エメラルド・ブレス(てーそさん宅)

 こつり、こつり。小気味いいヒールの音を鳴らしながら、ウィスタリアは石畳の上を歩く。後ろには従者二人が控えめに距離を取って着いてくる。わざわざ着いてこなくても、なんて言ったところで従者が消える事は無い。第一王子妃となればどこへ行くにも必ず護衛が二、三人はついてまわるものだからだ。それが、例え攻めようもない堅牢の檻の中でさえも。
 ジェルマ本城軍部エリア……司令室。ウィスタリアが身を置いているイチジ城から、ほんの少しだけ歩いた先にある本城の一角に、存在する部署だ。ウィスタリアは滅多にこの場所を訪れない。特段用も無いし、第一王子妃の役割は、戦場とは程遠いところにあって、何より夫であるイチジがこの場所へ向かう事を良しとしないのだ。見つかったら変に遠回しな小言を言われるか、それとも数日、イチジ城以外への立ち入りを禁止されるか。どちらにせよ面倒だ、とウィスタリアは小さくため息を零す。ここで”足をもがれる”とか”目を潰される”といった考えが浮かばないあたり、彼女がこの国では珍しい一般人ただのヒトである所以なのか。
 ウィスタリアの小さなため息で、歩みを止めている従者二人には構わずに司令室の重厚かつ厳重な鉄扉の前へと立つ。
「フェムはいる?」
 儚い、鈴の音よりも透き通った妙音が冷たい石造りの城に響いた。数秒も経たぬうちに鉄扉は重苦しい音を立てながら徐に開かれていく。眩しい白熱灯の光が漏れて、一筋の線を描いた。それを一身に浴びるウィスタリアは、正に、この場へ舞い降りた女神と称しても足りない。ただの電球の光でさえ、扉の奥の奥で働くこの国の兵士たちの目を奪うのに、太陽のもとへ出ればどうなるのだろうか。尤も、ウィスタリアが外へ出る時には日傘を手放せないのだが。
 兵士たちが思わず手を止め、挨拶も無しに突っ立っているところへ奥の方からそれを叱責する声が聞こえる。
「お前たち!妃殿下がいらしたというのに、なぜ挨拶ひとつもしない?……あぁダメだ、本格的に使い物にならなくなっている」
 声の主は、言葉のわりに慌てた様子もなくこちらへと近づいてくる。やはり美貌に対する耐性も遺伝子に組み込んでもらうべきか、いや、どうしたものかなんてぶつぶつと独り言を零しながら。
「ジェルマ王国の可憐なる華、ウィスタリア妃殿下に拝謁いたします……、本日も妃殿下は見目麗しく、まさにこの世の」
「ごめんなさいね、急に押しかけてしまって。けれど許して頂戴。フェムを寄越して、と言ったのにいつまで経っても姿が見えなかったんですもの」
 フェムが意気揚々と話しているところに、ウィスタリアは一切の躊躇もなく口を開く。こうでもしないと、フェムの形式的な王族への挨拶はいつまでも続くからだ。その内容も、本心でそう思っているのか定かではないし、何より聞き飽きている。
「おや。妃殿下の伝令が此方に一切伝わっていないのは何故だろう。ご足労いただき大変申し訳ありません。ところで、このような場所はこの国の優美な華には似合いますまい」
「構わないのよ、いつもと同じ景色では慣れてしまうでしょう。この国が戦争屋、科学の国と呼ばれる所以を時々見ておきたくなるの」
「ハハ!それはそれは、妃殿下さえ宜しいのでしたら此方は構いませんがね。イチジ殿下がお許しにならないでしょう。この間も何やかんやと理由を付けて、此方の首を折りに来る始末です」
「あの人、そんな事をしているの……」
 ウィスタリアの表情が、一気に暗くなる。イチジが、彼女の首を折るなどといった、普通の国ならばとんでもない事をしでかしているからではない。自分の代わりに、フェムが身代わりになっているからでもない。そんな事には、流石に慣れた。初めこそ吐き気を催したり、失神したりと大凡普通の反応をしていたが、ここはジェルマ王国。その程度で気を失うようでは到底生きていく事は不可能だと、諦観するようになったのはいつだっただろうか。遠い昔のようにも思えてくる。
 ウィスタリアの表情がかげった理由は、フェムやイチジがそういった事に一切の疑問を持たない事だった。感情が欠落している事も、既に理解している。けれどこうして、彼らは普通の人間であるウィスタリアが遠く及ばない思考の先に生きていて、この先分かりあえたと感じてもそれはただの錯覚で、手を取り合う事は出来ても心の底から理解できるなどという事は決してない――という事実を端的に物語っているのだ。それが、途轍もなく悲しい事で、この国では冷笑されるものだとしても。唯一理解を示してくれるのは義姉であるレイジュくらいだろう。それでも、ひとり孤独に抱えるよりはよっぽどいいのだが。何よりレイジュは、義妹である自身をそれなりに可愛がってくれているし、気にかけてくれている。有難いことだ。
