頭上で、星のように輝くシャンデリアが階下を照らす。その先では、大勢の人間が宴を楽しんでいる。汚れひとつさえ見当たらない真っ白な絹のテーブルクロスに並べられた豪勢な料理の数々。この日の為に、世界中から取り寄せたであろう上等な酒、果物、菓子……目に映るものだけで数億はくだらないだろう。
全く、戦争に負けた国で世界政府加盟国からも逸脱したというのに、それだけでこの国の財政は傾かないらしい。それもそうか、と階下で浮かれ騒ぐ国民を見て、彼女はため息をひとつ零した。たったそれだけだと言うのに、彼女――の視線の先ではその仕草を見た国民たちが感嘆の声を漏らす。または、姿に見惚れ手に持っていたグラスを落としかける者や、数秒固まって動かない者など。
――そういえば、いくら複製人間でも、こういった事への耐性までは搭載されていなかったわね。
なんて、何処か他人事のような思いを抱きながら、は己を見上げる国民……およびクローン人間の集団へ軽く目配せをし、にこりと微笑みを浮かべた。瞬間、周囲がどよめく。その様子は、まるでよくできた絵画であり、ガラス細工のように繊細で、見るもの全てを魅了してやまない。ここが科学の国ジェルマ王国でなければ、彼女たったひとりの為に暴動や戦争がおきてとうの昔に滅んでいただろう。という女は、そういう女だった。およそジェルマ王国でしか、理解も存在も許されない至高の美の化身とでも言うべきか。
そんな彼女は、本日十数度目の誕生日を迎えた。本格的に誕生日を祝われるようになったのは、ジェルマ王国へやってきてからの話だ。
は、誕生日が大嫌いだった。祖国にいた頃に祝ってもらった記憶はないし、そもそも唾棄されるべき存在で毎年毎年迎える誕生日に、あぁ、今年もまた生き延びてしまったのだと嘆いた事も記憶に新しい。それが今では、こんなにも大勢の人に祝ってもらえる立場になるのだから、つくづく人生とは先が見えないのだと思う。誕生日も、そこまで嫌いではなくなっていた。さしものも、大勢に祝われて悪い気などはしないのだ。
「(それにしても、皆随分と浮かれているようね。仕方ないか、普段は戦争だ訓練だと休むこともままならないから……)」
手摺にほんの少し触る程度に、手を置く。すると、より一層強い歓声が場を染めた。そこまで大袈裟に反応するような仕草だったかしら、と不思議に思っていると、の背後に声が投げられる。
「どうした。もう疲れたのか?」
声の主など、振り向かずとも分かる。なるほど、国民が沸き立つわけだと納得した。……本日の主役は貴方ではなく私だけれど。それでも、やはりこの国の将来を担う者のご登壇となれば、そう設計された複製人間たちはいっそう、盛り上がるのだろう。
「……だとしても、私が下がるわけにはいかないでしょう。それに、そう感じていらっしゃるのなら、もう少しお早めにいらしてくださいな……イチジ殿下」
言って、徐に声の主へ顔を向けた。
「支度に時間がかかった。ここまでのエスコートはしたのだから、文句を言われる筋合いはないだろう」
「エスコートの後のほうが大切なのでは?」
「今日はやたらと饒舌だな、」
売り言葉に買い言葉の会話が続く。お互いに一筋縄でいくような性格はしておらず、食えないやり取りが成されるのは日常茶飯事だ。だが、これでも数年寄り添った夫婦である。夫であるイチジはともかく、はある程度、何処まで入る事を許されているのか把握しているので、不用意にイチジの気に触る発言をする事はない。
「えぇ、まあ。誕生日くらい、少々浮かれたって構わないでしょう?」
それに、とは続ける。
「私の為に、愛する夫が開いてくださったパーティーですもの。悪い気はしません」
「フン、当然だ」
煽てたわけではない。悪い気がしないというのは、本当の事だ。それ以前の言葉は、嘘とも本音とも言い切れないが。
はそれ以上の言葉は紡がず、薄桃色の唇を結んだ。イチジがの横に立てば、湧き上がる歓声は最高潮に達する。それもそうだろう。現在は彼らの父であるジャッジが国を治めているが、第一王子であるイチジが次期国王となるのは明白で、謂わば二人は未来のジェルマを担う次期国王と王妃なのだ。
「イチジ様!」
「妃殿下、お誕生日おめでとうございます!」
「第一王子と王子妃に栄光を!」
二人は国民へ目配せをする。イチジが静かに手を挙げれば一瞬にして歓声は治まり、あれほど煌びやかに彩られた会場が静寂に包まれた。
