桃色のティー・パーティ

 冷えた石造りの廊下を、レイジュはひとり静かに歩いていた。この国――ジェルマ王国の由緒正しき姫であるが、護衛はいない。それは彼女も”戦争屋”ジェルマ66の一員である事を示していた。レイジュはある部屋の前でぴたり、と歩みを止める。そうして、控えめに扉を叩けば、中から侍女が顔を覗かせ、はっと息をのむ。そんなに緊張することかしら、と他人事のように思いながらレイジュは薄く桃色に色づいた唇を徐に開き、言葉をかけた。
はいる?お茶会でもしようかと思って」
「妃殿下ですね。えぇ、いらっしゃいます」
 侍女はそのまま、扉の向こうにいる部屋の主人に伺いを立てた。承諾の返事がレイジュの耳へ届く。まあ、あの子が誘いを断るなんて滅多にないのだけれど。レイジュは胸中で呟き、妃殿下もといの準備を待つ。間もなくして、扉は開かれた。
「お待たせ致しました、レイジュ様」
 侍女は恭しく頭を下げ、レイジュを中へと通す。
 陽当たりのいい、白を基調とした一室。レイジュの私室とは、また違った印象を見せている。レースがふんだんに使われたソファやベッド。汚れや傷が一切ないガラス製のテーブル。ホワイトを目立たせるために、大理石製の床にはグレーやベージュの絨毯を使っている。所謂、ホワイトインテリアと言ったところか。部屋の主人であるは、美しいものが好きだ。確かに、洗練された白はによく似合う。それはそれとして、厳かで何色にも染まらない黒も、きっと彼女は着こなしてしまうのだろうけれど。
「レイジュ様。ご足労いただき申し訳ありません」
 部屋の中央にあるソファを立ち、は指先まで整えられたカーテシーを披露する。
「ふふ、気にしなくていいわ。可愛い義妹のところへ訪れる事が足労になるはずないじゃない?」
「とはいえ、レイジュ様は我が国の第一王女でいらっしゃいますし……。呼んでいただけたら、私が向かいましたのに」
「あら、お義姉さまではないのね」
 レイジュが言えば、はそっと目を伏せた。窓から差し込む光が、の長く整った睫毛を照らし、赤い瞳が一層輝く。たったそれだけの動作で、この部屋に居る存在は彼女から目が離せなくなる。現に、扉を開けた侍女はぼうっと突っ立っているし、奥に控えたメイドも思わず手を止め、に魅入っていた。彼女の美貌は、そういうものだ。の意志がどうであれ、勝手に魅せられ、堕とされる。レイジュにはそれほど効果がない、と言えば嘘にはなるが、そこまで深刻に影響されることはなかった。確かにの事は美しいと思っている。けれど、それだけだ。変に堕ちる事もないし、何より、レイジュにとっては可愛い義妹である。義理の妹に誘惑されるだなんて、おかしな話だ。
「そうそう。今日はね、珍しい茶葉が入ったの。一緒にどうかと思って」
「その国章は……。本当に珍しい、どのようにして入手されたのですか?」
「レイジュお義姉さま、と呼んでくれたら教えちゃおうかしら」
「……」
「もう!どうしてそう頑ななのかしらね」
 他愛のない話をしながら、レイジュはの侍女へ茶葉が入った袋を手渡しの対面へ腰を下ろす。座り心地はとても良く、ふわりと一瞬沈み込んだ。まるで雲にでも包まれているような、なんて、雲に触感なんてないのだけれど。
「意地悪を仰らないでください、レイジュ様。確かに、私にとって貴女様は義理の姉ですけれど……、立場というものがございます。私にも、レイジュ様にも」
「それはそうだけれど。いいじゃない?お茶会の間だけで構わないから」
「お望みであれば」
「えぇ、そうしてちょうだい」
 レイジュはを見てにこり、と微笑む。タイミングを見計らったのか、侍女は持っていたティーポットとカップ、焼きたてのスコーンを静かにテーブルへと並べて扉の奥へと控えた。どちらともなく、目の前にある紅茶を手に取ってこくり、と喉に流す。ダージリン特有のマスカテルフレーバーが口内を満たしていく。
 準備が整えば、あとはもう、ふたりの世界だ。とレイジュのお茶会は、通常思い描かれるような、会話に花が咲き乱れ、微笑みを交わしあう可愛らしいものではない。お互い、近況を話しつつただしめやかにお茶の香りやスコーンを味わう、静のお茶会だ。本音を言えば、もっと彼女の内側の話を聞いてみたいが無理に引き出すのも気が引ける。いくら家族になったとはいえ、元は他人。それにここは悪名高いジェルマ66の根城である。は故郷から生贄として送られてきたのも同然なのだ。故郷での扱いは酷いものと聞いているが、かと言って好きでジェルマに来たわけでもない。以前から感謝している、と聞いているが口では何とでも言える。夫であるイチジはその辺気にする性格ではないし、気が利くようなタイプでもない。そもそも、そう言った感情を抱けないのだからどうしようもないのである。だから、レイジュは少しでもの鬱憤や心の負担が減らせれば、という思惑の元、お茶会を開いているのだ。
