はれもよう(ジョナサン・ジョーンズ)

 ふと窓の外を見ると、太陽が燦々と輝いていて、きっと陸の上ではピクニック日和なんじゃないか、なんて思った。ここはリップルタウンの西の海に沈んだ船の中。海の上が晴れていようが、雨が降っていようが大して関係ないのだが、それでも晴れの日というだけで気分があがるのもまた事実で。そして、そんな日はその気分を誰かにお裾分けしたいなぁ、なんて思ったりもして。
 鼻歌まじりで軽やかにステップを踏みながら、少し長い階段を上る。随分ご機嫌っすね、姉御!なんて声が後ろから聞こえてくる。振り返ると、赤いバンダナが特徴的な男の子がこちらを見ていた。

「スキップなんかして、何かいいことでもあったんですかい?」

「あら、バンダナちゃん。いいえ、特に何かあったわけでもないのだけれど、今日はとてもいい天気だからつい、ね。海の中だから、天気なんて関係ないかもしれないけど……」

「あぁ~、確かに。今日は珍しく晴れですもんね。親分もこんな日は~……」

 親分。バンダナちゃんの口から出たその単語だけで、気分がさらに上がっていく。具体的に言うと、心臓の鼓動がいつもより少し早くなったり、体温があがったりする。ただ単語が出ただけなのにこの様子じゃあ、本人を目の前にしたら一体どうなってしまうのだろう。
 親分とは、この沈没船に住んでいる、バンダナたちのリーダーのことだ。私にとっては同じ師匠、ジャッキー先生のもとで修行を積んだ兄弟子でもある。初めはジャッキー先生のそばを離れて生活するなんて、とか、いくら兄弟子とはいえ知らない異性と同じ空間にいるなんて、など考えたものだ。親分――、名をジョナサン・ジョーンズ。このリップルタウン周辺に住んでいる者たちならば、彼を知らないものは誰一人としていない。沈没船に住む恐ろしい海賊、とはよく言ったもので、実際に会ってみると気のいいお兄さん、という印象を受けた。確かに、ふらっと海に出て獲物を捕りにいくこともないわけではないのだが。それでも、彼の真っ直ぐで熱い、男らしい性格を知れば誰だって彼に惹かれるというもの。もちろん、私も例外ではなく――。

「姉御?あねさーん、聞いてるんですかい」

「――あ。え、ごめんなさい!ちょっと呆けてしまっていたわ……」

「でしょうねぇ……。まぁいいです、引き止めちまって申し訳ない!」

「大丈夫よ、バンダナちゃんはこれから何処へ?」

 そう問えば、「今から他の奴らと狩りに出かけるんすよ」と言い、その場を去っていった。
 バンダナを見送ってから、再度前を向いて階段を上ると、少し広い踊り場に出た。目の前には木製の扉が佇んでいて、どことなくピリッとした空気が漂っている。普段はそのドアの横に、門番としてバンダナたちが立っているのだが、狩りに出かけているのか今日は不在のようだ。ふぅ、と呼吸を整え、扉の前に立つ。先程からどくり、どくりと心臓が高鳴っており、周りに漏れているかのようだ。実際そんなはずはないのに、妙に気にしてしまうのは――、きっと、この扉の向こうにいる人のせい。
 コンコン、と二回ノックすると、低いバリトンボイスで「誰だ」と返ってきた。

です、ジョーンズ様。入っても?」

 返事はなかったが、扉を開けて中に入ると、立派な腰掛に座って足を組み、ワイングラスを片手に持ってこちらを見る彼の姿が目に映った。サメをかたどったバンダナから覗く眼は鋭く、今でも少々気後れしてしまうことがある。それを感じ取ったのか、彼はスッ、と目を閉じ、そんなにビビらなくてもいいだろうが……と零した。

「いい加減慣れろや。別に取って食おうなんてことはしてねェだろ?」

「そういう問題ではないのですが……」

「じゃあどういう問題なんだ。何でもいいけどよ……。で、何か用か」

 はぁ、と短くため息をつき、改めて彼はこちらを見る。顔つきも優し気、とは言い難く目つきもかなり悪い方ではあるが、どことなくその性格の潔さが垣間見えて、ふ、と頬が緩む。すると、己の顔を見て笑われたと勘違いしたのか、一瞬むすっとした顔で睨まれた。そういう子供っぽい仕草がまたギャップを感じて、乙女心をくすぐる。可愛いですね、なんて言ってしまえばきっと物凄い顔をされてしまうだろうから、その感想は心の中にしまっておくとして。
 私は、んん、と小さく咳払いをした後に、こう告げる。