 閑話休題。
「まあ、此方にとっては良い訓練になりますし。何よりイチジ殿下と手合わせが出来る機会なんて殆どありませんからねェ!いやぁ、気配の消し方に一瞬で敵の息の根を止めようとする力強さと判断力、瞬発力もあれば能力発動時のあの眼!あァ思い出したら興奮」
「フェム。人の夫で勝手に興奮しないでくれるかしら」
「おや失礼。とはいえこれは職業病みたいなもので……」
「冗談よ。そうそう、此処に来た理由なのだけれど」
 ウィスタリアは、ゆっくりと後ろを向いて控える従者に目配せした。危うく、手に持った小箱のような物を落としかけていたが、ウィスタリアが睨めば慌てた様子で丁重に、割れ物を扱うような手つきでウィスタリアのもとへ手渡してくる。ウィスタリアはそれを受け取ると、フェムに向き直って言った。
「我がジェルマ王国の華麗なる剣、ヴィンスモーク・フェム第四王子妃に溢れんばかりの祝福と幸福を。……なんてね、誕生日おめでとう、フェム」
 仰々しい台詞とは裏腹に、ウィスタリアは小さく微笑む。それは、普段彼女が見せている偽りの笑みではなかった。心の底から、フェムを思って自然とえがいた笑顔だ。夫であるイチジにも、そうそう見せる事のない、表情だった。
「は、はは。妃殿下、さすがに私めも出来損ないでして、あァ……」
 目を逸らしながらフェムは言う。そうしてそのまま、小箱を受け取らずに、思い切り自身の腕を引っ叩いた。およそ人間の皮膚では鳴りえない、鉄が大きな力によって変形するかのような音を上げ、フェムの腕は有り得ない方向に曲がる。
「っ、大変無礼であると承知しております、妃殿下。しかし困りますねェ、そう易々と魅了しないでいただきたい。それに、その表情は此方が簡単に見ていいものではないでしょう」
 フェムは目を逸らしつつ、今まさに自ら折った腕を針金を直すかのようにぐにゃぐにゃと元へ伸ばしながら途切れ途切れに呟く。
「そういうつもりはないのだけれどね。こういう時は、なんて言うのだったかしら。あぁ、そうね――可愛くない義妹」
 ウィスタリアはその一連の様子を見て、特に驚きもせずそう告げた。彼女が人間と兵器の複合物ハイブリッドである事は、よく知っている。この行動一つとっても異常ではあるが、この国は、そういう国だ。その言葉一つで、納得しなければならない。腕や首を折ってそれをベンチプレスで直す事も彼らにとっては合理的で楽、以上の理由がないし、心配するだけ無駄なのだ。……それでも、そういった気持ちを抱く事を怠らないのはウィスタリアが彼らを愛しているからに他ならない。一抹の寂しさは、お得意の仮面で隠すことにした。一生埋まらない溝を、どうすればいいかなんて分からないけれど。
 フェムは、自分で戻した腕を三度ほど曲げて伸ばして、を繰り返した後に、小さくよし、と零す。そして、自然な流れでウィスタリアが差し出したままの小箱を漸く受け取った。
「此方などの為に、感謝致します。しかし妃殿下、私はもう既に妃殿下からの贈り物は先日の式典で戴いたはずですが」
 うぅん、と首を傾げて見せるフェムに、ウィスタリアは呆れたように息を漏らし、口を開く。
「あれは、第一王子夫妻から……だったでしょう?私個人のものではないわ。それとも、個人的な贈り物は受け取らない主義かしら。あぁ、ヨンジ殿下が気にする?」
 揶揄いを交えた声でウィスタリアは言った。そして、自分で言った事に対してそういえば、と思案する。フェムは、ヨンジ殿下に何を賜ったのかしら。思い返せば、自身もそうであったがフェムも特に贈呈式の際に夫であるヨンジからは別段アクションがなかった。ウィスタリアの場合は、事前に贈られていたからという理由があるが、フェムはどうなのだろう。もし中身が被っていたら……余計な事をしたかもしれない。ウィスタリアが一瞬、眉を下げたのをフェムは見逃さず、まるで心を読んだかのように
「ご安心を。あれは気にする事もないでしょうし、妃殿下から賜る物とはまた違うと思いますよ」
 と言った。
「あら、心理学でも学んだのかしら」
「まさか。勘ですよ、勘。……女としての?」
「よく言うわ」
 この場で開けてみても?という問いに、ウィスタリアは黙って頷く。
「では、失礼して。ほう、ブローチですか。さすがは妃殿下、宝飾品の目利きもセンスも全てが完璧でいらっしゃる。しかし此方、宝石には明るくなくてですね……」
