本音は花に託して


 窓の外を見ると、もう月が輝く時間になっていた。ふぅ、と思わずため息が漏れ、そのまま倒れるようにソファへと腰を下ろす。
 ……あぁ疲れた。それだけが感想として浮かぶ。朝から忙しない一日で、休む暇などなかった。本日は王子たちの誕生祭。式の段取り、関係者への招待状管理、贈り物の用意から選別、会場準備の指揮取り、当日来賓者への挨拶など。妃であるは、それら全てを熟さねばならなかった。式はまだ途中ではあるが、さすがに休養が必要だ、と判断し、暫し抜けてきたのだ。最近は大した睡眠も食事もとれていない。元々華奢な方であるにとっては文字通り、身を削る思いで数カ月を過ごしていた。だが、それもこのパーティーを乗り切りさえすれば終わる。
 数分だけ休んだ後、ソファからゆっくりと立ち上がろうとした、その時。
「……あ、」
「ここに居たのか、
 突然部屋の扉が開き、燃え上がるように真っ赤な瞳と、ルビーを嵌め込んだ無機質な瞳が交差した。急な来訪者の正体は、本日の主役であり、自身の夫でもある──イチジだ。すかさずはソファから腰を上げて会釈し、形式じみた挨拶をする。
「ジェルマ王国の輝ける星、ヴィンスモーク・イチジ殿下に拝謁……」
「いい。何度も聞いた。そろそろうんざりしていた頃だ」
 イチジは呆れたように息を吐く。
「それに、今更互いに畏まるような関係か?王を敬うという心掛けは立派だが、妃としての立場をもう少し考えろ」
「──はぁ、それは……申し訳ありません」
 頭を下げようとすれば、それもイチジによって止められた。なれば、と思い歩み寄ろうとするも、イチジは「座っていろ」と行動を制する。普段であれば、はそれを無視して歩み寄っていた。イチジに指図される事が気に食わないわけではない。それが妃として当たり前だからだ。イチジはジェルマの王になる男だ。未来とはいえ、その素質を持った相手に下の者が労をかけてはならなかった。だが今、は相当疲労が溜まっていたらしい。座れと言われて、素直に従ってしまうくらいには。来訪者の正体がイチジであったからか、一瞬の緊張も解けふらりとソファに沈みこむ。
 イチジは倒れるように座り込んだを横目に腰を下ろした。正装に身を包んでいるからか、普段よりも視界が眩しい。白を基調とした外套、宝石や金をふんだんにあしらったブロケード生地のドレスシャツ、一切汚れもくすみもない白手袋。が幼い頃に本で見た、白馬の王子様とやらにそっくりだった。そういう柄じゃないでしょう、という指摘が野暮なほどに、イチジはそれらを着こなしている。
「よくお似合いです」
 装いに関しては滅多に口を出さないでも、思わずそう口にしてしまうくらいには。イチジは当然だろう、と一言零し、口を噤む。それ以降は、どちらも口を開かなかった。ふたりぼっちの大きな部屋には、遠くにあるはずの、会場の談笑だけが響く。おめでとうございます、王子。ジェルマに栄光を。永久なる繁栄を。口先だけの、或いは本心なのか。それとも、ヴィンスモーク家といった強大な力を手にしたいという野心からか。素で飲み込むには重い、添加物に塗れた言葉が部屋を満たす。それらが煩わしくなって、が口を開こうとした時、不意にイチジが言葉を発した。
「――あの花は、お前が用意したのか」
 あの花。は、夜会の前に設定されていたプログラムの事を思い出す。
「ゼラニウムの事ですか?」
「ああ。色は確か赤と……白が数本混じっていたな」
「温室で育った花の中で、一番美しく咲いたものを選んだのですが……気に入りませんでしたか」
 淡々と言葉を返していく。自分が渡した贈り物の事を考えながら、視線は自然とイチジから背ける形になった。ゼラニウムの花言葉は「尊敬」と「信頼」。似合わない、とは思っていない。は確かにイチジに対して恩を感じているし、一定の信頼は寄せていた。王として育てられ、それに相応しいと言えるほどの才や力を持っている事も、尊び、敬っている。だから、そう、間違っていない。間違っていないのだ。これ以上ないプレゼントでしょう。殿下にとっても、自分にとっても。ゼラニウムに乗せて送った言葉はすべて真実。
 ――だから、そう
「私はあなたの愛を信じない」
 イチジがそれに気づくのは、想定外だった。逸らした視線は、イチジが無理やりの腰を引き寄せた事で再び混じり合う。
「誕生日プレゼントにそのような言葉を贈る女は、お前くらいだな。……
「知っていたのですか」
「俺を誰だと思っている」
 ばち、と赤い閃光がの瞳を染めていく。日頃の感謝と祝う気持ちに、ひとしずくの嫌味を込めたつもりがどうやら全てお見通しだったらしい。先程まで一切表情を崩さなかったが、観念したように口許を緩ませる。貼り付けた仮面ではない。作った笑みでもない。嫌味を突きつけたというのに、不愉快な顔もせず誇らしげな顔をする夫がどうにも可笑しかったのだ。
「恐れ入りました。改めておめでとうございます、殿下……いえ、イチジ様。誕生を心からお祝い申し上げます」
イチジはその言葉には答えずに、の手を引いた。本日の主役が、長時間姿を隠すわけにもいかない。も、まだまだ仕事が残っている。ジェルマが誇る王子達の誕生祭なのだから、最後まで気を抜くことはできない。イチジの手を借りて、ふらつく足を叱咤しゆっくりと立ち上がる。疲労などひとつも感じさせない面持ちで部屋を出た。会場までの長い廊下を歩くイチジとは互いに何も言わず、まっすぐに前を見つめる。イチジのエスコートに全てを任せ、完璧な夫婦を演出した。そうして同時に会場に戻れば、更なる喝采と祝福の言葉がふたりを包む。

 本音はゼラニウムに込めて。どれも本当のことなのだから。
 ――――君ありて、幸福。

イチジ様お誕生日おめでとうございました。

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