雪に溶ける(とわれさん宅)

 ―――コンコンコン。現在の時刻は夜八時。閉店時間はとっくに過ぎている。食堂内の電気は点いているものの、明日の仕込みのために親父が作業しているというだけで、食堂自体は既に閉めている。作業をする親父を横目に、俺は食堂の引き戸の前に立ち、そっと手をかけガラリと戸を開ける。そのままマニュアルのように「すいませんお客さん。今日の営業は―――」と言いかけ目を見開いた。なぜなら、其処に立っていたのが思いがけない人物だったからだ。

「こんばんは、たけしくん」

「えっ、おま……ユキ?」

「うん。ユキだよ、見ればわかるでしょ」

 そう言って、彼女―――ユキは、へらっ、とはにかんだ。思わず彼女の笑みに心臓がどきりと高鳴る。普段は大人しく、同級生であるひろしのように無表情で笑った顔は同性にすら滅多に見せることがない。そのような彼女が、自分の前では惜しみなく満面の笑みを浮かべるのだから気分がいい。未だに心臓は早鐘を打っているものの、それを悟られないように敢えて冷静を装って彼女に話しかける。

「どうしたんだよ、こんな時間に。もう八時だぞ?」

「学校にいたの。ちょっと……用事があったから。まあ、そんな感じかな」

「おっ、なんだなんだ?ラブレターでも渡してきたのか?」

 俺はいつもの調子で彼女を揶揄うと、彼女は途端に顔を強張らせてむむ……と綺麗な顔でこちらを睨みつけた。むすり、と不満気な顔で「違う」と否定する。自分から揶揄っておきながら、もし本当に彼女がラブレターを渡そうものなら、成長したなと思うと同時に途轍もない寂しさを抱えてしまうだろう。それが果たしてどういった感情かは、到底自分では答えられない。ふと物思いに耽っていると、彼女がこちらの顔をひょいと覗きながら口を開いた。

「ラブレターじゃないけど、渡したいものはあるよ」

 そう言って、彼女は徐に己のスクールバッグの中を漁り、何かを取り出すと、ひと呼吸おいた後に恥ずかしげに手を伸ばした。

「―――これ。たけしくんにあげる」

「えっ?」

「あの……この間、私にヘアピンくれたでしょ。そのお礼がしたくて。受け取ってくれる、かな」

 差し出されたそれは、ひまわり色のラッピング袋に包まれたストラップだった。透明の袋から覗くストラップの形は、これまたラッピング袋似た明るいレモンイエローのクマであることがわかる。翌々目を凝らすと、そのクマの左の肉球に"T"とイニシャルが描かれているのを発見した。
 唐突に渡された為に反応が遅れ、暫くまばたきすらするのも忘れ、彼女を見つめる事しかできなかった。

 ―――マジか。あのユキが、この俺のために?嘘だろ……、わざわざ買ってきたというのか?

 ぼうっとしていると、彼女の「たけしくん……?」という声で現実に引き戻され、ハッとする。呆けている場合ではない。直ぐ様お礼を言わなければ。

「あっ……あぁ別に気にしなくてよかったのに!ヘアピンなんて、安いもんさ。―――へへっ、ありがとうな、ユキ」

 素直にお礼を言うのは、なんだかとても歯がゆかった。ましてや、それがユキ相手となると、尚更だった。
 彼女は、ありがとう、という俺の言葉を聞いて安心したような、照れているような表情を浮かべこちらを見ている。そして、トントン、と彼女は自身のスクールバッグを指で叩いた。ふとその指の先を見てみると、彼女から貰ったクマのストラップの色違い―――彼女の髪色を彷彿させる、ブラウンのクマのストラップがぶら下がっていた。左の肉球には"Y"と描かれている。

「そ、それって……!」

 思わず口に出した声が、驚きで裏返った。ユキはそんな情けない俺の態度に構わず、伏し目がちにこちらを見る。

「お、お揃い……。あっ……あの、そういう事だから―――」

 彼女は早口にそう告げると、そのまま勢い良く駆けていった。
 ……お揃い。別段、お揃いのストラップなんて女子は持っていて当たり前だ。当たり前ではあるが、それは"同性同士"の場合に限る。また、いくら同性同士とはいえ、どうでもいい友だちとはお揃いの何かを身に着けることはしないだろう。親友や、自分にとって大切な―――そう、例えば家族や恋人などである―――でなければ。
 恋人。……どくん、と心臓が大きく音を鳴らす。そのまま勢い良く血液を全身に送り込み、俺自身の身体は急激に温度を上げた。は、と呼吸も荒くなる。今は冬であるというのに、妙に熱くて汗が流れた。まさか、まさかまさか。いや、そんな―――ユキが、俺を?馬鹿か、自惚れるなたけし。そんなはずないだろう。

 俺は、その場から一歩も動くことができなかった。ただただ駆けて行くユキの背中と、手に持ったクマのストラップを交互に見て立ち尽くす。

「は、はは―――。ユキの奴ッ……!あぁクソ、どうしてくれやがる……!」

 その日はどうも興奮して、満足に眠ることすらできなかった。

たけユキちゃん本当に可愛い。とわれさんのお誕生日にプレゼントしました。

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