虚と混じる閃光


 アラバスタ王国。偉大なる航路前半部、サンディ島にある、文明が発達した国。その海岸部に、何十隻もの大きな船が列を成し向かう。黒い旗に"66"の白文字が刻まれていた。"戦争屋"ジェルマ66の船だ。現在では世界唯一の国土を持たない海遊国家となっている、ジェルマ王国の科学戦闘部隊である。
 その一部の船に、女は居た。薄い藤色の髪を風が撫でていく。ルビーを嵌め込んだかのような目は光を灯さず、ただ目前に広がる風景をじい、と見つめている。――近いうちに、焦土となるであろう国を。今日は、ウィスタリアがジェルマに嫁いできてから、初めて行われる商談の日だ。緊張などはしていない。消えゆく未来しか残っていない哀れなこの国を、ウィスタリアはただただ見つめていた。この国にはどれだけの人が住んでいるのだろう。どんな人々が住んでいるのだろう。兵士、商人、王族、男、女、こども……まだ生まれてさえもいない、命の芽。多種多様な国民たちの未来はたったひとつだけ。
 ――"滅亡"。辺り一帯の炎、泣き叫ぶ声。無慈悲に踏まれていく生命、命、いのち。この青く輝く海が、赤々とした色に染まる景色を思い浮かべた……刹那。
「ボス~~~!」
 天を貫くような、大きな声が周囲を満たした。ウィスタリアは思わずびくりと肩を震わせる。そのまま慌てて、商談が予定されている部屋へと駆け足で向かう。相手はかの王下七武海、バロックワークスの社長……サー・クロコダイル。国王であるジャッジからは相当なやり手だ、と聞かされている。商談を担当しているのは自分の夫だ。心配になったわけではない。不安に駆られたわけでもない。言うならば条件反射のようなものだった。声が上がったから、様子を見にいくだけ。ウィスタリアにとってはそれ以上でも、それ以下でもなかった。
 石造りの城へと足を向け、目的の部屋を目指す。無駄に広くできたジェルマの城は、女の、どちらかというと華奢な部類に入るウィスタリアにとっては移動でさえも苦労する。放置すればよかったと思っても、後悔は先には立たない。後の祭りだ。はぁ、と小さくため息を吐く。少々疲れた頃に、部屋への扉が見えてきた。
(やっと着いたわ……)
 大きな木目調の扉。部屋へと続くやたら豪勢なレッドカーペット。その前に、黒い影。誰、と問おうとした瞬間、その影は勢いよく振り返った。
「何者!」
 まず、ウィスタリアの目に入ったのは、頭の上に乗った黄色い果実。バナナだった。……バナナ?続く黒と白のグラデーション。次にサファイアを埋め込んだかのような瞳、砂漠の踊り子が纏う魅惑的な衣装。そして、緑の閃光を放つ電撃。それが殺気だと気づく頃には、影がウィスタリアの背後を取っていた。
「――……誰」
「人に聞く前に自分が名乗ったらどうだ」
「……あら?この声。ごめんなさい、暗くて見えなかったわ……私はウィスタリア。ヴィンスモーク・ウィスタリア」
 それでも殺気は収まらない。ウィスタリアはゆっくりと振り返る。
「ちょっと。商談相手の情報くらい頭に入れていて当然ではなくて?ミス・オーシャンデー」
 影はぐ、と悔し気に声をあげた。ゆっくりと振り返ると、随分と体格のいい女が立っている。ミス・オーシャンデーと呼ばれた人物は静かに刀を下ろす。外に比べれば薄暗い城内を眩く照らした閃光は鳴りを潜めたが、彼女の瞳は依然ナイフを彷彿とさせている。何でも切ってしまいそうなほどに鋭い視線が、ウィスタリアを貫く。しかし、ウィスタリアもその程度では動じなかった。ヴィンスモーク家の妃たるもの、並みの……いや、例えそれ以上の相手であったとしても背を見せるわけにはいかないのだ。弱い者は、この国では生きていけない。両者睨み合いが続く。先に視線を落としたのは、ウィスタリアだった。
「ずいぶん信用しているのね、ボスのこと」
 ウィスタリアは静かに問う。
「当たり前だ!!自分のボスを敬わないやつがどこにいる!?」
 ここに、なんて口が裂けてもいえない。知られたら一体この身がどうなってしまう事やら。自分は夫を信用していないのだ。そもそも感情のない者をどう信じる事ができよう。情がないなら、簡単に切り捨てられる。情があっても裏切り、蔑む人間がこの世にはごまんといるのに。まだ夫やその兄弟のように感情のない怪物の相手をする方が、ウィスタリアにとっては息がしやすかっただけの話だ。もとより政略結婚、祖国から出られるならと思ったが、こちらもこちらでかなり気を遣う。問いが癇に障ったのか、ミス・オーシャンデーは斜め右上に釣った目を更に鋭くさせた。ウィスタリアにはどうしてそこまで彼女が怒っているのか全く理解できない。
 けれど。
「――幸せね、あなた」
「はぁ?」
 率直に浮かんだ言葉はそれだった。
 何故そう思うの?――分からない。他人とはそうも簡単に信用できるもの?疑わなくてすむもの?否。そんなことは絶対にあり得ない。彼女のように生きる事が出来たら、何か変わったのだろうか。
「他人を盲信して、いつ裏切られるか分かったものじゃないわ」
 滅多に表情を崩さないウィスタリアが、苦虫を噛み潰す。同時に、祖国に捨て置いた実の父や腹違いの兄弟姉妹の顔を思い浮かべた。ぎゅう、と力強く拳を握る。祖国では、ただそこにいるだけで"罪"と扱われていた。殴られても、蹴られても、誰も何も言わない。体罰ならまだ優しい方で、酷いときは毒を盛られた事もあった。使われていた食器が銀だったことで事無きを得たが、あのまま国に残っていれば、どう転んでも行きつく先は"死"だったに違いない。
 いったい私が、あなたたちに何をしたと言うの?
 ミス・オーシャンデーを見つめる瞳が闇に染まっていく。今ここには、ウィスタリアと彼女しかいないはずなのに、どこかその先、虚空を睨みつけるような目だった。憎しみの中に妬み、恨み、おおよそこの世で悪と言われる感情を織り交ぜた、どす黒いそれは、一国の妃がしていいようなものではない。
「……な、なんだその目は!」
 ミス・オーシャンデーが声を上げた。深淵に飲み込まれかけていたウィスタリアの思考がふ、っと急上昇する。
「目……?」
「私はお前のようなやつ、苦手だ!!
「あら?よく分からないけれど、嫌われちゃったようね」
 ぐるる、と牙を向けるオーシャンデーに対し、形式的なお辞儀をしてからくるりと踵を返す。ウィスタリアは視線だけを彼女に向けて、口角を上げた。
「さよなら。また会う時まで……どうかその信念、貫いていて頂戴?」
 二度と会うか!という声には返事をせず、ヴィンスモーク家自慢のよくできた美しい人形は去っていく。頭にこびりついて離れない甲高い彼女の声は、ウィスタリアが城を出ていくまで続いた。

バナナちゃんは可愛い。

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