幸福には程遠い

 ざざん、と波の音が頭を支配する。海を揺蕩う船……と形容するのは間違いで、海を遊覧し移動する国、その上では遠くを眺め物思いに耽っていた。というのも、本日はの夫であるヴィンスモーク・イチジを含めた、ヴィンスモーク家の王子らが生まれた日である。去年は国をあげて行った誕生祭が遠い昔に思えるほど、この一年で様々な事があった。今ここに命が在る事が不思議なくらいだ。
 ジェルマ王国の消えた三男、ヴィンスモーク・サンジと、かの四皇、ビッグ・マム海賊団三五女シャーロット・プリン嬢の栄えある政略結婚が全ての始まりだった。翌々考えなくとも、海賊である彼らが考えなしにこちらと手を結ぶわけもなく、蓋を開けてみればやはり罠が仕掛けられていたという。自身はパーティー自体に呼ばれることは無かった為、詳細や起こった事件は全て義姉であるレイジュから伝えられた。後に戦争と例えてもおかしくはない程に様々な対立が勃発し、ジェルマ王国もかなりの痛手を負う事になり、も何度も命の危機に立たされたのだ。非戦闘員である彼女が生き延びた事は、本当に奇跡の中の奇跡と言っていいだろう。その後は文字通り、命からがら逃げ出し、現在に至る。もちろんその間に語りきれないほどの事件があったが、それはまた別の話で、さして問題はない。第二王子と第四王子が囚われの身になっていた事は問題かもしれないが、無事に帰ってきた為これも置いておく。
 現在は、ホールケーキアイランドにて破壊された国の復興も問題なく進み、少なくとも王族である彼女らの私室は、以前のようにとはいかずともしっかりと修復されている。戦いで多くの兵力を失ったが、ここは科学の国ジェルマだ。既に補充も済んでいるという。相変わらず人間の国と呼ぶには気味が悪く、倫理の欠片もないが昔に比べればある程度は丸くなったと感じる。それとも、自身がジェルマの思考に染まっただけなのか。事の真偽などはどうでも良い。
 海から視線を逸らし、背景にあるジェルマ城を見やった。未だ復興が済んでいない場所もある為、兵士らがてんやわんやと忙しなく復興作業に追われている。ぼう、と城を見上げていれば、海風がの薄紫をなぞり、白磁の肌を撫でた。少々肌寒い。あまり身体が丈夫ではない為、室内に戻ろうとした時だった。刹那、潮風の香りがばちりと弾けて消える。視界の端で赤い閃光が灯り、パチリ、と音を上げた。
 誰が後ろにいるのかなど、振り向かずとも理解できる。
「――何用ですか、殿下。迎えなど頼んではおりませんが」
 薄い桃色の唇がそうっと動き、静かで儚く、透明な声が響き渡った。殿下――ヴィンスモーク・イチジはの問いには答えない。
「ここで何をしている」
 一切表情の見えない声色で、イチジは言った。がじい、と見上げても、漆黒のサングラスに阻まれて彼の眼が何を語っているかなど見当もつかない。全く、難儀な男を夫に持ったものだ、と今更な感想を胸に抱き、は返事をする。
「今年は何を贈ろうかと考えていたのよ」
「……へェ。それで、答えは出たのか」
 どうだかね、とが返せば、イチジは一瞬、整った口をへの字に曲げて直ぐに普段の仏頂面になる。何を考えているのか察せる事は少ないが、こういった部分に関してはどうにも子供らしい。彼の事は好きでも嫌いでもないが、自身の事となると分かりやすい反応をする点は可愛らしいと感じるものだ。
「着いてきてくださる?」
 はそう言って、イチジの手を取る。面倒だ、とでも言いたげに顔を顰めるかと思いきや、そんな事はなく、珍しく彼はの言う通りに手を引かれ黙って歩みを進めた。