は、小さく一歩だけ前に出て、ホール内のバルコニーに立つ。シャンデリアの光が彼女を照らす。薄紫の細い糸が彼女の動きに合わせ揺れ動き、宝石を彷彿させる無機質な紅い瞳が豪奢な会場を映した。その一挙手一投足でさえも、精巧に作られた芸術作品だ。瑞々しい唇をゆっくりと開き、凛とした鈴の音が会場に響き渡る。
「国民の皆々様、本日は私の誕生パーティーに集まっていただき誠に感謝いたします。この場を設けてくださった王子殿下にも、心から感謝を。私たちは一度下がります故、国民の皆様はどうかこの先もパーティーを楽しんでくださいね」
そう言って、ほんの少し口角を上げ、柔く微笑む。そのまま、綺麗なカーテシーで締めくくる。会場が再び湧き上がると同時に、は黙ってイチジの腕に手を寄せ、仲睦まじい夫婦を演出しながらその場を後にした。
***
別室。会場から少し離れた場所に、イチジとはいた。先程までは良い雰囲気に包まれていたものの、今では見る影もない。互いに一定の距離を取り、碌に会話もせず、ただ疲れが溜まった身体をソファに預けて沈む。が窓の外へ顔を向ければ、辺りはすっかり闇に包まれていた。朝から行われていたパーティーも、ようやく終わりを迎えそうだ。常人より遥かに体力が劣るは、そろそろ限界だった。疲れもピークに達していたし、この日の為に用意されたピンヒールで靴擦れを起こしている為、歩くのも億劫だ。思わず深いため息を吐いた。イチジはそれにすら反応を見せない。一度ソファに腰を掛けたと思えばそれ以降は一切動きを見せなかったので、眠っているのか起きているのかも分からない。
暫く、じいと見つめていれば
「……何だ」
と、漸く反応があった。
「起きていたのね」
「起きていてはいけないのか」
「誰もそんな事、言っていないでしょう」
は、そのままイチジを見つめる。一度も見た事のないタキシードを身に纏っていた。エスコートをされた時とは、また違うスーツだ。会場に現れた際に気づいてはいたものの、それに言及する間もなく今に至ってしまった。さすがに無礼がすぎると思い、ソファから身を起こしてイチジの隣へ腰をかける。
「申し訳ありません、新たな装いには気づいていたのですが……」
黒を基調に、サテンで仕立てたジャケット。テイルの裏地にはワインレッドが使用されており、赤が似合う彼らしい差し色だ。ウィングカラーのシャツやタイは品を感じさせる白で統一してある。革靴や手袋など、身に付けている物の細部に至るまで、第一王子の風格と威厳を感じさせるそれは、正にイチジの為だけにつくられたオートクチュールだ。
「ありきたりですけれど……、よくお似合いです。やはり殿下には、赤が映えますね」
「そうか」
えぇ、とひとつ返事をし、また静寂が訪れる。
疲れている中でわざわざ褒めてあげたのに、などとは思わない。イチジは元々、世辞にあれこれと言及しないタイプだからだ。けれどがそれを怠らないのは、偏に妃である自身の役目だというのと、もう一つは、それが本心だった場合は伝えるべきなのだと、自身が感じているからである。
何もかもが嘘で塗り固められたイチジとの関係の中にだって、真実は存在している。たった一枚の紙切れで繋がっている縁だとしても、イチジとは夫婦なのだ。
――変わったわね、私も、あなたも。
少し前までならば、こんな事を思いもしなかった。寧ろ互いに不干渉である事こそが、私たちの美徳だったのに。彼ら兵器の言葉を借りるなら不具合と言ったところか。人間の成り損ない同士でも、二人でいれば少なからず影響が出るのかもしれない。
「ところで」
ふと、イチジが珍しく口を開いた。なんでしょう、と答える間もなく、イチジは続ける。
「ドレスは気に入ったか」
……ドレス。何のことだ、と考えるまでもない。今、が身に纏っているものは、誕生日の贈り物として、事前にイチジから与えられたものだからだ。花や宝石などは以前もあったが、ドレスを贈られたのは初めての事で、も少々目を丸くした。
「はい。こんなに上等なものを仕立てていただいて、感謝しておりますわ」
黒と青紫を基調にした、ボール・ガウン・ドレス。スカート部分は、何層にもレースがふんだんに使われており、装飾には金糸が施されている。それに合うように、オペラグローブとショールも似たような色合いと作りになっている。レースの他に、上質なタフタ生地も使われているらしい。この世でたったひとつ、に似合うように、の為に作られた、オートクチュール。イチジのテイルコートと揃いで並べば、見る者を圧倒させる。