「あの、これといった用事ではないんですが……」

 すぅ、と小さく息を吸って、空気を吐き出す勢いで「きっ、今日は晴れているから、お散歩でもどうでしょうか!?」と伝えた。多少上ずった声になった事が悔やまれる。たかが散歩に行こう、と伝えただけなのに、そう口に出した瞬間から心臓は跳ね上がるような脈を打つし、全身が無性に熱い。例えるならそう、今ここで全裸を晒しているのかと思えるくらいには羞恥を感じている。実際そんなことになれば、これだけでは済まないだろうが。
 そんな私の様子に対してジョナサンはというと、一瞬呆気にとられた顔をした後に、その鍛え抜かれた見事な体躯をぷるぷる震わせながら笑っていた。察するに、余程私の声が上ずっていたのだろう。あぁほら、涙まで流して――。

「そ、そこまで笑わなくてもいいじゃないですか!?」

「くっ……!いや、なに……。ふはっ、すまんすまん……ぷくく」

「絶対悪いって思ってないでしょう!もう……それで、どうするんですか?行くんですか、行かないんですか?」

「ふっ……、くく、分かった分かった。しょうがねェな……そんなに精一杯頼まれちゃあ、断ったら先生に何言われるか分かったもんじゃねェや」

 そう言ってにかっと笑い、ゆっくりと椅子から立ち上がる。座っていてもなるほど、普段から身体作りをしているとわかる程に筋骨隆々で、服の隙間から覗く腹筋はしっかり六つに割れているのだが、立ち上がるとそれが顕著に現れる。腕も足も、まさに男のそれで、何度見ても関心を抱いてしまう。おまけに身長も高く、そこら辺にいる若い男たちとは比べ物にならないほどだ。目つきは悪いが、別段それがマイナスに働くようなこともなく、顔つきも男前で……端的に言うと本当にかっこいいのだ。色眼鏡で表現しているわけでもない。
 思わずぼうっと彼を見つめていると、ジョナサンは不思議そうな顔でこちらを見ていた。

「――おい、?お前、なんだか様子がおかしくねェか」

「……、……あ、はい!?すいません、ぼうっとしてて」

「おいおいしっかりしろや。そんなんじゃあ、まだまだ一人前には程遠いな。ボケっとしていると、あっという間にやられるぞ。例えば――」

 こんな風に、なんて言いながら彼は呆けている私の目の前で、大口を開けて威嚇するような態度を取った。ギラギラとした瞳は捕食者のそれで思わず身体を強張らせると大きな手で私の背中をぱしぱしと叩く。突然の事に多少よろめきながらも体制を整えつつジョナサンの方を一瞥した。

「そ、そうやって揶揄うのはやめてください……!」

「仕方ねェだろ。海ってのはな、お前が思ってる以上に怖ェんだ。油断してると、あっという間に藻屑になって散る。そういうところだと自覚しろ、いつでもオレが守ってやれる訳じゃ……」

 と、そこまで言いかけて慌ててジョナサンは口を押さえた。途端にサメ肌強化でも行ったんですかと聞きたくなる程に顔を真っ赤にして狼狽える。けれど、きっと私も人のことを言えない顔をしているのだろう、と自覚した。だって、ほら、うまく息が出来ないのだから。どうやって呼吸していたんだっけ……とおよそ生きてる内では頭を働かせる必要がないことにリソースを割く始末。どくどくと心臓が早鐘を打っていく。きっとジョナサンに負けないくらい私の顔も赤くなっているのだろう。

「いや、なんだ。今のは忘れろ」

「ど、努力はします……」

「頼む……」

 努力すると言った手前、それを破ることは彼に対して嘘をついてしまう事になる。けれども、想い人に「いつでも守ってやれる訳じゃ」と言われてしまってはそう簡単に忘れることなんて出来やしない。言い換えれば、ジョナサンは私を“そういう”目で見ているという事になる。修業をしている身である為、守ってもらってばかりではいけないのだろうけれど。それでも、恋心とは随分と自分勝手だから期待してしまう。こんな些細な事でも舞い上がって、呼吸の仕方さえ忘れてしまうくらいには、大好きな人の事で頭がいっぱいになるというもの。あぁ、こんな気持ちのまま二人きりのピクニックを存分に楽しめるのだろうか。前を歩くジョナサンの、こちらを見ずにそっと差し出してきた手がその答えを証明している。やっぱり今日は、気分がいい。

尊敬しているフォロワーさんの親分の設定をお借りして書いてます。昔から大ファンでして……。

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