無感情≠無欲(ジェルマ主まとめ)

こつこつ、とドアが鳴る。けれど、部屋の主は返事をしない。もう一度、今度はとんとん、という軽くドアを叩く音が鳴った。
「お入りなさい、鍵は開いているわ」
「いいえ、ウィスタリアお義姉様」
 ちぐはぐな会話だ。ウィスタリアと呼ばれた部屋の主が「開いている」と言ったにも関わらず、ドアの前に立っているであろう者は部屋に入ろうとしない。ウィスタリアはそっと立ち上がると、がちゃり、とドアを開けた。開いていると言ったのは嘘だ。先ほどのちぐはぐなやり取りは合言葉。この場で必要になるからと、事前に伝えられていたものだ。
 此度、とある王国で大規模なパーティーが催された。連合王国による、ジェルマ66との作戦会議――とは名ばかりの、各国の思惑がこれでもかという程に絡み合った獣の巣中に彼らはいる。どの国も飢えた土地で、潤沢な資金もなく、本来であればこんな催しなどしている場合ではない。大方、ジェルマの資金と武力を狙うべく取り入ろうという魂胆が見え見えだった。どうやって、など考えなくともそんな方法などひとつしかない。
「あぁ、ウィスタリア妃殿下。お変わりないようで」
 ウィスタリアが開けた扉から、ジェルマ最高指揮官――ベータ・フェムが顔を覗かせる。
「呆気なく殺されていた方が面白かった?」
 表情ひとつ変えずに、ウィスタリアは言う。
 ジェルマに取り入るための手口。王子たちの妃を暗殺し、自国の姫をあてがわせる。又は適当な口実をつけて側室にしてもらうか。
「ご冗談を。妃殿下が殺されていたらアタシの首も飛んじゃうでしょ」
「それもそうね。でも私の方は気にしないで、ジェルマの科学が誇る最高傑作が付いてるから」
 すう、とウィスタリアは視線をフェムから自身の後方にある趣味の悪い金色のソファへと移した。二人掛けのソファに、堂々と横向きになって足をのばす、燃える深紅が目を惹く男がそこに居る。ウィスタリアとその男、ジェルマ王国第一王子のイチジは一度視線を交わしたがすぐに逸らすと元々向いていた方へと向き直る。
「おや、イチジ殿下。てっきり偵察にでも向かわれていたのかと。やはり殿下も妃殿下がご心配で?」
 からかいを含む口調でフェムは問う。イチジはフェムの方を一切見ずに
「馬鹿を言え。蠅共が煩わしいだけだ」
 と不機嫌を隠さずに答える。
「まあそりゃ、君は第一王子だしね。その地位にあやかりたい女も多いだろうさ。だからこそ、ウィスタリア妃殿下が一番標的にされやすい」
 あいにく、身を守るための体術さえ会得していないしね。言いながらフェムはにんまりと笑みを浮かべる。ウィスタリアはそれを黙って聞いていた。フェムはウィスタリアを馬鹿にしているわけではない。態度や言葉こそ飄々としていて掴みどころはないが、ただ純粋に、自身の仕事を全うしようと動いているだけだ。それとも、ウィスタリアの護衛を請負うといいながら強い者と戦えるかもしれない状況に興奮しているだけか。恐らく後者だな、とウィスタリアは呆れたようにため息を吐きながらフェムに問う。
「ところで、あなたの夫は?」
「自室に」
「あの女好きを一人にさせて平気なの?好みの女性がいたらどんな状況だろうと手を出しかねないのでは」
 まあそれは夫にも言えることだけど、とウィスタリアは内心で呟く。ジェルマの王子たちは揃いも揃って女好きだ。好きという感覚さえ言葉に表すことができない怪物たちの癖に、そういう本能的な部分だけは多生児らしく皆似通っているらしい。随分前に小耳に挟んだ程度の、出来損ないの三男とやらもそうなのだろうか。夫を含めた兄弟どころか、父親にまで見放された哀れな三男。自分と似た境遇のその人と対峙すれば何か変わるのだろうかとウィスタリアは考える。けれどそれも一瞬の事で、すぐにそんなわけない、化物の自分が理解されることなど一度たりともないのだからとお気に入りの仮面をつけ直す。
 フェムはというと、何やら思案顔のウィスタリアをじいと見つめながら言葉を選ぶ。
「さすがに既成事実を作られたら厄介だ、ということくらいヨンジにもわかるさ。釘を刺してきたしね」
「そう。ならいいけれど。ニジさまはカレット嬢に振り回されているみたいだし……」
 ウィスタリアが後方へ目配せする。
「イチジさまは気になる女性でもいたかしら?」
 にこり、と随分ぎこちない笑みを浮かべて言う。こんな問いに意味などない。フェムは何やら期待しているような顔をしているが、ウィスタリアにとって深い意味を成すものではなかった。言うならただの戯言であり、独り言のようなものだ。それとも、自分の知らないところで「そんなものいない」という言葉を期待しているのだろうか。ウィスタリアには、分からない。知る由もない。感情を押し殺し続けた結果、自分が何を感じているかでさえうまく言葉にできないのだから。
 イチジは相変わらず、ウィスタリアの意味をなさない戯れに顔を顰めつつも無碍にはせず律儀に返事をかえす。
「フン、我々のお零れを狙う蠅に興味など沸くと思うか?女など使い捨ての有象無象にすぎん。貴様のように優秀などうぐならば話は違うがな」
「へえ、イチジにしては随分と評価が高いんじゃない?まあ容姿は文句のつけようがないし、頭も回る。ただ……」
 どうにもウィスタリア妃殿下の望む答えではなかったようだがね、とフェムが言う。読心術でも習っているのだろうか。ただし、どんな答えが返ってこようと、ウィスタリアの仮面こころが動くことはない。
「殿下、お戯れを。私を褒めたとて何の足しにもなりはしません」
「さすがに表情は崩せんか、あの時の慌て具合がもう一度見れるかと思ったんだが」
「殿下!」
 ウィスタリアはたまらず声をあげた。さすがに部屋にいた二人も驚いたようで、ぴくりと肩を揺らす。心臓が早まる。鼓動がうるさい、煩わしい。ウィスタリアはなぜ自分がここまで声を荒げたのか理解こそできないが、本能では何かを感じ取ったようだ。あれ以来――――イチジとウィスタリアが出会ったあの日から、ウィスタリアの仮面には少々の罅が入っている。動くことこそないが、脆くはなっているようで、その様子に興味をそそられたのかイチジは楽しそうに喉を鳴らした。
「フェム、どうやら妻は機嫌が悪いらしい。お前もヨンジの元へ戻れ。あれは強欲だからな、間違いでも起こされると困る」
「はいはい。まあイチジがいるなら妃殿下は大丈夫そうだし。アレの面倒でも見てようかねえ」
 ひらひらとフェムは手を振りながら、部屋を後にする。イチジもフェムも確信犯だ。イチジはともかくとして、フェムにはあとできっちりと報復させてもらおうとウィスタリアは固く決意した。手始めに報酬のチョコレートの量を減らそう。そう思うながら、ウィスタリアは自分の名を呼ぶイチジの隣へ腰を下ろした。同時に、廊下からフェムを呼ぶ怒声が聞こえてくる。あぁ本当に、感情がない癖に欲だけはご立派な王子たちだこと、とウィスタリアは本日二度目の深いため息を零した。

てーそさん、甘党さん宅の子をお借りして。てーそさんからいただいた設定を元に書きました。

Back