王族は、同じ服をそう何度も着る事は無い。気に入ったものであれば、時々袖を通すくらいで、大抵の、もっと言えば大きな宴の為に作られたものはそれ以降陽の目を見る事は殆ど無いのだ。だから、今日のイチジとが身に纏うそれらは正真正銘、の誕生祭の為だけに作られた専用の衣装である。今日を過ぎれば、恐らくもう二度と着る事はないのだろう。
「今日で見納めなのが、惜しいくらい。こんなにも美しいのだから、もう一度くらいは揃いで着たいものですわね………」
「この程度、お前が望めば幾らでも仕立ててやる」
「あら。過ぎた贅沢とは仰らないの?」
「お前は、おれの妻だろう」
「……?えぇ、まあ、そうですね」
返答の意図が、いまいち掴めなかった。彼の妻だから、どうしたというのだろう。まさか、妻の我儘に応えるのが夫の役割だとは言うまい。イチジはそのような思考回路を持たないと分かっているし、そもそもその考えに行きつくのすら怪しい。ならば、何故。
「分からないか?」
「はぁ……、殿下のように頭脳明晰、博識で賢明ではありませんので」
「回りくどい事を言う」
どちらが、とは言わなかった。、と名を呼ばれる。
「貴様は、おれの妻だな?ならば、それ相応に着飾る事のどこが贅沢なんだ。お前が美しければ美しいほど、おれの権威も威光も紛れもない事実になる」
「……私の事を、美しいと思っているの」
「お前を見て美しいと思わない奴が何処にいると言うんだ?」
ぱきり。何かが割れる音がした。
「揶揄わないで。じ、冗談でしょう……、殿下も随分と饒舌」
ですね、という続きは言えなかった。
イチジと目が合う。バチバチと弾ける赤い閃光に、言葉を失うほど魅入ってしまった。あぁ、やはりこの人の目は苦手だ。普段は感じないものを、いとも簡単に知覚させられてしまうから。ガラス玉のようなその瞳に見つめられるだけで、何でも見透かされている感覚に陥って、何重にも重ねた仮面――心の壁と称するべきか――が音を立てて崩れていく。
動揺が隠せない。どうしていつも、急に踏み込んでくるのかしら。入ってきていいなんて、一言も言っていないし、許したつもりもないのに。
「何故そうも戸惑う。お前の美しさは理解しているつもりなのだがな。澄ました顔も、態度も、仕草も、そうして言葉ひとつで乱れる様も、全てが人を狂わせる――違うか?」
「そういう、訳じゃ……!」
「ふはっ……、ああ、気分がいい!楽しいな、おれはお前のその顔が見たかった。お前が妻である事を放棄して、女となる様は愉快だからな」
「なんて趣味が悪いの!」
珍しく眉を吊り上げ、顔を上気させたが抗議する。だが、それすらもイチジの思う壺なのか、然して気にする事も無く、イチジは隣に座る彼女の顔を無理やり自分に向かせた。
「なに、褒め言葉として受け取っておこう。さて、。男が女に服を贈る理由は知っているか?」
「は――」
「無論、知らないわけがないな」
イチジの空いた方の手が、の腰を這う。コルセットを着用しているはずなのに、妙になまめかしい動きが伝わって、思わず身震いをした。
「殿下、お戯れを……というより、お待ちくださ……待って、この後はダンスのプログラムがあるのよ!?」
「それがどうした」
「どうした、ではないでしょう!パーティーでの疲労も溜まっているし、こんな……こんな事をしたらダンスどころじゃないわ!!」
「おれは疲れていない」
「私が疲れているのよ!それに、あぁ……着崩れを起こしたら、というか誰か入ってきたら、」
「もういい、少し黙れ」
イチジの影が、と重なる。行動は乱暴であるのに、口付けを交わすときはいつも優しかった。薄桃色が段々と色づいて、熟れた果実の潤いを帯びる。それを彼のぬるい舌が、ゆっくりと味わうように、伝っていく。調子が狂う、こんなのずるいわ。脳内ではずっと、危険信号が鳴り響いているのに、の指は少しも動かなかった。
弛んだ胸元を晒しながら、再度ソファに沈み込む。良い眺めだ、なんてイチジが呟いたと思えば、自身のジャケットを脱ぎ捨てて口角を上げている。こうなったら到底、ひとりではどうしようもないし、彼の気が済むまで止まらない。
――前言撤回、やっぱり誕生日なんて、嫌いだわ。
カーマインに染まる刻
夢主の誕生日に書いたもの。2025年版です。