 目的の場所は、城の近くに存在した。あの壮絶な戦いでも、何故か一切目を付けられず、形そのままに残っていた数少ない建造物だ。時期は春。フリージアやネモフィラ、藤など数々の花で造られたフラワーゲートを潜り抜け、その先へ歩みを進めた。フラワーゲートの先には、無色透明のガラスで囲まれた温室がひっそりと建っている。がジェルマへ嫁いだ時に、どうしてもと我儘を言って作らせたものだ。壊されずに済んで、本当に良かった。
 普段であれば、花や植物になど興味もなく、無作法に踏み潰していくだろう男にこの場所へ案内することなどない。気まぐれにやってきては異国で見つけた花を適当に植え、辺り一面生命力が強いその花に元々植えていた花が栄養を奪われ景観が台無しになった事もあった。腹が立って厳しく叱りつけたが、彼にとっては妻が喜ぶだろうと思ってした事かもしれない、と考え一応専用のスペースを確保し、現在も育てている。当の本人はそんな事など忘れているかもしれないが、にとっては嫌な思い出でもあり、少しだけ嬉しいと感じた事でもある。花や植物に関心がない男が、気まぐれとはいえわざわざ自分の為に花を持ってきたという行為自体は、素敵な事だと思うのだ。政略結婚ではあるが、自身の夫であるし、感情がなく人間とも言い切れないイチジが花を摘んできた、という事実がそこに在るだけでほんの少し胸が弾む。
「……今年も花か?」
 ふと、イチジがそう呟いた。繋いでいた手をそっと離し、彼の方を向けば形容しがたい顔でこちらを見ている。
「いいえ。今年は貴方にこの温室の一角をプレゼントしようかと思っているの」
「王は土いじりなどしない」
「ちょっと。土いじりなんて言わないで。ガーデニングと言ってくれる?」
 ここからここまでが貴方のスペースよ、と指をさした。イチジは全く気が乗らないようで、不機嫌な顔を一切隠さずにを見ている。想像通りの反応だ。彼にとっては本当に面白くないのだろう。昔、がガーデニングをすると告げた際にも同じ態度を取り、王族が土に触れ泥に汚れるなど正気の沙汰ではないと言い放たれた経験がある。もちろん、そんな勝手な言い分は無視を決め込み、今まで趣味を貫いてきたわけではあるが。不思議とそれ以上イチジも文句を言う事はなく――否、何度かあったもののある程度は好きにさせてくれている。
 ぶつぶつと王たるおれが、とか、土汚れなど屈辱だとか何とか呟き始めたイチジから目を離し、はある物を手に取った。
「植える物は決めているの。はい、これが第二のプレゼントよ」
 はストロベリーポット、と呼ばれる鉢をイチジに手渡す。
「何だこれは」
「貴方の好きなイチゴ……の苗木。本来なら秋頃に植えるものだけど、これは珍しい品種の苗なの。今から植えれば来年の今頃に収穫できるはずよ。うまく育てられたら、の話だけど」
「イチゴの苗?わざわざ育てろというのか。次期国王となるこのおれに」
 ポットに植えられた苗を見て、イチジは訝しむ。指先で葉をつついてみたり軽く引っ張ってはまるで未知の生物にでも触れているかのような反応だった。
「……別に、私も貴方が好んでガーデニングするだなんて思ってもいないわ。けれど贈って直ぐに無くなる飲食物より、形に残る方が良いのではないかと思ったの。去年渡したゼラニウムも枯れるまで飾っていてくれたみたいですし」
 それに、とは続ける。
「貴方にとっては興味も関心もないでしょうけれど、夫婦で何かを一緒に行うって良いものだと思って。共同作業というものよ。……まぁ、途中で飽きても私が一人でやれるし、そうなったらフェムにでもお願いするから、好きにすればいいわ」
 そう言って、はイチジへ手渡した苗を再度受け取り、侍女や執事らと一緒に作り上げたイチゴ専用の畑へと手を付けた。初めこそ黙って見ていたイチジであったが、が視線で促せば少々抵抗しつつも、度々土を触っては不愉快そうに眉をひそめ、数度それを繰り返した後に諦めて小さなスコップを手に取り苗床を作り始める。およそ一時間程度かけて、何とか形にまで持っていくことができた。本来であればもう少し早めに切り上げる予定だったが、イチジの腰が予想以上に重かったせいで時間がかかってしまった。憶測を見誤ったらしい。とはいえ、途中で投げ出したりはせず、不快な表情をしつつもやり遂げたのだからそこは良しとするべきかもしれない。王たる条理ゆえなのか、持ち合わせている意地と空よりも高いプライドゆえなのかは分からないけれど。
「どう?意外と重労働なのよ。ガーデニングも」
「――考えていたのだが」
 ふと、イチジはの顔を覗き込む。濃い黒のサングラス越しに目が合う感覚があった。じっくりと見つめれば、黒の奥で光るルビーの瞳が見える。
「子作りも夫婦で行うものではないのか。もう既に何度か経験しているはずだが」
 ……何を言うかと思えば。咄嗟に見つめていた目を逸らした。
「ねぇ。そういうの、やめてくれる?確かにそうだけど……それとはまた違うでしょう。あれは義務みたいなものでもあるし……大体貴方は私以外とでもしているのだから、夫婦の共同作業とは言えないのでは?」
 はぁ、とため息を零せば、軽快に喉を鳴らす音が聞こえる。あぁ、これは故意的に発言したらしい。鋭く睨みつければ、イチジの口元が弧を描き、勝ち誇ったかのように鼻を鳴らした。ああ、本当に子供らしくて、言葉にならない。
「とにかく!これを今年のプレゼントとします。来年は……そうね、育てたイチゴをプレゼントするわ。そのまま食べてもいいし、ウイスキーに漬けてみるのもいいのではないかしら」
「来年まで食べられないのか?ならば食材調達係やフェムに命令した方が早く口にできるだろう。お前はまわりくどい事が好きだな」
「まぁ、好きにすればいいんじゃない。どうせどんなブランド品を食べても、自分でつくった物を食べても貴方に味の違いなんて分からないだろうから」
 はゆっくりと立ち上がり、踵を返す。イチジは暫く、植えたイチゴの苗を眺めていたががちょうど温室を出るタイミングで目を逸らすと、彼女を追う形で温室を後にした。何を言わずともイチジはの横に着き、そのまま会話もなくふたりは城までの道を歩いていく。別に着いてこなくともいいのに、と溢すのは野暮だろうか。考えれば、以前よりも同じ時間を過ごすことが多くなったように思う。一時の気まぐれか、それとも必然なのか、には知る由もない。
 ――時に、イチゴの花言葉には『幸福な家庭』というものがあるらしい。は頭の中でそれを思い浮かべながら口にはせず、自分たちにとっては遠く縁のないものだと笑みを浮かべた。

2024/03/02に書いたものです。去年書いた"本音は花に託して"の続きっぽいもの。王子たち、おめでとうございました。

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