俺の、私の(琴さん宅)

【俺の半分】

 今日の仕事も終わり、絢爛豪華な建物内を歩きながらもう長らく"使っていない"己の左腕をそっと撫でる。使い慣れなかった右腕が、今はその左腕の代わりを果たしてくれるようになった。
 窓からは月の光が差し込んでいる。季節は春。外を見ると夜風に吹かれた桜が儚げに宙を舞っており、情緒的だ。月光はそのすべてを明るく照らしていて、その光を受けた自分の左腕に科した、罪と罰までを優しく包み込んでいるかのようで、気持ちが悪い。
 かつての友を屠ったこの左腕を誰が赦すというのだろう。かつての友を喰った自分を誰が受け入れてくれるのだろう。そんな存在、いるわけが―――。

『……幽雫くん、』

「―――はっ」

 呆けていたのだろうか、もうこの世にいる筈のない女の声が刹那的に聞こえたような気がした。思い返すと、彼女も月光のように優しく、桜のように儚い"春"の名を冠すに相応しい女だった。その彼女さえも手にかけた忌々しい左腕は今もなお自分を縛り付けている。

【私のすべて】

「……幽雫くん、」

 なんて声をかけても彼に届くはずはない。私はこの夢の世界においては吹けば飛ぶ程度の、紙風船よりも軽い存在なのだから。もとより、彼に干渉できるとも、したいとも思っていない。それをした所で、あの忌々しい過去は変わらないのだ。それでも声をかけずにはいられなかった。
 なぜなら、その過去に彼は今もなお囚われているからだ。ただ一人で"私たち"のすべてを背負って、最年少にも関わらず、第一期生筆頭として君臨した彼が。
 私は君たちの―――彼の導になりたかったのに、無様にも彼の手を汚すことになってしまった。光のない道を歩ませてしまった。

「ねぇ、幽雫くん」

 もういいよ、と言葉を紡ぐにも彼には届かないのだ。せめてこの想いだけでも、月の光と桜に乗せて、彼を縛る鎖を溶かしてほしいと願うも、叶うはずがない。私と彼を隔てているのは透き通る薄い硝子一枚のはずなのに、あまりにも遠くて。
 ―――幽雫くん、自分を赦してあげてよ。私たちのことはもういいんだよ。

 彼女の声は、未だ届かない。

八の方のくらはるちゃんはただただしんどいので万のほうで幸せになってくれ。

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