「エメラルドよ。散りばめているのはダイアモンドなの」
 フェムの手の中で、ウィスタリア自ら職人を手配し作らせたエメラルドのブローチが小さく輝く。王子妃へ贈る物かつ、自身の立場を考慮してそれなりに見合う価値のものだ。ダブルピンブローチという種類で、金具やチェーン、バッジ部分は全て純金で出来ており、メインのエメラルドも色濃く、輝きもより優れたものを厳選している。散りばめているダイアモンドも、もちろん最高級品だ。ピンの部分には剣の装飾が施されていて、フェムがこの国の最高指揮官であり、兵を率いて戦う士であるという意味も含ませた。ブローチ自体の大きさは片手で足りる程度のものだが、式典やパーティーでつけていたとしても決して見劣りなどしないだろう。こういうものは、大ぶりでごたごたとしたものは下品でいけない。あくまで控えめに、しかし目を惹くものでなければならないと、ウィスタリアは考えている。
 白熱球の光を乱反射し、フェムの瞳にエメラルドの色が映った。やはり彼女には緑がよく似合う。メインの宝石を何にするかかなり迷ったが、エメラルドに決めて正解だった。エメラルドの石言葉は幸福と希望。ウィスタリアから、彼女へ贈る言葉にも適切だろう。彼女には夫であるヨンジと共に幸福であれと思っているし、希望はちょっとした悪戯心だ。ハイブリッドである彼女が、人間としての幸せを得られるかもしれない事への。
「……そういえば、ヨンジ殿下からは何を賜ったのか、聞いてもよろしい?式典では何もなかったようだけれど」
 ウィスタリアは、先程疑問に思っていた事を問うた。
「はい。殿下からは、誕生日の数日前にペリドットの首飾りを。先日任務へと赴いていたでしょう、手土産として持ち帰った宝飾品を賜りましてね。曰く、王子妃なら宝石の一つくらい身に着けろと」
「そうなの。ヨンジ殿下にしては気が利くわね。ペリドットか……、たしか石言葉は」
 言いかけて、ウィスタリアは一度口を噤んだ。ペリドットの石言葉は”夫婦愛”だ。ヨンジはそれを知っているのだろうか。否、彼が石言葉や花言葉に明るいはずはないので、恐らく知らないはずだ。フェムも、宝石や花より銃や火薬、国から贈呈される勲章の方が好きだし、先ほど自ら宝石に詳しくないことを話している。ウィスタリアは思考を巡らせながら、何だか楽しくなってきてしまった。人間兵器と複合物に、恋愛感情なんてないだろうし、二人もそれを肯定している。自らの関係性を語る際に、よくごっこ遊びだと言っていることが何よりの証明だ。それが、夫婦愛の言葉を持つペリドットを贈るだなんて!
 ――可笑しいけれど、それって素敵な事ね。
 口には出さず、ウィスタリアは心の中で呟いた。
「妃殿下?どうなさいました」
 ウィスタリアが口を噤んだ事に疑問を持ったフェムが問う。
「いいえ、何でも……何でもないのよ。仕事を終えたら、ペリドットの石言葉を調べてみるといいわ」
「はぁ、妃殿下の命であれば、ぜひ」
 ぜひ、そうして頂戴と返した。ああ、これを知ったら彼女は一体どんな反応をするのだろう。人間の部分を持った彼女の事だから、何も思わない、という事は無いはずだ。照れるとか、そういった事はないのだろうけれど、思う事はあると、ウィスタリアは思っている――というより、そう信じたい。ウィスタリアは、彼女の人間である部分を、誰よりも愛しているから。兵器である部分を否定する訳ではない。それもベータ・フェムの一部であるのだから。確かに恐ろしい部分もあるのだけれど、ジェルマ王国では人間でいることの方が残酷だとウィスタリアは身をもって知っている。それでも自身が一切狂わないのは、自分も人間離れしている事の証なのだろうと他人事のような感想を抱いた。

 さて、とウィスタリアはフェムに軽く挨拶をして、自室のあるイチジ城へと向かう。良い話が聞けた。ヨンジとフェムは、自分たちよりよっぽど夫婦としてうまくやっているらしい。
 ――あの二人を見習って、もう少しらしくあるのもいいのかもしれないわね。
 イチジにそれを伝えたら一体、どんな顔をするのだろう。冷笑で済ませられるか、若しくは弟がそうならば、と珍しい反応を見せるのか。きっと前者ね、なんて分かり切った答えを思い浮かべて、ウィスタリアはくすりと笑った。



 後日、真相を知ったフェムに、自身の誕生祭の惨状を事細かに突っ込まれてウィスタリアが慌てるのはまた別の話である。

フェムちゃんのお誕生日でした!2025年版。

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