解析不能/証明不可(てーそさん宅)

 がたん!と大きく窓が揺れる。思わずウィスタリアは音が鳴った方を向いた。驚いたわけではない。音が鳴ったから気になって振り向いただけの事。けれどそれだけではない。ウィスタリアが気を向けたのはその先にあった。少々飽きて、手つかずで放置していた書類をテーブルの端に除けて徐に立ち上がる。そのまま窓の方へ歩みを進め、下に目線を移す。そこには、ジェルマの兵士が大きな輪を作り、その中で乱闘をする影がふたつ。輪の中心で飄々と緩やかに動く女と、吹き飛ばされたのかちょうどウィスタリアが立っている部分の真下にあたる場所でうずくまる男。音の原因は男が城壁に思い切りぶつかったせいだろう。ウィスタリアは深くため息をついた。
「誰が修繕費を計算していると思っているのかしらね、あの人たち」
 そう独り言ちてウィスタリアは窓から離れると、バルコニーへと場所を移した。上を見れば太陽がこれでもかという程にウィスタリアを照らす。身体が弱いわけでもないが、この日照りはどうにも堪える。再度ため息を零し、ウィスタリアはバルコニーの縁に腰を下ろす。落ちたらひとたまりもないが、仮にそうなったとて、下にいる兵士の誰かが受け止めてくれるだろうとおよそ一般的な人間は考えもしない事を頭に浮かべながらウィスタリアは下を見た。
「はは、今日もアタシの勝ちだな王子様?君はね、その困ったら真っ直ぐに突っ込む癖を直した方がいい」
「うるせぇ!次は絶対、私が勝つ!!」
 やってみろ、と女は男を煽り返す。王子様、と呼ばれた男はこのジェルマ王国第四王子であるヴィンスモーク・ヨンジ。勝ち誇った顔でヨンジの方に駆け寄る女はジェルマ兵団の最高指揮官、ベータ・フェムだ。任務のない日は毎日殴り合いをしているのでは、というくらいにウィスタリアはこの光景を何度も目撃している。そしてその度に壊れた壁や訓練場の修繕費を計算しては頭を悩ませていた。お陰様で、ヨンジが突っ込んでいる壁を一目見ただけで今回の修繕費は三百万程度だなと目視できるようになった。そんな特技など必要ないというのに。
「あ……」
 そう声が聞こえたのもつかの間、たんっ、と軽やかに地面を蹴る音が聞こえたかと思えば顔を上げた目線の先には女――ベータ・フェムがいた。
「妃殿下!ご機嫌麗しゅうございます、本日も妃殿下は、えぇえぇ、それはもう世界中の花々を前にしたとて劣らないその美貌!同性である私とて、」
「堅苦しい挨拶はよして、フェム。それと心にも思ってない事を言わないで頂戴。あなた美しいものを"美しい"と思える感情、ないでしょう」
 私の夫のように、と付け加えるとフェムはにんまりと笑みを作る。肯定も否定もしないその姿勢が彼女らしい。
「今日も勝ったの?おめでとうと言いたいけれど、何度言えばあなたたちは分かってくれるのかしら」
 そう問えばフェムはわざとらしく「申し訳ございません妃殿下!」と頭を下げた。白々しいその態度には逆に称賛の拍手さえ送りたくなるほどだ。ウィスタリアは本日三度目のため息をつき、戦闘馬鹿に付ける薬はないのだと悟る。もういいわ、と返すとフェムは再度笑みを作りウィスタリアを見た。じい、とウィスタリアもフェムを見つめ返す。太陽の輝きを受けて赤みがさす茶色の髪、空を目に写した瞳、人間らしさを大きく損なわせる角と、ひび割れた肌の傷。フェムの外見を構築するそれらはジェルマの科学力の限界を彷彿とさせる。可哀想、とは思わない。哀れとも感じない。どうでもいい――と然しものウィスタリアもそこまで氷の心というわけではないのだが。関心をある程度向けているのだから、きっと自分はフェムに興味があるのだろうとは思っているが、なにせ自分も長年心を隠してきた化物ゆえにうまく言語化ができないのだ。
 お互い何も言わないまま見つめ合っていると、一際大きい音と共にヨンジがやってきて、フェムの隣に立つ。
「おい、ウィスタリア!私たちの試合を邪魔すんじゃねえ」
 ヨンジはそう言い放つと佇むフェムを抱きかかえるようにして掴む。そして流れるようにウィスタリアを睨んだ。
「私たちの試合はな、遊びじゃない。本気で試合ってるんだ、まぁ貴様如きには理解できんだろうが」
「そうですわね、私はあなた方と違ってか弱いただの女ですもの……」
 ウィスタリアはわざとらしく頬に手を当て妖しくヨンジに微笑む。しかしそれもつかの間、直ぐにいつも通りの無を模った仮面を張り付けてウィスタリアはヨンジに言う。
「けれどヨンジ様?私は何となくですが理解しているつもりですよ、お二方の関係。ふふ、素敵ですね。殴り合いで分かり合えるならそれ程わかり易い事ってありませんし」
「何が言いたい」
 ヨンジにはうまく伝わらなかったようで、不機嫌を露わにする。が、それとは反対に抱きかかえられたフェムはくすくすと笑いを堪えていた。その反応を見るに、フェムには幾らか伝わったらしい。王子たちと違って、ある程度こちらの感情を汲み取り理解を示そうとするフェムはやはり興味深い。怪物でありながらも、怪物に成りえない彼女。ウィスタリアは無意識のうちに同じ化物として仲間意識を募らせていた。
「ねえフェム。遅れてくる青春は素晴らしい?」
「はは、冗談を。アタシたちのコレはただの不具合。所謂バグでして、妃殿下の抱えるものとは幾分か違うと思われますが」
 私を無視するな、というヨンジの野次には耳を貸さず、ウィスタリアは続ける。
「どうかしら。でもそうね、私から言えることはひとつだけよフェム。――あなた、出逢った頃よりも美しくなったわ」
 ふ、とウィスタリアは口角を上げる。それは自然に出た笑みだった。  

ヨンジとフェムちゃんのやり取りがすっごく好きです。

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