からり、と窓を開けると、灰色に染まった空から雨が糸となって降りてきていた。ひんやりとした風が彼女を包む。もう春だとしても、雨が降るとやはり冷え込むようで、先ほどまで外を走り回っていた犬も、軒下で雨宿りをしている。
―――音之進さまは、傘をお持ちだったかしら?
急な雨ですし、と街へ出て未だ帰らぬ許婚を思い、彼女は彼の元へ駆けた。どこへ行ったのかは知らされていなかったが、眉目秀麗な彼のことだ。老若問わず女性が集まっているところをあたれば自ずと見つかるだろうと、少しの嫉妬を交え該当する場所へ向かう。
―――奇しくも彼女の予想は当たってしまったようで、この雨の中でさえ、屋根の外まで人だかりができている店の中に彼はいた。
「ねぇ素敵な薩摩隼人さん、どこかへ行かない?」
「馬鹿言うな、この雨でか」
「いいじゃないのぉ、ね、ほら」
彼女が中を覗けばいかにも、といった風の煌びやかな女性が、愛しい彼の腕に自らの腕を絡め猫なで声をあげ、此れでもかと云う程に密着している。途端、彼女の心のうちに雲がかかった。
(……仕方ありませんよね、だってそれが普通なんだもの。)
時代柄、一人の男が多数の女を連れることなんて普通のことだった。許婚がいてもそれは変わらぬことで、彼女は秘めた思いも口にせず手に持っていた傘を力なく見つめながら、くるりと踵を返そうとしたその時だった。
「ん?今の……おい、いつまで掴んでいるのだ、離せ」
「えっ、あっ……もう!」
「!……どけ行っど!」
―――随分と特徴的な言葉使いで、彼は彼女の名前を呼ぶ。ハッとして振り向けば、雨に濡れた彼が目の前に立っていた。普段はきっちり整えられた黒い髪は濡れたせいか、少々乱れている。
「音之進さま……」
「なぜ声をかけんかったんじゃ」
「……何故って、随分とお忙しいようでしたので」
「ちごっな、うそひぃごろめ。……わいがはよ傘を持ってきてくれんかったで、濡れたじゃらせんか」
持ってきたじゃないですか、と反論せんと口を開く間もなく、彼女は彼の腕の中へ引き込まれる。突然のことで驚いた彼女は、さしてきた傘と持ってきた傘を二本とも地面に落としてしまった。彼の服は先程の雨で湿っぽいが、彼女にしてみればそれは何よりも温かくて心地よかった。
―――濡れますよ、と声をかけると、彼は「罰じゃ」と笑う。
気づけば雨は止んでおり、曇っていた空も彼女の心も、暖かいお天道様が照らしていた。
雨のち晴れ(鯉登音之進)
この頃金カム読み返しましたが、鯉登くんの成長に涙しました。