「ねえ、最近どうなの?」
「最近……と言っても、レイジュお義姉さまもご存知の通りですよ。ホールケーキアイランドで痛めつけられた城の修復に、財政管理、あとは医療棟に赴くことが増えました。先の戦争で負傷した一般人もおりますから」
「あら、仕事ばっかりね。新しいドレスを仕入れたとか、お気に入りの花を見つけたとかは無いの?」
「あれば、お義姉さまのご期待にも沿えたのでしょうけれど、生憎。今は忙しい時期ですから」
 はそう言って苦笑する。こう言った表情は普段見せる事がないが、レイジュ相手だと気が弛むらしい。
「ふふ、そうね。私もニジとヨンジを連れ帰ったと思ったら、何やら新しいのが一人ついてきて」
「あぁ……、シーザー・クラウン氏の事ですね。総帥様と大喧嘩の末和解して、新しい組織を生み出したとか」
「お父様も困ったものよね」
「けれど、あの時の総帥様は何だか楽しそうでした。あれはあれで良かったんじゃないでしょうか」
 レイジュとは口元を手で押さえ、くすくすと微笑を浮かべる。の言うように、あの時の総帥、ヴィンスモーク・ジャッジ……レイジュ達きょうだいの父親は見るからに楽しそうだった。旧友――旧敵と呼ぶべきか――と出会い、すぐに殴り合いを始めた事にはさすがのイチジも呆れていたし、レイジュも同じ感想を抱いた。年甲斐もなく顔や頭にこぶを着くまで殴り合っていたらしい。その中で気づくことがあったのだろう、レイジュとイチジはその様子を黙ってみていたが最終的には手を取り合って”NEO MADS”なるものを結成していた。何をするかなどはまだ聞いていないが、恐らく一般的に考えられる善い事ではないはずだ。今日もシーザーとジャッジはジェルマの研究所でああでもないこうでもないと喧嘩をしながら実験を行っていると聞く。全く、城の復興は子供たちに任せっきりだなんて、世話の焼ける父親だこと。まあ、今に始まった事でもないのだが。母であるソラは、ジャッジのどこが気に入って結婚、妊娠までこぎ着けたのだろうと思う。

 珍しく盛り上がるお茶会の間に、レイジュはふと、のベッド付近に飾られている、真っ赤な大輪の薔薇に目を留めた。明らかに、この白い空間の中では異彩を放っていて、少々豪華すぎる。一国の妃の部屋にあるのだから豪華すぎるという表現もおかしいのだが(それよりも値の張るものはいくらでも存在している為だ)、雰囲気に合わない。アンバランスすぎるそれにずっと目を向けていると、視線に気づいたのかがふと、零した。
「……気になります?」
 レイジュはえぇ、と肯定する。
「そうですよね、景観には不釣り合いでしょうから。私ももちろん、そう思っているんですよ。豪奢で美しいのだけれど……」
「あら。じゃあどうして飾っているの?」
 レイジュは当然の事を問うた。自身もそう感じているなら、敢えて飾っておく必要はない。それに、彼女には立派な温室が与えられている。そこには多種多様な季節の花が咲き誇っているので、温室であれば薔薇が目立ちすぎる事も無いはずだ。それなのに、何故。レイジュは一瞬考えて――そういえば、と思い出す。
 昨日は、俗に言うバレンタインだった。他の国は女性が男性に愛を伝える日だと聞くが、ジェルマでは違う。この国では、バレンタインという行事は愛し合う夫婦や恋人たちが二人で祝う日になっている。ジェルマはほぼ男性の国であるし、夫婦や恋人関係にある国民もそう多いわけではない。だから、ジェルマにとっては行事として存在はするものの多くの国民には縁のない行事だ。
 だが、は違う。彼女はれっきとした既婚者だ。ここまで考えて、レイジュはなるほど、と理解した。
「……イチジね?」
 レイジュは思わず、オクターブ上の声を発した。心が躍る。あの、イベント事に関心を向けることのなかったイチジが、妻であるに花を贈るだなんて。もちろん、国を挙げて行う式典や祭典ではそういう事もある。けれどそれは、行事の中に組み込まれたプログラムである為、ほぼなし崩し的に行われるものだ。イチジの本心がどうであれ、やるべき事はやらねばなるまい。彼は、第一王子としての役割はきっちり熟す気概があるからだ。
 だが、バレンタインは違う。国のイベントではあるものの、式典ではないし何よりやるもやらないもその夫婦や恋人が決めるものだ。昔、母のソラが生きていた頃に何度か父とのやり取りを目にしたことがあるが、母からアプローチはあれど父からは何もなかったように思う。父であるジャッジでさえそうだったのに、まさかあのイチジが。
「はい、恥ずかしながら。……まさか、殿下から賜ったものを景観によくないからと捨てるわけにも、温室に置き去りにするのも失礼かと思って」
「あら」
 レイジュは、の斜め上の回答に思わず目を丸くした。
「それは、あなたの本心?」
「え?……おかしな事を仰いますね。もちろん、そうですよ。それに、無碍にしたとあの人が知ったら、何をされるか分かったものではありません」
