月に酔う(琴さん宅)

「うぅ~ん……」

「ったく……、お前、酒に弱いくせにどうして酔い潰れるまで飲むんだよ」

「よしやには関係ないでしょお~~、なによ~~すました顔しちゃってぇ~!ばーか!!」

「はいはいわかったよ」

 無様にも酔い潰れた彼女を抱きかかえ、俺は帰路につく途中だった。頭上には満天の星空が広がっており、腕の中で未だ俺に対する不満を呟くこいつがいつも通りの状態なら絶好のシュチュエーションだったはずなのに、と心の中で悪態をつく。
 彼女――秋月弥生は先程まで俺たちが通っている千信館の教師、指導先生と杯を交わしていた。俺は指導先生の同僚である幽雫先生と共に彼女たちを迎えに行ったのだが、女子同士水入らずで盛り上がっていた内容は、男にとってはとても耳が痛くなる話だった。やれ女たらしだなんだと俺の愚痴をこぼす弥生に同意を示しつつ、指導先生も恐らく幽雫先生に対する愚痴をつまみに飲みまくった結果がこれとはなんとも情けないというかなんというか。
 普段から言いたいことは言わないとわからんと伝えていても、あれだけ不満が出てくるのは俺が至らないせいでもあるのだろう。そこは俺も精進せねばならないのだが、本人がいないと思って随分言いたい放題愚痴っていたのは、さすがに見過ごせない。

「あのな……、弥生。お前言いたいことがあるなら遠慮なんてしなくていいから、言ってくれないと俺もわからないんだが」

「言ってます~~!」

「じゃあなんであんなに愚痴ばっかり出てくるんだよ……」

「そんなの……私のしょ~もない嫉妬だし、よしやには関係ないってさっきから言ってるじゃない!女たらしのくせにそういうとこだけは鈍感でほんっとむかつく~~」

「いい加減怒るぞ、俺には関係ないとか女たらしだとか言うなよ……傷つくだろうが」

 そう返すと、ぷいっとそっぽを向いてまたぶつぶつ独り言を言い始めた。あぁもう、弥生のこういうところだけは本当に慣れない。なんだかんだと文句は言うくせに、俺を気遣っているつもりなのかそれを悩みの根源である本人にぶつけようとはしないのだ。水希とはまた違う面倒くささである。俺に言わないだけで指導先生や他の誰かには少なからず零してはいるようだが、それじゃあ意味がないだろうに。話を聞いてほしいだけなら一人で帰れなくなるほど飲みはしない。先生との話の内容から察するに女絡みであることは確かで、正直な話、心当たりがありすぎてお手上げ状態だ。何を言ったところで弥生には「言い訳をするな」と言われそうだが、弥生の事を蔑ろにしていたわけではない。単に晶や歩美たちが何かあればすぐ俺に頼ろうとしてそれを俺も断るわけにはいかず、更に最近ではそこに石神も加わった。それで、結果的に構う時間が減ってしまうだけなのだ。……そこが問題なのは俺自身もわかってはいるのだが。

「――いいのよ、本当に。貴方は悪くないんだし。四四八が如何にみんなとの絆を大切にしているかなんて昔から知っているもの。そういう所も好きよ、好き……なん、だけど」

「弥生……?」

 先ほどとは打って変わってはっきりとした物言いに思わず足を止めた。ちょうど、辺りには街灯がなく、薄い月光だけが彼女の顔を照らしている。それの何とも儚いことか。今の彼女は泡沫を想わせるほど危うく、雪のように消え入りそうで。

「やっぱりね、不安にはなるのよ。だって――晶も歩美も、鈴子も水希も……それに静乃も。みんないい子たちで、私の大切な親友で仲間なんだもの。あの子たちに比べたら、私なんてちっぽけな女よ。出来た女だ~なんてみんな当たり前のように言うけど、そうじゃないってこと貴方はよく知っているでしょう」

「――や、よい?」

「貴方は貴方で、どうしようもないくらいお人好しで仲間を大事にして面倒見がいいから、みんながそういう貴方に惹かれるのも、わかる。私だってそうだもの。みんなが貴方を頼りにしていて、それに応える四四八の後ろ姿は素敵だと思うわ。でもね、貴方は――私の彼氏じゃない。私の、私の四四八なのに……なんて。しょうもないでしょ?自分でも笑っちゃうわこんなの」

