大学の図書室で研究につかおうとしていた書物を探している時だった。
ディオ、と己の名を呼ぶ声が聞こえた。もう随分聞きなれた声だ。ジョースター家に養子として迎え入れられたばかりの頃、ジョースター卿から紹介された女。ジョナサンとはすでに面識があり、当時の俺はその場で一人取り残された気分になった。
「……なんだ、」
「もう、私の話を全く聞いていませんでしたわね!?」
「あぁ……悪い。考え事をしていた。……で、用件は」
聞くまでもない。どうせいつものようにお茶をしようだとか、お話しようだとかくだらない用事ばかりだ。これと言って話すことも何もないのに。結論から言うと、俺はこの女が苦手だ。理由は単純明快、聖女だからだ。この手の女を見ると、己の幼少時代を嫌でも思い出すことになる。はっきり言って、幼少時代にいい思い出などひとつもない。
嫌な過去を思い出させる女と一緒にいる時間ほど、無意味で不快なことはない。
「ですから、お散歩でもどうですか?」
「なぜ」
「あら、お嫌いでした?」
「違う。……それに俺が一緒に着いていく意味がわからん」
「そ、それは……」
どうせ意味なんてないのだろう、おそらく彼女は俺と一緒に居たいだけ。頬を赤く染めて下の方を見つめるその姿から、俺をどう想っているのかもわかる。けして自惚れているわけではない、これは確信しているだけだ。彼女は俺のことを好いている。
「気分転換になるかと、思ったのです」
「気分転換?」
「はい。最近何だか思いつめているように見えますわ」
「気のせいだろ、別に何もない」
「そう、ですか……」
どこか腑に落ちない表情をこちらに向ける。悩みがないと言ったら、それは嘘になる。しかし、コイツに話しても無駄だということはサルでもわかる。
このディオの悩みは、おいそれと他人に話して解決できるようなものではない。
「話はそれだけか?」
「……はい」
「わざわざそんな事で呼び止めるなよ、俺は忙しいんだ。他にやることだって……」
たくさんある、と言いかけてふと彼女の方を見ると肩を震わせていた。先ほどまで紅潮していた頬は涙で濡れている。
まずい、と思った。人の多い場所で泣かれては困る。それよりも、この状況をジョナサンに見られてしまっては個人的に厄介だと感じた。
「ぅ、ぐすん……。や、やはり迷惑ですわよね……」
「おい泣くなこんなところで!」
「私の心配は余計なものでしたのね……ぐすん、うぅ」
「わ、わかった俺が悪かった!」
「で、では一緒にお散歩してくれますか……?」
「オーケーオーケー、どこへでも一緒に行ってやる!だからここでは泣くな!」
そう声をかけると、やっと泣きやんだ。……どうもこの女といると調子が狂う。涙で少し腫らした目を擦る彼女を見て、心の中で悪態をつく。あぁ、また予定にもなかった用事で時間を潰すことになるのか。今日は厄日だな。
俺の心境など知ったことではないというような、満面の笑みを浮かべた彼女が口を開いた。
「では、さっそく行きましょうか!今日はとても良い天気ですから、きっと気持ちも晴れると思いますわ」
「……そうだな」
まあ、でも、自分のことをこうして気にかけてくれる存在がいるということは、悪くはない。
満更でもない(ディオ)
たとえ後で利用するための行動だったとしても、まあそれはそれで。