「……」
 嘘だ、とレイジュは思った。これが本心な訳がないと、レイジュは確信していたからだ。そう思う理由も、既に在る。
 ――目だ。の。
 先ほどから、はあの赤い薔薇から目を離さない。レイジュが、薔薇に目を留めた時から。いくらか会話を交わしてはいるが、はずっと薔薇を見て話を続けていた。レイジュは何度かの方に目を向けていたが、それにさえ気づいていないようだった。もっと言えば、の薔薇を見る目は、遥かに優しい。イチジには向けることのない表情なのだろうが、彼女が時折、好きな花や木の上に巣作りをしている鳥たち、指先に止まる蝶などに向ける慈愛の瞳を、その薔薇にも向けている。そもそも”美”というものに人一倍固執し、気を遣っている彼女が、景観が台無しになると分かっていて尚そこに飾るだなんて、それこそ答えのようなものだろう。景観の美を損なうと知って、それでも夫であるイチジに貰ったものだからとベッドの隣に飾るような心を、は持ち得ている。レイジュは、それをよく知っていた。
 は、氷の仮面を持っていてもその心までは凍り付いていないのだ。レイジュは、何だかほっとした気持ちになった。自分が心配するより、弟夫婦はよっぽどうまくやっているらしい。
 政略結婚かつ、イチジはの事を自身の手段どうぐであると頑なに譲らないが、レイジュは理解している。それがイチジの表現でしかないことを。イチジは女に贈り物をするような男ではなかったし、女など有象無象だと言いながら食っては捨て、食っては捨てを繰り返していた事は記憶に新しい。我が弟ながらなんて酷いと思ったりもしたが、その辺はニジもヨンジもそう変わらない価値観だ。感情を失くした兵器などこんなものだと、レイジュもそう思っていた。けれど、蓋を開けてみればどうだ。イチジはと出会って、何かが変化してきている。それは微々たるものかもしれないが、イチジにとっては大きな変化に違いないのだ。今までこんなことはなかったからだ。
(母さん、やっぱりあなたは偉大だわ。サンジだけじゃなくて、イチジにも良い兆しが見えているの。ありがとう、母さん――)
 レイジュは涙を零しそうになるのをぐ、と堪えた。父が殺そうとした弟達の心は、サンジのみならず母は全て守ってくれていたのだ。
「ねえ、
 あなたも、ここに来た頃よりかは随分と変わったわね。レイジュは言葉で表現はせず、表情で訴えかけた。眉尻を下げて憂うような、けれどどこか温かい、まるでを案じるような、姉の表情だ。
「はい」
「嘘つくの、下手になったわ。あなた」
「何の……事ですか?」
 は唐突に言われ、驚いた顔をした。ほら、そういう顔だって今まではしなかったのに。
「何でもないのよ。……言うと意識されちゃうから、言わないでおくわ」
 も変わった。生贄となり諦観を以てこの国に順応していた少女は、もうここには居ない。ここに居るのは、確固たる信念を持ちつつもジェルマに適応し、この国の第一王子を夫に持つ未来の王妃だった。初めはイチジのみならず皆と距離を置いていたが、今はそう感じることも少なくなっている。先ほど、医療棟へ赴くことも増えたと言っていたが、輿入れ後すぐのでは考えられなかった事だ。妃としての仕事に慣れ、余裕が出来たからとも考えられるが、もイチジと似ているところがあり、余計な労力を割く事を嫌う。今回もわざわざ自身が医療棟に向かう事などせず、侍女や執事にでも命令すれば良かった事を彼女はそうしなかった。何より、国民の反応を見れば分かる。「以前より我々を気にかけてくださる」とか「妃殿下がお労りの言葉をかけてくださった」など、イチジ城以外で働く従者が口にしていたことを思い出す。美しさはもちろんだが、それ以外でも彼女の事を話す国民が増えてきた事をレイジュは身をもって感じていた。
「……今日のお義姉さまは何だか不思議ですね」
「そんな事ないわ。でもそうね……、嬉しかったから、つい気分が上がってしまったのかも」
「嬉しい……?」
 は首を傾げる。
「えぇ、色々あるけれどね。イチジがあなたに花を贈っている事とか」
 レイジュは少しの揶揄いの気持ちを込めて、口角を上げた。は反射的にそれを否定する。
「別に、夫婦なのだから普通だと思いますけど……」
「あら、この国が普通じゃない事は、あなたがよく知っているでしょう?
 そう言えば、は何とも言えない表情を浮かべ、口を閉じた。どことなく居心地が悪そうな顔をしているが、まだまだお茶会は終わらない……否。こんなに楽しい話、まだまだ終わらせるわけにはいかないじゃない。
 レイジュは、本日一番の笑顔を浮かべて、ほんのり頬を赤らめた義妹を見つめるのだった。

バレンタインだったので。2025年版。

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