 弥生は目を伏せながら、ただ淡々と初めて俺の前で心の内を吐露した。彼女の言葉一つ一つからやるせない嫉妬と己に対する怒りが感じ取れる。彼女が零したものは、俺やみんなに対する怒りではなく、すべてが自身に向けて放った自嘲だった。場の空気を重んじて、誰よりも仲間を思う彼女らしい台詞だ。言い換えれば全て悪いのは私だ――と。そういう事か。
 嗚呼そうだ、こいつはそういう女なのだ。みんなを思うあまり自分のやりたい事、言いたい事は全て抱え込んで、器もそこまで大きくない癖に抱え込む。気づいた時には弥生自身ですらどうしようもない程に鬱憤が溜まっているものだから水抜きしようにも出来ずこうして半ば自暴自棄になりかけるのは珍しいことではない。
 ――俺をどうしようもないお人好しだと言っていたが、お前も人のこと言えないだろう。俺がどうしようもないくらいお人好しなら、弥生は馬鹿がつくほどのお人好し。自分のことは二の次、三の次にする女だからこそ、俺はこいつに言葉を惜しまないと決めたのだ。

「笑っちゃう……とか言ってるくせに、なんだよその顔は」

「――へ。ぁ、あれっ……は、はは。ぅ、うぅ……うえぇ、ぐすっ……えぐぅっ、泣いてなんかない、泣いて……うわぁぁぁぁんっ!」

「あーあー……泣くな泣くな、わかってるから。お前の気持ちは痛いほど伝わったよ、弥生」

 言葉とは裏腹に、空の星を目に落としたか如く光で潤むそれを指摘すると、彼女は珍しく声を上げて泣き始めた。そうっと彼女を下ろし、土手に腰掛けるように促すと、顔を上げずにそのまま俺にすがりついてまた啜り泣く。さらりとした彼女の髪を赤子をあやす手つきで撫でながら弥生が落ち着くのを待っていた。暫く嗚咽を漏らしながらぐずっていたが、やがて平静に戻ったようで、今度は赤く泣きはらした顔を見せまいと縋るものだから面白い。クールを気取る見た目とは裏腹に、怒ったり拗ねたり泣いたり忙しい奴だな。もちろん、酒が入っているせいでもあるが。しょうがないので、そのまま俺は宥めるように彼女に語りかけた。

「落ち着いたか?」

「……ん」

「そうか。――まぁ、なんだ。あまり自分だけを責めるんじゃない。俺にも、というか完全に俺の落ち度だよ。すまない、いつも不安にさせてしまって」

「四四八……」

「たしかに、俺はあいつらに頼られると断るにも断り切れないし、あいつらにかかりっきりになっている部分はあるからな。弥生はあいつらと違って俺にはほとんど頼らないし。……でもお前が言うように俺はお前の彼氏なんだよ。自分まで頼ると俺の負担になるとかなんとか思ってたんだろう?」

 う、と言葉を詰まらせる弥生を見てこれは図星だなと確信する。出来た女だと言われればそうだが、俺にとっては扱いづらい事この上ないと改めて感じさせられる。何かあれば四四八、四四八と寄ってくるあいつらと違って何かある時ですら何時ものようにすまし顔なのだ。黙ってあいつらと同じように頼ればいいものを、頑なにそれを拒む。俺に甘えないのも、遠慮するのもこいつにとっては全部俺のため。「四四八に迷惑はかけられない」が口癖なんだと以前晶が零していたがこれほどとは思っていなかった。それが俺にとってどれだけ苦悩するものなのかすら、気づいていない。他人に頼らず、一人で何でもこなす彼女に魅力を感じないかと言えばもちろん嘘になるし、そういったところが彼女の長所であり尊敬するところでもある。男から見ても素直にかっこいいと思わせられる反面、男にはどうしようもないプライドも存在していて、何とも言えない気持ちになるのもまた事実だ。頼りたいなら黙って頼れと思うことも少なくない。内心、俺にも譲れない部分があって“いつか折れて頼ってくるだろう”と待っていたところもある。
 ――要するに、お互いに対する意地の張り合いがこういった結果になって返ってきたのだ。反省しよう。

「前にも言ったけど、甘えたければ甘えていいんだぞ。お前にはその権利がある、というよりそうしてもらう方が俺も嬉しいんだが」

「で、でもそれじゃあ……」

「俺に迷惑――とでも言いたそうな顔だな。そんな訳ないだろ。変に抱え込んで一人で傷ついてこうなるのよりよっぽどマシだ」

「そんな言い方っ……、わ、私だって別に、っていうか気づいているなら、す、少しくらい……あぁもうっ!馬鹿!」

 そう言って俺を軽く突き放し背を向ける。何か言いたげではあったが、それを言わずとも俺には彼女が何と言いたいのか大方目星がつく。今までの会話の流れもあり、それくらいは造作もない。しょうがないから、今回は俺が折れてやろう。別にコイツはそういうやり取りを望んでいるわけではないのだろうが、言葉にしてしっかりと伝えないと不安で胸が落ち着かなくなってしまうだろうから。今もなお、背を向けてふくれている弥生に声を掛ける。
 拗ねたのか、と言えばムキになって「拗ねてない」と返してきた。普段なら呆れてため息の一つでも零したくなるものだが、それも心から本当にそう思っているかと聞かれれば否である。それは彼女だからこそ芽生える気持ちにほかならない。晶や歩美、鈴子、水希、石神では言葉は悪いが役不足なのだ。

