し、城の階段を駆け下りていく。本城の壊れかけた扉の隙間を抜けて地上へ出る。何処に目をやっても硝煙が立ち昇り地表には砲弾の生々しい跡が残っている。バルコニーから見下ろすよりもずっと悲惨な状態だ。ヒールを履いているというのにも関わらず、はぼろぼろになった石タイルの上を駆ける。ちょうど、ジャッジの近くまで来たと同時にイチジらも母艦に降り立った。
外骨格で守られた身体は傷つき、あらゆる場所から血が流れ出ている。こんなにも満身創痍な姿は今まで見たことがなかった。イチジだけではなく、ニジもヨンジもレイジュも皆似たような怪我をしている。
「あの、だい……じょうぶ、なの?」
思わずそのような事を口にしていた。普段であればこそ、心配の旨を伝えれば冷笑されるが今回ばかりは誰もを笑うものなどいない。腕が有り得ない方向に曲がろうが足が変な方向に折れていようが笑っている王子たちも余程堪えているのだろう。
の問いに、イチジが短く返事をした。
「生きてはいる」
「それはそうでしょうけれど……」
言葉の前に、辛うじてという装飾がされているのではと思うくらいだ。
「海域抜けるの遅ェんだよ、あいつら」
「全くだ。外骨格貫通する弾なんて聞いてねェし」
「とりあえず、何とかなって良かったわ」
ニジとヨンジが愚痴を溢す中、レイジュが一息つく。それぞれの反応を見るに、致命傷という訳ではなさそうだが、流血沙汰なんて経験した事もないからすれば、その違いなんて分からない。科学者に見せた方がいいのではと思うも、まだ油断している場合ではなかった。ジェルマはまだ万国の海域にいる。ビッグ・マムの姿は見えないが、このまま万国の海域に居ては消耗する一方だ。脱出しなければならない。ジェルマの母艦はそこまで速さが出るわけでもないので、仮にビッグ・マムが追ってきたとすれば脱出できるかさえ危うくなる。
ひとつため息を吐いた後に、はジャッジの方を見やる。ジャッジはイチジらの帰還を確認し、すぐに
「ジェルマ66、撤退する!」
と、兵士に告げた。
「南の守備が手薄になっている。そこを抜けるぞ」
刹那、大いなる気配が場を包む。巻き上げる水飛沫とお菓子の国の女王の高笑いだけが、海上に鳴り響いていた。
***
頭部から血を流しながらも、イチジが臨戦態勢を取る。ニジは心底面倒だとでも言いたげにため息を吐く。ヨンジは疲労を隠し切れないようだったが、それでも国を守る為に立ち上がり、レイジュは弟たちの様子を見つつ微笑んだ。ジャッジもビッグ・マムへと目を向け、冷静に現状を把握している。は静かに目を閉じ、徐に目を開けた。
――あぁ、女王の帰還だ。
どうやら我々は、これから女王自らの手で断罪されるらしい。まさかそのまま大人しく殺される訳にはいかないので存分に抵抗はさせてもらうのだが。それでも、生きてこの海域を出られるかだなんて誰にも分からなかった。
全てを知るのは、神に違いない。
けれどここは神に仇なす科学の国。ジェルマ王国が信仰する神などいないし、もそのような実在するかも分からない者に自身の命を預けたくなどなかった。託すとしたら一人しかいない。の命はもうとっくに、契約を交わしたあの日から、ヴィンスモーク・イチジのものだ。例外はない。いつ如何なる時も、共に在る事を誓った。流されたわけじゃない。選んだのだ。存在しない神など要らない。それをイチジが殺すというなら、もその屍を踏みつけて生きていく。そう決めていた。
海水の雨が静かに降り注ぐ。塩の粒子が髪を濡らし、肌を撫でた。魂の歌が音の波となって広がっていく。そろそろエンドロールの時間だ。長い演目だった。騙し騙され、血と機械と契約で塗り潰された、心の名を持たぬ物語。けれどそれもいつかは終わる。魔法をかけられた演者たちは仮面を外し、本来の姿へと戻っていく。仮面も、魔法も、血で滲んだドレスも、すべて舞台に置き去りにして。もう必要ない。ガラスの靴だって、投げ捨てている。
――私は選んだわ。神ではない。運命でもない。この命を、誰に託すかを。舞台は終わりがあればこそ美しいものね?
終演を告げる鐘が鳴り響く。
『LIFE or DEAD?』
は、ただ一歩を踏み出す。
終幕のカーテンが静かに、けれど容赦なく舞台を覆い尽くした。
終演
これにて本編完結になります!読んでいただきありがとうございました。