「少しくらい……目を向けてほしいと」

「や、やっぱりわかってるんじゃない!わざと知らないふりしてたの!?」

「そんな訳ないだろう。ちゃんと言わなきゃ俺だって……と言いたいところだが伊達に何年も付き合ってない。変にプライド云々考えていたところもあるのは認めるよ。あとなぁ、俺はこれでも結構その、なんだ……見てるぞ、お前のこと」

「何よその歯切れの悪い言い方は。ちゃんと言わなきゃわからないでしょう」

「こら、揚げ足を取るんじゃない!まったく」

 完全に涙も引いたのか、くるりと向き直して俺を見つめる彼女の瞳は夜空の星を閉じ込めたようで、唇は結んだまま優しく弧を描いていた。まるで俺が次に言葉にするそれをわかっていて、待ち望んでいるような――急に恥ずかしくなってきた俺は苦笑でごまかした。すると、期待に満ちた顔をまた怪訝そうな顔に戻し口を尖らせる。酒に酔った情けない姿も、声を上げて泣きすがる姿も、むつけた姿も、いま見せた一面は全て弥生が特別に俺だけに見せてくれるものだと思うと、言おうとした言葉さえ愛しさが先を越すゆえに、詰まって出てこなくなるというもの。わかってくれよ、それだけはなんて心の中で言い訳をする。普段は器用だといわれる俺でも、こういう色恋には不器用で、何をするにも戸惑うのだ。
 こういった頼りない部分を不本意ながら見せているのも、お前だけなんだと気づいてほしいのだが、それじゃあきっと不安は解消されないだろうから。

「ほーら、家訓なんでしょう?柊四四八さん」

「わかってるよ、一回しか言わんからな!!」

「はいはい」

「俺は、お前とこの先もずっと一緒にいたいと思っているよ。」

「それで?」

「なっ……、あぁくそっ!大――」

 好きだ、と言い切る前に口をふさがれた。ふわりとした感触が脳内を、思考を支配する。舌を絡ませるような深いキスでもなく、触れるだけのモノだったというのに、タイミングも相まって嘆かわしいほどに俺は動揺を隠せなかった。そっと顔を離す弥生はにっこりといたずらっ子のように笑った。本当になんてことをしやがるんだ、これでは男としてあまりにも格好がつかない。

「あら、このくらいのキスでそんなになっちゃうの?天下の柊四四八さんも大したことないわね」

「な、なんだとお前!」

「悔しいならやり返してみる?な~んて……」

 ……ほう。そうか、なるほど。前々から思っていたことだが、コイツ俺を侮りすぎじゃないか?
 たしかに俺は、目立って何かをアプローチするタイプではないが、やる事はしっかりやり遂げるし、望まれればそれに応えるくらい造作もない。投げかけられた事を曖昧に返すような男に育った覚えはないのだ。つまり、ここで俺がするべき行動はひとつ。
 俺は、けらけらと笑う弥生の肩をそっとつかんだ。俺の動揺っぷりが予想以上で面白かったからか、その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。……涙を浮かべるくらいに面白がられていたのかと思うとだいぶ腹が立つ。
 きょとん、とする弥生の目だけを見る。緑色の澄んだ瞳は凝視すると引き込まれそうだが、どこまでも優しく陽光を思わせる。薄く色づいた桜色の唇はどことなく艶やかで、扇情的である。俺は目を開けたまま彼女に顔を近づけ、そのまま彼女と同じように己の唇をそっと相手へ重ねた。

「――は。え、っと……今あの、あの~~~」

「あぁそうだよ、悔しかったからやり返したまでだ」

「~~~っ、あっ貴方ねぇ!そういう所よ、本当にっ!」

 林檎のように紅く染めた頬をこれでもかと膨らませてこちらをにらみつける弥生。そんな顔でにらまれても何も怖くなんだが、という気持ちは置いておき、そろそろ風も冷たくなってきていた。ほら、風邪ひくから帰るぞと手を伸ばすとそっと握り返してきた。酔いも若干醒め、姫抱きでなくとも大丈夫そうだ。秋の夜空には、まだまだ青臭い俺たちを太陽とはまた違った優しさで月が照らしていた。

琴さん宅の流れを借りたので。全体的には自カプですが一応。

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